いかにもぼくが好きになりそうな映画。静と動、言葉と映像、主体と客体、記憶とイマージュ、現実と思想、オブジェ(事物)と人間、アジアと欧米、男と女、売春とロシア人種、存在と非在……。あらゆる二項対立を画面の中に同時に収め、そのあいだにある何かを捕らえんとする姿勢はまさに80年代以降のJLGを髣髴とさせる。スタイリッシュでポップな色使いといい、必要最小限でありながら確固たる場所を持つ音楽といい、哲学的ガジェットのちりばめられた脚本といい、これを好きにならずして何を好きになろう? この作品に主人公はいない。ただ、女性という記号がかろうじてその役割を担うのみであり、彼女は前半部において主体と客体の狭間で不安に分裂する自分に悩み、後半部においてはその幸せな融合を試みるも、彼女の夫によって、それが空疎な混同に過ぎないと知らされる。そう、ここにあるのはサルトルとメルロ・ポンティの対立の縮図である。……
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監督・脚本:JLG
撮影:ラウル・クタール
録音:ルネ・ルヴェール、アントワーヌ・ボンファンティ
音楽:ベートーヴェン
編集:フランソワーズ・コリン、シャンタル・ドラットル
出演:マリナ・ヴラディ(ジュリエット・ジャンソン)、アニー・デュペレー(マリアンヌ)、ロジェ・モンソレ(ロベール・ジャンソン)
製作:アヌーシュカ・フィルム、アルゴス・フィルム、レ・フィルム・デュ・キャロッス、パルク・フィルム
1966年/フランス/90分/カラー/テクニスコープ