ヒッチコック『ダイヤルMを廻せ!』

cinema
2001.02.07

行動イマージュの完成はここに示されたといってよい。3Dフィルムと呼ばれるほどの映画的空間の精密さ、最大限に活用される光と影、寸分の隙のないフレームワーク、あるべくしてある音楽/音響、どれをとっても非の打ち所のない、完璧な「映画」が示されている。ヒッチコックは、映画を完成させ、新たな時代の幕開けを告げるだろう。いや、まったく、見事というほかない。もはや後に残されているのは、「映画」の脱構築しかないと感じたとしても、無理はない。ヌーヴェルヴァーグは、しかし、そのような地平から、文字どおり新たな強度を獲得するほどの絶えざる脱コード化を繰り広げ、ついにはゴダールのような天才を生むわけだけども。たとえば、アラン・レネなどは、いみじくもドゥルーズが評価しているように、ヒッチコックの映画的映画のベクトルをちょうど反対にしたような場所にいるのかもしれない。おそるべし、ヒッチコック。なるほど、トリュフォーほどの男が、自らのオイディプスとして受け入れたわけがよくわかる。だとすれば、トリュフォーはイエスにとってのパウロだったのだろうか。今日の映画の流れの一方は、あきらかにヒッチコックを通した、いわば“トリュフォー教”のようなものといえるかもしれない。「アメリカ人は彼のことを‘ヒッチ’と呼びます。しかし我々は敬意を込めてこう呼びます。‘ムシュ・ヒッチコック’と」。……とりあえず、モナコ王妃グレース・ケリーはきれいでした。

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監督:アルフレッド・ヒッチコック
原作・脚本:フレデリック・ノット
音楽:ディミトリ・チョムキン
撮影:ロバート・バークス
出演:レイ・ミランド、グレース・ケリー、ロバート・カミングス
1954年/アメリカ/105分/カラー

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