わたしはプラトンの『パイドン』を、若い頃から愛していた。この感動的なテクストは、次のように始まる。処刑が決まったものの、ちょうどデロス島で行なわれる祭礼と重なったために、執行が延期になり、ソクラテスは牢獄でいくらか余命を保つことができた。彼は牢獄に閉じ込められて以来、詩を書くようになったという。そのことを不思議に思ったパイドンたちは、牢獄で毒を仰ぐ当の処刑の日に訪れ、なぜかと問いただした。そこでソクラテスは彼らに驚くべきことを語った。
これまでの生涯において、しばしば同じ夢が僕を訪れたのだが、それは、その時々に違った姿をしてはいたが、いつも同じことを言うのだった。『ソクラテス、文芸(ムーシケー)を作りなし、それを業とせよ』。そして、僕は以前には、僕がずっとしてきたことをこの夢が僕に勧め命じているのだ、と思っていた。ちょうど走者に人々が声援を送るように、この夢は僕に、僕がまさにし続けてきたことを文芸をなすこととして激励しているのだ、と。なぜなら、僕は、哲学こそ最高の文芸であり、僕はそれをしているのだ、と考えていたからだ。しかし、いまや裁判も終わり、神の祭が僕の死を妨げている間に、僕はこう思ったのだ。もしかしてあの夢は通俗的な意味での文芸をなすようにと僕に命じているのかもしれない。それなら、その夢に逆らうことなく、僕はそれをしなければならない、と。なぜなら、夢に従って詩を作り聖なる義務を果たしてからこの世を立ち去る方が、より安全であるからだ。こうして、先ず、僕は現にその祭が行なわれていた神アポロンへの賛歌を作ったのだ。それから、神への賛歌を後で僕は考えた。詩人というものは、もし本当に詩人〔作る人、ポイエーテース〕であろうとするなら、ロゴス〔真実を語る言論〕ではなくてミュトス〔創作物語〕を作らなければならない、と。
岩波文庫、岩田靖夫訳、20ページ
驚くべき、というのは、齢七〇を超えてまだ矍鑠たるこの老人が、死を前にして、知的な探究心を一切失っていなかったことであり、それまでの生涯を否定しかねない夢の解釈に彼自身が達したとしても、飽くことなく、しかもいけしゃあしゃあと、ムーシケーを実践していたことである(わたしは、プラトンのソクラテスの描写は、モデルにされた師自身がどういう感想をもっていたかとは無関係に、きわめて史的に忠実であると考えている――それは、グールドのバッハ演奏にとてもよく似ている)。真理を司るロゴスから、虚構を司るミュトスへ――裁判が真理にまつわるものであるかぎり、この移行はさまざまなことを示唆してくれるが、そもそも彼は、アテナイ人たちに、《真理》を蔑ろにし若者を扇動する《虚構》をでっち上げたことが、死刑に値すると審判されたのだった。ここにあるのは、ロゴスへの絶望や挫折だろうか。しかし、そういう表現が許されるためには、ソクラテスが、それまでロゴスに底なしの信頼を置いていたことが証明されねばならない。だが、この抜け目ない男がそんな迂闊なことをするとは思われないし、この事例そのものが、ロゴス中心主義の存在を反証している、と考えるべきだ。絶望や挫折といった陰鬱な解釈は、ヨーロッパの人間に任せておこう。むしろわれわれは、死を前にしてなお、軽快に踵を返して行なわれたロゴスからミュトスへの跳躍、弟子たちをさえ欺く彼の舞踏に感嘆する。彼には、ロゴスよりももっと重大なことがあった――それが《哲学》であり、そして《文芸ムーシケー》だったのである。ロゴスやミュトスは、その手段にすぎない。わたしは彼とプラトンに、西欧形而上学に伝統のロゴス中心主義、などというものを感じることができないでいる。
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ソクラテスは、さらにパイドンたちに、死後の世界がどのようなものかを、滔々と語る。われわれの世界は、真の世界の窪地にすぎない――画家たちは、真の世界の色の見本を使って、世界を描いている――真の世界においては「この地の色よりも遥かに明るく輝き、より純粋」で――「ある部分は驚くばかりに美しい深紫色であり、他の部分は金色、白いかぎりの部分は白亜や雪よりも白く、同様にその他いろいろな色から成り、それらの色はわれわれが見知っているかぎりの色よりも数も多く、より美しい」。
この世界の外側に広がる真の色彩。ソクラテスによれば、優れた画家たちは、この真の色彩を用いる業をもっているのだという。そして嘆きの河コキュートスや炎の河ピュリフレゲトーンの流れる、恐るべき冥府についても言葉を重ねてゆく。語り終えたあと、ソクラテスは次のような悲劇的な台詞を吐露する。
さて、地下世界に関する以上の話が僕が述べた通りにそのままある、と確信をもって主張することは、理性(ロゴス)をもつ人に相応しくはないだろう。だが、魂がたしかに不死であることは明らかなのだから、われわれの魂とその住処についてなにかこのようなことがある、と考えるのは適切でもあるし、そのような考えに身を托して危険を冒すことには価値がある、と僕には思われる。――なぜなら、この危険は美しいのだから――
ソクラテスは、悲しみに暮れ、彼の死後のことを案じるクリトンに、ソクラテスの痕跡をたどるべきではなく、自己にのみ配慮すべきことを述べ、そして「微笑して」こう答えることも忘れていない。「いいかね、善きクリトンよ、言葉を正しく使わないということはそれ自体として誤謬であるばかりではなくて、魂になにか害悪を及ぼすのだ。さあ、元気を出すのだ。そして、僕の体を埋葬するのだ、と言いたまえ」。こうしてソクラテスは、真理――すなわちロゴスに対しても目配りをしながら、毒を仰いで死ぬ。
嘘はたしかに魂を汚しもする。だが、現状の規定的な真理のために、嘘を恐れ、未来の美を諦めることがあってはならないだろう。というか、ソクラテスにおいて、《美》は、不確かで未規定な未来における《真理》を約束する予言であり指針なのである。ここでは、真と美は、複雑に絡み合っている。ギリシア人は、ミュトスとロゴスを区別できなかった、などという碩学ポール・ヴェーヌのいうような非難はあまり生産的とはいえない。
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ソクラテスは、プラトンの兄グラウコンに対して、『国家』のなかで次のような物語を聞かせている。アルメニオスの子、勇者エルは、戦場で最期を遂げた。だが、屍は十日経っても腐らず、十二日目に生き返った。彼は、その間に冥界で体験したさまざまな奇妙な出来事を語った。オデュッセウスや大アイアスが、オルペウスやアタランテが、ふたたびこの世に生まれ変わる輪廻転生の物語である。彼らの魂は最後に、レーテーの野において、忘却の河の水を飲む。そこで、冥界や生前の記憶は綺麗さっぱり忘れてしまう。この忘却を、ソクラテスは否定していない。というのも、次のように語っているからである。
このようにして、グラウコンよ、物語は救われたのであり、滅びはしなかったのだ。もしわれわれがこの物語を信じるならば、それはまた、われわれを救うことになるだろう。そしてわれわれは、〈忘却の河〉をつつがなく渡って、魂を汚さずにすむことだろう。……
岩波文庫、藤澤令夫訳、372ページ
ソクラテスの目論見は、輪廻転生を信じさせることである。ここから次のような問題が生じる――転生があり、したがって滅びがないにもかかわらず、なぜ《始まり》があるのか。物語(始まりと終わりが必ずある)があるにもかかわらず、それは滅びることがない、ということが矛盾でないとすれば、一体どうしてそれが可能なのか。このカラクリにおいて、もっとも重要な役割を果たすのが、レーテーの野に流れる放念の河の水を飲むこと、すなわち《忘却》である。原初には、忘却がある――かくして、不滅性と始まりとが同時に実現可能となる。ソクラテスにおいて、忘却はかくも重要なのである。したがって、たとえば『パイドロス』において、文字を記憶の術ではなくて、魂に忘れっぽい性質を植えつける想起の術としたことをもって、ただちに文字技術を軽視する音声中心主義を見てとるのはむずかしい(むろん、ソクラテス‐プラトンたちに音声中心主義的思考は確実にあるのだが)。
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ジャック・デリダに、『コーラ プラトンの場』と呼ばれる書物がある。『ティマイオス』において語られた《コーラー》を論じたものである。コーラーとは、ヘシオドスの『神統記』のなかで歌われた、あらゆるものの起源、原初であるカオスを〈抽象化〉した、《場》の概念である。ヘシオドスにおいても、カオス(混沌)とはすでにカスマ(空隙)でもあった。したがって、混沌は空隙を、空隙は場すなわちコーラーの概念を呼び覚ます。おそらくは意図的かつ戦略的に(?)迂回に継ぐ迂回を重ねた結果、コーラーがなにものであるかを名指さなかったデリダに反して、わたしは、これをはっきり名指すべきだと考える。コーラーという〈始まりの概念〉は、むしろ正しく《忘却》と結びついているように思われる。というか、コーラーを《忘却》と呼んだとしても、〈なにかを名指ししたことにはならない〉のだから、回りくどいことをしないで、端的に翻訳すればよいのである。そもそも、ソクラテスもそれを“コーラーkhora”と名指しているのだから。それは、たしかに、なにかいわく言い難いものである。ロゴス(叡知的)でもないし、ミュトス(感性的)でもない。真理でもなく、虚構でもない。ソクラテスのいう「第三の類」としての、忘却。それは、永劫と始まりとを同時に実現する。
人間の力の側からいえば、ロゴスは記憶力の範疇に属し、ミュトスは想像力の範疇に属す。そしてコーラーは忘却の力に属し、それらは想起の概念によって結び合わされている。そして、想起し難いものを想起しようとするとき、われわれは、間違いなく、先にあげた三つの概念――混沌カオスから、空隙カスマへ、そして場コーラーへ――を遡行していく。われわれは、なにかであるにもかかわらず、なにかによって言い表せない《それ》を、忘却と呼んでいるはずである。忘却は、かならずこの回路を通って発見される。デリダは、この概念が哲学の外にあると指摘し、この概念の手前で足踏みしたように見える。というか、飛越すべき境界線の上で、なにかの勘違いで綱渡りをしていたようにしか見えない。だが、ソクラテスは、そうはしなかった。それは、哲学の限界ではなく、哲学に課せられた、哲学が超えるべき境界線である。ロゴスからミュトスのあいだに走る亀裂、カスマ=カオスを軽やかに渡り、そして跳躍するためには、それらの実践を可能にするより広い概念、すなわち《場(コーラー)》の概念がなければならない。ソクラテスの哲学は、まさにここに根ざすことなく根ざしているのである。忘却の手前で足踏みし、それをはっきりと哲学の限界に仕立てあげ、皮肉にも、そして正しくもその哲学をダニエル・リベスキンドの「ベルリン・ユダヤ博物館」に結び付けてしまった彼の〈躊躇〉を超えて、勇敢なソクラテスの哲学は、〈《忘却》から始まる〉のである。
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ニーチェは『曙光』において、こう言っていた。
忘却。――忘却が存在するということは、まだ証明されていない。われわれが知っていることはただ、回想ということはわれわれの力の及ぶところではない、ということだけである。さしあたってわれわれは、われわれの力のこの割れ目にあの「忘却」という言葉を置いた。あたかも能力がもうひとつ登録されたかのように。しかし結局のところ何がわれわれの力の及ぶところだろう! ――あの言葉がわれわれの力の割れ目に位置するとすれば、それ以外の言葉は、われわれの力に関するわれわれの知識の割れ目に位置するのではないだろうか?
ニーチェは、正しく、忘却を「亀裂」と、すなわちカスマ=カオスと呼んでいる。忘却とは、この亀裂を可能にする場であると同時にこの場を満たすなにかを意味する(したがって、場は混沌へと回帰する)。さらに、ニーチェは、「生に対する歴史の利害について」において、プラトンの『国家』について、次のように語っていた。
プラトンは、彼の新しい社会の第一の世代は強力なやむをえざる嘘〔永遠につづく、完全な国家があるという〕の助けによって教育されることが必要だと考えた。…このやむをえざる真理のなかでわれわれの第一の世代は教育されなくてはならぬ。…
輪廻転生を確信し、そうであるがゆえに原因の鎖列に囚われたソクラテス‐プラトン的な人間像において、《第一世代》を実現するためのもっとも重要な概念が、《忘却》であり、そしてそこから生じる嘘、ポイエーシス(生成)を実現するデミウルゴス(創造神)のもたらす、ミュトス=虚構である。なぜわれわれは、人類の創生にエピメテウスという忘却の神を必要としたのか。ヘシオドスたちの伝える人類創生の神話ほど、快活な笑いに満ちているものはない。人間を過信する兄プロメテウスと、動物に味方する弟エピメテウス――品と位に満ちた、二人の兄弟の神話。『神統記』、それは神の賛歌に名を借りた、忘却する人間の礼賛なのである。アテナイ民主制崩壊のなか、ロゴスに溢れ、《批判》が機能しなくなった世界において、新たな創造を担うのは、これまでずっと創造を事としてきた芸術以外にはありえない。「やむをえざる嘘」――「この危険は美しい」――齢七十を超えてまだ先へ先へと突き進んでいたソクラテスが到達した頂点、それは《文芸ムーシケー》だった。