歴史家であるハンナ・アーレントの概念に、「忘却の穴」がある。ユダヤ人を焼き尽くしただけでなく、焼け残った髪や骨までも消し去ろうとしたナチスの行為は、民族そのものの存在の記憶――痕跡――すら抹消しようとしたのであり、これをアーレントは「忘却の穴」と呼んだのである。こうした概念の批判対象は、もちろん、ホロコーストの歴史を抹消しようとする西欧の歴史修正主義者の議論である。ホロコーストを連合軍の捏造に仕立て上げ、その記憶を忘却の穴に投げ捨てようとする歴史修正主義者の行為は、その点で、ナチスが行なったホロコーストと同断の非道なのである。
存在のみならず、その《記憶痕跡》をも抹消する「忘却の穴」を、アーレントは恐れ、そして批判したが、わたしは、この概念について、彼女とは違った印象をもっている。というのも、おそらく、彼女の「忘却の穴」への恐怖には、歴史家の傲慢、あるいは歴史的に思考しがちなアカデミシャンの傲慢とでもいうものが幾分含まれているように感じるからである。
フロイトの研究した戦争神経症の事例は、この「忘却の穴」を、穴の最奥の暗闇から逆照射するように思われる。というのも、彼らのような患者が恐れているのは、なにより、忘れることだからである。わたしたちが、なにか物事を記憶しようとする際に、たえずその名を反復するように、戦争神経症を患った患者は、かつてのひどい経験の記憶を再現し、絶えず反復しようとする。彼らは、忘れることを恐れるあまり、病から抜け出せなくなっているのだし、さらにいえば、この忘却恐怖こそが、この病の根源なのである。
真に恐ろしい、正気を失うような経験を記憶しておくほどつらいことはない。記憶を頼りに怒り狂うことのできる人間は、まだ、その経験がひどいものであると判断できる論理を保ちえている分だけ、ましなのである。いまだその経験のさなかにいて、あるいはその経験の記憶に囚われているひとは、もしできうることなら、なかったことにしたいに違いないし、その記憶をアーレントの言う「忘却の穴」にでも放り込みたいところだろう。マジックメモに残された筆跡(=痕跡)よろしく、記憶はいつなんどき、どんなきっかけで呼び出されるかわからないものだ。忘れていたとしても、なにかのきっかけで出てくるということは当然ありうる。それゆえ根本的な治癒になりえないのは明らかだとしても、歴史修正主義者の議論は、患者に対する一時的な快癒をもたらすに違いないのである。彼らはいうのだ、そんなことはなかった、あなたは間違って記憶しているのだ、と。いや、むしろ、根本的な治癒とは、この忘却のことを言うのであり、意図せざる結果だとしても、かえって、歴史修正主義者は、歴史主義者よりもよき精神分析医である可能性がある。歴史主義者は被害者に向かって言うのだ、善人の顔をして言うのだ、あなたは、人類のためにホロコーストの記憶を忘れるべきではないし、それを白日の下にさらして国家主義者どもを糾弾すべきなのだ、と。わたしが代弁してもいい、とにかくわたしにその恐ろしい経験を語ってくれたまえ、なぜなら、あなたが正気を失うようなその恐ろしい記憶は、事実なのだから……。
人間は、少なくとも近代的人間は、多かれ少なかれ、この戦争神経症者と同じ病を患っている。だから、わたしたちは、歴史の反復を強いられている。この病にとって、歴史主義者と歴史修正主義者のどちらがいいというものでもない。重要なことは、歴史修正主義を非難するあまり、歴史主義に陥ってはならないということだ(別に気取る必要はないのでありていな言い方をするが、かつては右翼の専売特許だった歴史主義は、いまや左翼のものなのであり、しかしたちの悪いことに、表面的に、あるいはとってつけたように歴史主義を批判する)。
今手許に資料がないので数年前に読んだときの記憶に頼って言うが、フロイトは記憶を二重化、否、二層化している。すなわち、記憶を呼び出し、記憶を(時系列的に)整合性のある意識的なものにする層と、記憶が無時間的かつ断片的に蓄えられた層とにである(「マジック・メモについてのノート」)。前者はいわば短期的な記憶を司り、必要に応じて書き換えられ、また消去されるものである。他方、後者は、誕生以来の記憶が無茶苦茶に詰め込まれ、生涯消え去ることはなく、また生涯にわたって蓄え続けられる。ふつう、わたしたちが「忘却」と呼んでいるのは、前者が後者に蓄えられた記憶をうまく呼び出せなくなっている状態のことを言う。当然、知らないことと忘却とは、後者にすら記憶が蓄えられていないことによって区別される。また、戦争神経症者のケースは、なんらかの、おそらくは社会的な抑圧によって、快感原則とは無関係に、意図に反して記憶が呼び出されてしまう状態であると考えればよいだろう(フロイトの戦争神経症の事例が第一次世界大戦後であることと、ナショナリズムの実質的な起源がおよそ同時期であることはきわめて興味深いことである)。
この二層化された記憶という考え方が、現実世界における歴史学者と資料の関係に似通っていることに注意しよう。無時間的かつ断片的に記憶が蓄えられた層とは、まさに世界中にばら撒かれ(=《散種》され)、無方向的に蓄積されている資料群に対応しているのであり、歴史学者の仕事は、それらを時系列的に整合し、意識的なものにする(=再現前化[リプリゼンテイト]する)記憶の層に対応していると考えられる。ここで再びアーレントの議論を振り返っておけば、断片的な資料群を湮滅すること、すなわち無意識の層に蓄えられた消えない記憶を抹消することを、「忘却の穴」と呼んでいることがわかる。
さて、ジャック・デリダは、フロイトの上記の議論を参照しつつ、無意識の層に刻み込まれた消えない記憶の束、これを《痕跡》と呼びさらに複雑な考察を加えた。歴史の起源を、なんらかの具体的な出来事ではなく、この《痕跡》にあるとしたのだ。彼のこの徹底した歴史主義批判が示唆しているのは、歴史がいくら起源を事実に求めたところで、歴史が見出すのは、決まって身体の内側、おそらくは精神とでも呼ばれるべき場所に刻まれた《痕跡》であるということだ。歴史がさかのぼることができるのは、内側の《痕跡》までなのであって、けっして、傷そのもの、あるいは身体の外部で、もっと正確を期せば身体と外気が接触するそのちょうど間のところで繰り広げられた《出来事=他者》そのものにたどり着くことはできない(傷とは、内部を外部へと繋げる開口である)。歴史の探求とは、ふつう考えられているのとは逆に、外部へ向かう運動ではなく、徹頭徹尾、内部に向かう運動だということだ。ここでストア派の議論を引いておけば、歴史とは、過去についての現在である。同じく、なまなましい傷が過去であるとすれば、当たり前のことだが、痕跡とは、あくまで、過去についての現在なのである。
ジャック・デリダのこうした微妙かつ繊細な議論は、よくよく考えれば、アーレントの「忘却の穴」についての徹底的な批判になっていることを見逃してはならない(1)。彼が言いたいのは、アーレントがいくら資料を、あるいは民族を「忘却の穴」から守ったところで、すでに資料が語る内容、あるいは民族は、もっとも重要なことをつねに‐すでに忘れている、要するに、知らないということだ。すなわちそれは、傷痕が覆い隠した傷そのものであり、民族が覆い隠した個人的な体験である。アウシュビッツでは、ナチスによって《ユダヤ人》が迫害された以上のことが、ユダヤ人であるというだけで殺された《個人》に対して行なわれていたのである。だが、歴史家はそれを《ユダヤ人》の虐殺としてしか扱わないし、扱うことができない。こうした思考は、極端な言い方をすれば、結局はナチスと同じところに行き着くということを、歴史家はいつも忘れているし、しかも忘れていることに気づいていない。アーレントが恐れる「忘却の穴」よりも深い穴が、すでにいたるところに開いているのだ。
わたしたちは、なぜ、ホロコーストの死を重視するのだろうか。それはもちろん、思い出すことができるからである。手っ取り早く思い出すことのできる、最悪の悲劇がそれだからである。普段は忘れていても、たとえば、このエッセイそのものが間接的な仕方でそうであるように、いろんな《痕跡》を見つけて、思い出すことができる。だが、もっと重要なことは、《痕跡》では思い出すことのできないたくさんの死があるということであり、いつだって、そういう死の方が思いだせる死よりも多いということなのである。ホロコーストで死んだ人は覚えていても、その横で戦って死んだであろうドイツ兵のことは知らないように。事実、わたしたちは、ホロコーストにおいて起こった《個人》の死でさえ、もう《ユダヤ人》の死としてしか思い出せなくなってきている。《痕跡》は、傷を、《個人》を覆い隠してしまったのだ。真に重要なのは、名前ではない。ミシェル・フーコーが畏怖し、正しく称賛した名も無き人々――つまり誰もその名を覚えることができなかった人々の名、忘れ去られ、忘却の底で地下生活を繰り広げる人々の、その《無名性》なのである。
わたしたちは、注意深く、忘却という概念を再考する必要がある。なぜなら、忘却は、フロイトの説が正しいとすれば、無意識に蓄えられた記憶痕跡を消し去ることではないからである。むしろ、意識と無意識のあいだの距離の謂いなのだ。重要なことは、いかに記憶痕跡を呼び出すことができるか、なのであって、その意味で言えば、適切に忘れられることこそが、よりよき記憶なのであり、また、よりよき記憶とは、適度に忘れていることなのである。肝心なことは、記憶していることではなく、痕跡と適切な距離を保つことなのだ。また、思い出され、再現された記憶にも、あまりたいした意味はない。それは名についての思考だからである。それよりも大事なのは、はっきりと意識された記憶と、その根源である《痕跡》との間に広がる、忘却のプロセスなのである。この忘却のプロセスにおいてのみ、わたしたちは、無名性の概念を思考することができるからである。
デリダは《散種》ということを言った。記憶(記録という方が正確だしこの場合はこの区別がとても重要だ)をばら撒くのだ、もっと無数の痕跡があることを思い知らせるのだ、と。それは、記憶を統整しようとする歴史家に対する抵抗であり、記憶に対して忘却の地位を逆転させることなのだ。重要なことは、ばら撒かれた《痕跡》ではなく、それをばら撒く《散種》なのだ。《傷》そのものの生成なのだ。デリダは「そこに灰がある」と言った。それは、歴史家がいくら「忘却の穴」を恐れようとも、あるいはユダヤ人の髪や骨まで焼き尽くしてしまったとしても、そこに灰が必ず残る、ということを言いたかったからだ。フロイトが、《痕跡》はけっして消えないと言ったことを信じよう。真の忘却の穴――つまり、無知の穴は、今日もいたるところに開いているのだし、そんなものを恐れても仕方がない。むしろ、記憶を玉座から引き摺り下ろし、忘却に戴冠させるのだ。それでも歴史家が勝利し続けるかもしれない、だが、灰は必ず残るのだ。
【註】
- (1) わたしは詳細を知らないのだが、アーレントとデリダの議論を借用してナショナル・ヒストリーの内在的批判を繰り広げる、というような議論があるという。だが、私見に拠れば、内在的な批判とは、論理の一貫性のことを言うのであって、アーレントとデリダという位相の違う議論を併用することが内在的な批判になるとは思えない。