1990年の冬、再統一を遂げたドイツを唯一撮りあげた映画(といわれている)。もちろん、ロッセリーニへのオマージュ。80年代以降のJLG映画の到達点ではないか。最後まで非常に興奮して見終えた。JLGの映画への倒錯的な愛情はそもそもの始まりからすでに存在していたが、タイトルや自分の過去の映画(アルファヴィル)、果てはレミー・コーションの最初の登場作からの引用も含めて大量の引用の洪水は半勃起的な快楽とその切断の洪水でもあり、われわれは数秒ごとに息をつかせず登場する引用の高速度の回転に飲み込まれてしまうだろう。ちなみに東から来たメイドのセリフ、「労働すれば自由になれる(Arbeit macht frei)」はナチスが収容所の門に記した言葉である。これらの引用はドゥルーズ的な意味で間違いなく差異の反復であって、再現でなく新たな生成を意味している。JLGは言った。映画でしか歴史は語れないと。歴史をエクリチュールにするときに言葉がはじめから内含している時系列的な陥穽から、JLGは音楽をヒントに抜け出そうとする。その答えはこの『新ドイツ零年』を経て、『映画史』に完成されているはずである。いまや終焉にさしかかったといわれて久しい「歴史」は、JLGの映画をもって、エディ・コンスタンティーヌの役者としての人生最期の輝きとともに、ふたたび命を灯されるかにみえる。
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監督・脚本:JLG
撮影:クリストフ・ポロック、アンドレーアス・エルバン、ステファン・ペンダ
録音:ピエール=アラン・ベス、フランソワ・ミュジ
音楽:ギャヴィン・ブライヤーズ、ジャチント・シェルシ、リスト、モーツァルト、バッハ、ストラビンスキー、ヒンデミット、ベートーヴェン、ショスタコーヴィッチ
出演:エディ・コンスタンティーヌ(レミー・コーション)、ハンス・ツィシュラー(ゼルテン伯爵)、クラウディア・ミヒェルゼン(シャルロッテ/ドーラ)、アンドレ・ラバルト(語り)
1991年/フランス・ドイツ/62分/カラー/ドルビーステレオ/スタンダード