現象はそれ自体として物ではないから、現象を表象として規定するためには、現象の根底に物自体が存しなければならない。(カント『純粋理性批判』)
わたしはカントのような見方をしない。つまり、視覚などの諸感覚によっては認識不能の《物自体》を立てない。だが、わたしがそう語るとき、それはカントを否定しているのではない。わたしは自分のことをよく知っているつもりなのだが、振り返ってみれば、まず間違いなく、現実の生活のなかで《物自体》を立てている。ここでわたしが否定したいのは、カントの設定した枠組みではなく、そうした超越論的な枠組みを容易に受け入れてしまう自分自身なのである。そうした枠組みを受け入れるとき、逆にわたしのなかの《物自体》は失われてしまうほかない。なぜなら、そのとき見出された《物自体》は、反省、すなわち悟性の産物以外の何物でもないからである。カントの書物を読む際にとりわけ重要なことは、カントが、語り得ないものを語るために取った特殊な態度を見過ごさないことである。わたしはカントにそのような態度が存在することを、柄谷行人の書物から学んだ。
柄谷は、『探求III』において、カントの評価を著しく変えている。それまで、カントはどちらかといえばネガティヴな評価の対象であって、肯定的に語られることはけっして多くなかった思想家である。言ってみれば、カントは、メジャーな哲学者の代表であり、彼の足跡を継承したのは、それこそヘーゲルやフッサールのような典型的な(メジャーな)哲学者たちであり、批判の対象としては都合のよい位置にいたわけである。たしかに、とりわけヘーゲルやショーペンハウエルは最終的にこの仮象と《物自体》の区別を取り除くことを目指したが、むしろそれはカントの書物に内在するプログラムであると言うべきだろう。また、そのことへの反省からハイデガーのように、仮象と《物自体》の「あいだ」を考えたとしても、それもまたカントのプログラムなのだ。それらは、端的にロマン主義や超越論的ではない独断的な観念論へ、あるいは国民国家へと回収されてしまった。もう一方の側には、仮象と《物自体》の区別をたんなる差異として理解したキェルケゴールやニーチェのような思想家がいた。彼らのようなマイナーな者たちへの賛美を惜しまなかったフーコーやドゥルーズは、もちろん、カントに対して批判的な態度を保持しつづけた。彼らは、結局、部分的にカントを認めるというやり方をした。つまり、『純粋理性批判』のカントと『判断力批判』のカントを区別し、後者を選んだのである。他方、柄谷のカントの評価は、端的に『純粋理性批判』に向けられている。
たしかに、今日、カントの重要性は高まってきているかに見える。20世紀のフーコーやドゥルーズの仕事は忘却され、たんに反省としての《物自体》の認識――最低限の他者認識すら欠いた、幼稚な世界が拡大しているようにすら見える。だが、フーコーやドゥルーズ、あるいは柄谷行人の批判的なカント読解と、その限定的な肯定、あるいは事後的な肯定には、そうした時代の要求だけではない、普遍的な要素が隠されているように見える。
振り返ってみれば、柄谷行人の批評家としての一貫した態度からすれば、カント読解におけるこうした転換は予想できたはずだ。つまり、彼の評価の対象となってきたのは、夏目漱石であり、デカルトであり、そしてマルクスであったのだ(ここでとくにデカルトを上げていることに疑問をお持ちの読者もおられるかもしれないが、『探求I』におけるデカルトの扱いは、以下にわたしが語ろうとしていることの典型的なパターンとして興味深いものである)。もちろん、彼は、たんにマジョリティとしての漱石やマルクスを評価したわけではない。マジョリティとして読まれざるをえなかった彼らの内に、マイナーな存在者――単独者と言っていいだろう――を見出してきたのである。それが、柄谷の《批判》である。
たとえば、『トランスクリティーク』におけるカントの章のページをいくつかめくってみよう。柄谷は、そこではむしろ実証主義的な事例や研究を大いに活用していることがわかるだろう。そこで重要なのは、必ずしもカントのテクストというわけではない。むしろ、カントがケーニヒスベルクから終生動かずそこで暮らしたことや、非ユークリッド幾何学を、その最初の主張者のひとり、ラムベルトとの友人関係によっていち早く知りえた立場にあったこと、あるいは、視霊者スウェーデンボルグを介した経験において《視差》を獲得したこと、誤解を恐れずに言えば、こうしたことは、実際に『純粋理性批判』に書いてあることと同程度かそれ以上に重要なのだ。
誤解を恐れずに、と言ったが、これは賢明な読者には必要のないわたしの取り越し苦労であろう。重要なことは、たんに実証的であることではない。テクストに書かれてあること――もしお望みなら、「テクストとしてのカント」という言い方をしてもいいだろう――や、そのテクストを著者に書かせるにいたった社会経済的な背景云々よりも重要なことは、単独者としてその作品あるいは作者を見出せるか否かにある。われわれは、実証主義や構造主義を過度に忌避するべきでも恐れるべきでもない。たんに積極的に活用すればよいのである。
カントにおいて、とりわけ実証的な研究、つまり、テクストそのものには書きこまれていない、外的な要素が重要になる理由がある。そして、この理由によってこそ、カントの書物は、特別な態度でもって読むこと――つまり、否定しつつ読むような態度〔アウフヘーベン〕が必要になるのである。それは、柄谷がカントの書物から的確に抽出した「言語論的転回」である。
「言語論的転回」とは、ソシュール以来の構造主義的言語学の隆盛以来、主流になった考え方のひとつで、簡単に言えば、主観が言語を形成するのではなく、言語が主観を形成するということである。ここで、古来から日本にある「言霊」を想起した人がいるかもしれないが、それほど間違っているわけではない。もちろん、この場合でも、「言語」がいかなる意味において使われるかが重要なのであって、たんに言語から主観を見出すというよりは、柄谷が言うように、外国語を内包するような社会的な差異において主観を疑うこと、そのことが重要である。
さて、カントの書物は、時代を遡って、言語論的転回の地点から書かれている。彼が、主観(理性)によって構成されたものとして世界を語るとき、そこでの主観は、言語あるいは社会によって作られたものでしかないということが、強烈に意識されていると考えるべきである。そうでなければ、彼の言う超越論的観念論は成立しないからである。
理性がそのア・プリオリな原理のすべてを挙げて我々に教えるのは可能的経験の対象だけであって、それ以上の何ものでもない、またこれらの対象についても、経験において認識せられ得るものに限られる。
しかしこの制限は、理性が我々を経験の客観的限界にまで――換言すれば、それ自身は経験の対象ではないが、しかしおよそ一切の経験の最高の根拠でなければならないような何か或るものに対する関係にまで達せしめるのを妨げるものでない。(以上、『プロレゴメナ』)
カントは主観(理性や悟性)によって構成された世界を肯定したが、とはいえ、そうした主観は、可能的経験によって作られたものでしかないのである。この「作られたものでしかない」という限定が重要なのであって、そうでなければ、カントは観念論に「超越論的」という限定的な形容詞を付ける必要はなかっただろう。たんに観念論とすればいいのである。ここで、カントが言う「経験の客観的限界」を言語だと考えれば、こうした認識はまさしく、言語論的転回以降主流になった主観認識に属するものであると言うほかないだろう。
彼の書物が言論的転回の認識にしたがっているとすれば、重要なことは、カントのテクストよりも、その外部なのである。なぜなら、言語論的転回において重要なことが、主観ではなくそうした主観を形成させた社会的言語なのだとすれば、当然、カントの書物それ自体よりも、その書物(主観)を成立させた社会的背景の方がより重要性を帯びる場合があるからである。だからこそ、とりわけカントの書物は、テクストの成立した背景を問う実証研究が活用されうるのである。
もちろん、カントはそのことに自覚的であるし、むしろそのことを書いたと考えるべきであろう。そのような視点からカントの書物を読むとき――つまり、カントの書物を否定し、その書物よりも著者であるカント自身のことをより多く考えながら読むとき、たしかに、わたしは《物自体》を立てている。実証研究が結局は蓋然性の相にとどまり、永久に対象を実証しえない(認識不能である)ことは、あまりにも明白だということもあるが、それよりも、カントの書物を否定する以上、多かれ少なかれ実証研究が必要とされざるをえないということ(なぜなら主観的に否定しても仕方ないからである)そのものが、テクストの外部からの要求――《物自体》からの――があることを如実に示しているからである。
柄谷行人や、あるいはフーコーやドゥルーズがしたように、カントはまずもって批判的に読まれねばならない。だが、にもかかわらず、カントはつねに正しいだろう。逆にいえば、カントの枠組みを素直に受け入れるとき、ヘーゲルやフッサールのような哲学的プログラムが起動する以外にない。彼らのような哲学は、もはや、カントで尽きている。国民国家はもうずいぶん前に実現されたのだから。