わたしはいまのところ歴史学者のはしくれであって、別に哲学研究者ではなく、最新の研究動向も知らなければ、そうした能力も時間も欠いているのだが、それでもやはり、最低限カントくらいは読むし、無責任な、かつ自分なりの読解がある。そこでこんな表題のことを書くわけだが、なぜ書くのかといえば、最近、どうも柄谷行人のカント読解が腑に落ちないからである。
つれづれに書くからどうせまとまらないと思うが、それでもなにか不愉快に感じたり、間違いに思うことがあったりしたら、指摘してほしい。
それにしても、どうしてこうもしっくりこなくなったのだろうか。もともと、わたしは夏目漱石にそれほどすごさを感じない。柄谷の漱石読解はたしかにそれなりものではるのだろうが、それがどうしたという気がする。わたしは『こころ』は最悪の作品であると考えている。あれしきの恋愛経験で自殺し、なおかつそれを天皇の死と乃木の殉死に結びつけるという、まったくもって野暮としかいいようのないことをやってのけたのが、あの作品である。大の男が、あれしきの理由で自殺するわけがなく、その動機はじつは見え透いている。要するに、この作品は、天皇制を神話化しているのである。だいたい「こころ」というタイトルがこのうえもなく野暮ったい。吐き気がする類のタイトルである。わたしの考えでは、漱石は『それから』で終わりの作家である。『草枕』や『それから』では書けていた《女》が、次第に後退していく。文章は依然としてさすがに上手いし、おっと思わせるところがたくさんある。だがそれだけだ。むしろ、作家の統整が効きすぎている感じがして、読んでいて心地よさを感じることは少ない。ちなみに、柄谷はどこかで漱石は「漢詩も抜群に上手い(大意)」というようなことを言っていたはずだが、わたしは彼の漢詩は最悪であると思う。
たんにわたしが柄谷の議論を理解していない、というのが、おそらくもっとも正しいのだろうとは思う。が、最近の『世界共和国へ』(岩波新書)を読んでも、実際、本当によくわからない点が多い。わたしは「世界共和国」という発想を否定しない。それは絶対的に正しい論理の終着点であると思う。また、柄谷の議論の流れからいえば、それを「統整的理念」として提示するのも、必然的であるとはいえる。しかし、《この荒んだ世の中で、俺は愛を叫び続けるぜ》という類のひとりよがりに似たものを感じないではないし、そういうひとがいるのは悪くはないのだが、そんなことを言っている暇があったらNAMでもやったらどうか、とも感じる。
わたしは、柄谷が、世界的に見ても現存する最大の思想家であることを認めるし、だから彼を褒めなくて(おこがましい言い方だが…)どうする、という気もするのだが、しかし、ならば、この違和感をどうすればいいのか。エディプス的なコンプレックスではないか、とひとから言われたことがあるが、それは否定はしない。だが、わたしにとって、柄谷はとてつもなく高く評価したいひとなのだ。
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カントは、私見によれば、デカルトとヒュームのあいだで試行錯誤(という言い方が悪ければ「トランスクリティーク(1)」した思想家ではない。デカルトからヒュームに至る理性―理性批判の流れを、徹底化することで、《外》に突き抜けた思想家である。柄谷は、ヒュームを批判して、たんに理性を否定するのは愚かであり、括弧に入れる、という形で飼いならすことを教える。だが、わたしは、こう思う。むしろ、カントは、ヒュームこそ理性を飼いならしたものと規定しているのであり、理性を完全に根絶してしまう方法を見出したのだ、と。つまり、ヒュームを折り曲げたところにカントを見出すのではなく、ヒュームの延長上にカントを見出すのである。ドゥルーズのような率直な(率直過ぎる)読みをしないかぎり、伝統や習慣に理性の隠れ場所を残しているヒュームは、わたしからすれば最悪の理性主義者だからである(その点ではデカルトの方がましである)。
一九世紀末から二〇世紀初頭の古い「新カント主義者」は、経験主義・自然主義・実証主義的な議論を批判する必要があった。当時席巻していたスペンサー的な、あるいはハクスレー的な社会ダーウィニズムに目が余ったからである。そのため「経験に認識が先立つ」と語ったカントが重要になった。こうした議論を、わたしたちは、「カントのコペルニクス的転回」(認識論的転回)として規定しているが、構造上、これはのちの「言語論的転回」と同じものである。
現に目に映る世界の存在をそのまま肯定してしまう《模写説》を取る経験主義者は、当然、現に目に映る政府の存在を国家として肯定する。したがって、もっとも単純な国家主義者となる。ライオンが小鹿を食べるのをみて、前者を百獣の王だと感じるような思考法が、これにあたる。強い者は勝者である、というわけだ。当然、《模写説》を取る、もっとも単純な反国家主義者は、国家主義者よりもより強くなることを欲し、かくして弱肉強食の世界ができあがる、という寸法になる。もちろん、反国家主義者が勝利するのは容易ではない。軍隊を有している国家はことのほか強力だからである。
こうした経験論の世界にうんざりした人々は、次第に認識論をとることになる。「経験に認識が先立つ」というのは、それ自体が経験論者に対する優位を示しているわけだ。かくして、認識論(《構成説》)は、経験を構成している認識を問題にすることを教える点で、反国家主義者にはきわめて有効な武器となる。上記の例でいえば、経験の基底に存在する認識(食うものは食われるものよりも強い)が、ライオンを百獣の王に見せているだけなのであって、現実の世界がそのようにあるわけではけっしてない。ライオンは、捕食される動物と比較しても、けっして繁栄しているとはいえない。弱者もまた、勝者でありうるのだ。
とはいえ、こうした認識論が危ういのは、ここで「われ思うゆえにわれあり」というデカルト的な思考法を復活させることがある点である。経験論に対して、合理論があまりにも優位に立ちすぎるように見えるのである。だが、カント主義者は、そうした主観を中心とする思考法には注意を与える。コペルニクスの「転回」が、地球中心の思考に対して太陽中心説の優位を説くものだったように、カントの認識論的転回は、むしろ、他の優位を教える思考なのである、と。
そこで参照されるのが、カントの言っていた「物自体」である。この、認識されることはないが存在しているという、物自体の概念はきわめて巧妙であり、次のような議論を可能にする。経験を構成するのは認識であるが、認識を規定する「物自体」のようなものが存在している、と。つまり、「物自体」は、認識論がデカルトに行き過ぎるのをブロックすると同時に、たんに「模写説」をとる経験主義をも斥けるのである。物自体は、ついに経験と認識の悪循環を止揚する。かくして、認識論が優位となった世界では、国家主義者は、経験を保障する認識の地平に、国家の存在理由を見いだすのだし、また、反国家主義者はといえば、同じ経験ひとつをとっても、さまざまな認識がありうるという点に、反国家の存在理由を見いだす。
さて、こうした認識論が、いつまでたっても認識ばかりを問題にして、現実をみないことにうんざりしたひとびとは、次に、経験論と認識論とを二つながらあわせたような形式をもっている《歴史》を見いだす。ここでは、陣営はきれいに二つにわかれる。マルクス主義と、ヘーゲル主義である。現行の国家に対する民衆の勝利の歴史を描くのが前者であり、民衆化された国家の勝利の歴史を描くのが後者である。つまり、じつは、見方が違うだけで、両者とも同じものである。
かくして、問題は、次の点にあるようにみえる。いかにして、認識論の地平から、マルクス=ヘーゲル主義への移行を食い止めるのか。問題の焦点はカント主義に絞られる。
カント主義者と柄谷が決定的に分かれるのは、この「物自体」の解釈である。前者は、これをたんに「理念」とすることで、実践に道を啓く。つまり、物自体とは、一種の「理念」なのであって、個々の認識を、そうした「理念」に近づけ、高めていく「理想主義」的実践が重要である、と。こうした議論のあり方こそが、理念=現実であるとしたヘーゲルへ道を開いたわけだが、他方、柄谷は、物自体はたしかに理念であり、そこへ近づく努力をすることは重要だが、ただし、そこにたどりつくことはできない、というのである。つまり、柄谷によると、物自体とは、具体的にいえば、《他者》のことである。
この物自体を、柄谷は主観の側面からみたものとして「統整的理念」と呼ぶのだが、たしかに、この概念は、ヘーゲル主義へのオートマティックな移行をブロックする(柄谷の議論において、経験不可能の物自体を曲りなりに伝える《仮象》が、統整的理念として重視されるのはこのせいだ)。理念=他者である、とする柄谷の議論は、理念=現実としたヘーゲルを退けるからである。柄谷の言っていることはほとんどヘーゲルだが、本人の意図としては、この一点が大きく違うのだろう。だが、わたしにしてみれば、この概念は、きわめて難解なものになっている。難解というのは、要するに、なにか間違いを犯しているのではないか、という疑念を拭えないからである。こういう議論になると、どうにも動きようがない。最初から失敗するとわかっているチャレンジはチャレンジとは言わない。たんなる無謀である。
もちろん、柄谷は、成功する可能性を完全に排除しているわけではない。それを、彼は、「自然の狡知」と呼ぶ。だから、彼は、次の世界大戦で危機的な状況を迎えたあとで、世界共和国が出現するのではないか、などと言ったりしている。柄谷がやっているのは、そのための準備なのだ。だが、そんな発言に、わたしは笑ってしまう。当たり前すぎるからである。世界の人々が、戦争によって危機的な状況を迎えたことを認識したとしたら、次に平和を考えるのは当たり前ではないか。確実に死を迎えることがわかったら、ひとは降参する、という論理と、柄谷の言っていることは、どのように違うのだろうか? おそらく、ひとは、柄谷がやらなくても、再びカントであるとか、トルストイであるとか、とにかく過去の平和思想をしらみつぶしに探し出して、その後の秩序のあり方を考えることは確実だろう。世界戦争が終わった後で、かつて柄谷の言っていた「世界共和国」を思い出す、というわけだ。柄谷は、これを「自然の狡知」と呼んでいるのである。
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だが、わたしは柄谷のようにカントは読まない。柄谷の読みは、おそらくもっとも《ましな》読みだとは思うが、それでも、柄谷の読み方はしない。間違っているかもしれないが――そしてその可能性は高いが、わたしはわたしの読み方をする。柄谷の言う「自然の狡知」こそ、ヘーゲルの「理性の狡知」にほかならないと言うだろう。再び、カントからヘーゲルへの道を、彼は意図せずに開いているのではないか。あるいはヘーゲルというよりは、中世への扉を開こうとしているのか? 理性を括弧に入れることと、狂人を牢に括ることは、どのように違うというのだろうか?
「統整的理念」は、実際にカントも使っていた用語だが、カントは、柄谷よりはよほど小さな価値しか置いていない。それは、統整的理念の必要を軽視したからではなくて、たんに、もっと別の重要なことがあったからである。実際、デカルトのような合理論に対しては、「統整的」という用語がきわめて有効であることを否定しない。ただし、この用語の使用が意味するところは、一貫した自己なるものを否定しつつ、習慣にもとづく蚊柱のような主体を打ち立てる、一種のヒューム主義なのである。
カントは、私見によれば、アンチノミーはすべて理性のもたらしたまやかしだと言っている。柄谷のように、どちらも選ばなかった、というのは正確な言い方ではない。デカルトか、ヒュームか、という二者択一に対して、ヘーゲルのように弁証法的に統合してしまうのは論外だとしても、かといって、どちらも選ばない、というのすら正しくないのだ。カントは、《デカルトか、ヒュームか》、という問いこそ、理性がもたらしているのだ、と言ったのである。だから、そうした二者択一を括弧入れによって立場を変えつつ批判する(トランスクリティークする)だけでは十分ではないのだ。つまりむしろ、カントはアンチノミーそのものを全否定しているのであり、問題を、《理性》よりも、もっと《身体》の方へと移行させたかったのである。彼にしてみれば、自己の身体ははじめから世界と接続している。彼が言いたかったのは、柄谷の規定(物自体=他者)とは逆に、物自体とは――自己の自己なき身体である、ということだ。……
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その意味では、わたしの読みは、「器官なき身体」について語ったドゥルーズのそれに近いのだが、別に『判断力批判』に範を仰がなくても、『純粋理性批判』で十分にそのことが言えるという点では、柄谷のそれに近いのかもしれない。いずれにしても、わたしの読みが素人のそれであることには、違いはないのだが。
【註】
- (1) ちなみに、わたしは岩波書店版よりも、批評空間社版の方が好きである。さらに付け加えると『日本近代文学の起源』についても旧版の方が好きだ。