某所の映画館でアニエス・ヴァルダ監督作品、『落穂拾い』を鑑賞する。ミレーなどバルビゾン派の絵画に多くみられる落穂拾いの主題から着想を得て撮られた、ドキュメンタリータッチのロードムーヴィーである。齢七十台半ばを迎えんとするアニエス・ヴァルダが、自ら手持ちカメラでフランスを駆け回って撮影した、その映像のみずみずしさ。思えば“La pointe courte”(1954)で、初のヌーヴェルヴァーグ映画をつくりあげたと言われたのが彼女だった。それから半世紀を経て、本作は、最初のヌーヴェルヴァーグ作家の名に違わぬどころか、これまで観たいくつかの彼女の作品のなかでも一番の部類に属する出来栄えと思う。ときに閉じられつつある市場で、ときに収穫の終わった農場で、食物を拾い集めて生活する人々。あるいは、ゴミ箱や廃棄場からガラクタを集めて芸術作品をつくりあげる人々。そんなひとびとの姿を『落穂拾い』に喩え、アニエス・ヴァルダならではの低い視点から横断的にフランス中を駆け回ってカメラに収めてゆく。そこにはいっさいの垂直のイロニーを失った、ポストモダンのフモール(ユーモア)がある。このフモールは、映画の別の名かもしれぬ。そんなフモールが積極的に肯定されるとき、もしかしたら失われつつあるかもしれない映画の驚きを、ふたたび取り戻そうとしているかに見える。
JLGにせよ、この世代の人間がもつポテンシャルには驚くべきものがある。この世代の人間は、青春時代を、ちょうどモダンとポストモダンの狭間で生き、成長した。世代を越えた名作を作りつづけられるのも、時代の激動に鍛えられた青春時代があったから、といえば、いささか陳腐な評価か。そこには、時代の失った差異があった(ちなみに、いま現在が、ちょうどドゥルーズの『差異と反復』の最後のページにあたることを、わたしはひそかに期待している(笑))。
作品の終盤、大学院を修了したにもかかわらず、“落穂拾い”をして生活する若者が登場する。この若者が、現在のわたしの少し特殊な状況もあって、まるで自分の分身のように見え、いささか私的な居心地の悪さを感じてしまったことを付け加えておこう。身につまされてしまって、この作品を鑑賞するどころではなくなってしまった。この世知辛い“落穂拾い”の時代を、後世の人間は、はたしてどのように語るのであろうか……。
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製作:シネ タマリス
監督・脚本・語り:アニエス・ヴァルダ
撮影:ディディエ・ルジェ、ステファーヌ・クロズ、パスカル・ソテレ、ディディエ・ドゥサン、アニエス・ヴァルダ
編集:アニエス・ヴァルダ、ロラン・ピノ
音楽:ジョアンナ・ブルズドヴィチュ
録音:エマニュエル・ソラン
音編集:ラファエル・ソイエ、タデ・ベルトラン
2000年/フランス映画/82分/カラー