「真実以外は何も語らない…」というジャンヌ役のファルコネッティの言葉は、それ自身が真実であるかのように思える。つまり、この映画そのものを、真実の高みにまで昇らせる、悲劇的で、かつ野心的な発言に思える。この古い映画は、連続するフィックスショットに映し出される役者の表情に、まさに触れんばかりに、悉くクロースアップで撮るという手法で、この主題を描ききった傑作である。ジャンヌ・ダルクの歴史的事実がいかなるものであったにせよ、ファルコネッティがみせる、神と死と孤独への悲しみ、恍惚、恐怖、疲労、そして無感情の表情は、それ自体が彼女の真実であるように思える。ぼくは表象=再現前化の世界を信じない。だけど、80分間泣き通しの、この圧倒的なファルコネッティの感情表現の迫真さを、どう考えればいいのだろうか? 演じられた涙があんなにきれいなんて。
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監督:カール・テオ・ドライヤー
出演:マリー・ファルコネッティ
1928年/フランス/白黒