プラトニズムを追求すれば、ひとは外へ出てしまう

philosophy
2008.08.21

いつしか、わたしは不思議な感覚に囚われるようになった。それは、歴史よりも、文学のほうが、大きな概念なのではないか、ということだ。なぜ、ホメロスは、歴史家ではなく、文学者と呼ばれるのだろうか。『イリアス』は、なぜ、歴史書ではなく、文学なのだろうか。また、歴史家と呼ばれるヘロドトスやトゥキュディデスは、ドキュメンタリー作家と同じことをやったと考えてよいのだが、だとするなら、史料=テクストから《実態》を構成しようとする近代の歴史家とも同じことをやったと考えてよいのだろうか。

われわれは、歴史や文学を、十把一絡げに《物語》と呼ぶことがある。だが、歴史と文学は、まったく異なる概念である。それは、一方が事実を、他方が虚構を扱うからではない。むしろ、そのちがいは、両者が生成される瞬間にある。一方の歴史は――とりわけ近代の歴史学は、一般的には、残されたテクストから、《実態》を生成させようとするものである。逆に文学は、一般的にいって、出来事を言葉に封じ込めようとするものである。つまり、端的に、逆の運動である。かつてジャック・デリダがいったように、テクストに外部はない。これは正しい。だが、外部を言葉によって表現しようとすることは、まったく別の問題である。問題構成がそもそも異なっている。したがって、「音声中心主義」批判を文学に拡張することは、じつは許されないはずである。自分の声を聞くことが、差異(差延)を実現し、言葉(声)を実現するとして、それが、意味とシニフィアンの(悪)循環を構成する、という理論は、文献学の批判としてはつねに正しい。つまり、文献学的な歴史は、結局は、「音声中心主義」的な閉じた円環がつくる物語に過ぎない、そして言葉は、ついに「比喩」であることを越えることができない。

だが、「物語」と言ってしまった瞬間に、歴史が文学と混同されてしまう。文学は、はじめから「物語」だったからだ。歴史は、期待しているほど真実に似てはいなくて、「物語」にすぎなかった。それを認めるとして、ならばはじめから「物語」だった文学も、同じように真実ではないものとして非難することは許されるのだろうか。もちろん、そうではない。むしろ、デリダの観点を忠実に踏襲するなら、じつは、文学の方が、真実にもっと似てくるはずなのである。なぜなら、文学は、どう考えても、音声を文字に変換する実践的な運動(すなわち言文一致運動)だからだ。端的に、文学の実践は、音声中心主義批判の実践なのである。つまり、デリダがただ理論的に口にしたにすぎない音声中心主義批判を、実際に行なってみせていたのは、しかもデリダが言い出すよりももっとはやくに行なっていたのは、文学なのである。

しかし、多くのデリダ主義者たちは、誤りを犯した。言葉は比喩にすぎない、というデリダのテーゼを、文学にも拡張するという、怠慢をやってのけたのである。それを聞いたら、本当の文学者はきっと腹を抱えて大笑いしたことだろう。「アーハッハッハ、イーヒッヒッヒ……。そりァそうですよ、言葉は比喩に決まってるじゃないですか。なにをそんな大そうに言ってるんです?」

デリダ主義者の批判以後、文学者は、ついに笑い死にしてしまった。

われわれは、なにはなくとも、自然を目ざす。しかし、歴史の運動は、そうした自然に対する欲望をブロックする。なぜなら、テクストの外部はない――「ない」という言い方がまずければ、《物自体》と言ってもいい――からだ。テクストから出来事=自然を目ざそうとしても、われわれは、テクストから出ることはできないのだ。テクストの探求は、むしろかえって、自己認識――歴史認識を構成する。学校の教師が教えるような歴史学をひとたび忠実に実践すれば、出会うのは、客観的な真実ではなくて自意識ばかりであり、またそれで正しいのである。歴史学者がいう客観的な事実など、通例の手続きに則ったものというだけにすぎないし、また、歴史学者は、自身の結論が、客観的な事実ではありえないことを、実際には重々承知しているものなのである。実証主義者がいう《実態》とは、結局は歴史認識のことであり、そして、「あなたの言う《実態》とは、歴史認識のことではありませんか」という人間が、思想史家と呼ばれるひとたちである。つまり、よく考えてみると、《実態》と歴史認識は、同じものなのだ。そして、だとするなら、実証主義者と思想史家も、同じ人種でいがみ合っているだけ、ということになる。

ここから、歴史とは、イロニーの運動である、というテーゼが成立する。すなわち、自然を目ざしながらそこを迂回する、否定の運動である。つまり、歴史とは、徹頭徹尾、《批評》的なものなのである。ここでは、どうしても、理論は現実ではない、という考えに食指が動いてしまいがちになる。言葉は現実ではなく、理論も現実ではない、したがって、歴史とは歴史認識のことである……。こうした思考は、ヘーゲルにそっくりである。そして、出口なき道を進みながら、それを自壊させることで脱構築する、という考えも、ヘーゲルにそっくりである(とわたしは思う)。なぜなら、出口なき道を自壊させたあとも、痕跡だけになった道から出ることを、デリダは許していないからだ。そこから出てしまえるのなら、そもそも、出口なき道は自壊してくれるくれない以前に、成立もしない。

文学者はいう。言葉は比喩だとして、ならば、自然はなんなのか、と。人間は、猿にそっくりだ、と文学者はいう。文学者にとって、人間は、猿の比喩なのだ。わたしは何が言いたいのか――要するに、自然は、すべて比喩でできている、ということだ。自然科学者と同じように、文学者もまた、人間が猿の比喩であることを認める。自然そのものが、つねに-すでに、なにものかの比喩なのだ。マルクスが、「人間の解剖は、猿の解剖に役立つ」と言ったとき、これがきわめて優れた文学的な比喩であることを、誰が理解しただろうか。だから、言葉は比喩にすぎない、という指摘をしたって、とりたてて意味がない。自然もなにものかの比喩だからである。マルクスをもじっていえば、文学の探求は、自然の探求に、役立つのである。あるいはこうもいっていい。つねになにものかのイデアを思考し続けるプラトニズム、永久にとどまることのない連鎖をつづける、この《プラトニズムを、本気で追求すれば、ひとは、外に出てしまう。》不思議なことに、プラトニズムは、プレソクラティクスに合流してしまうのだ。

言葉は出来事である、言葉は自然である――嘘でもいいから、そう口にしてみよう。後のことは、わたしが責任をもつ。もはや、こうした思考は、弁証法とも、脱構築とも、まったく関係がない。なぜなら、はじめから、《外》に出ているからである。つまり、《自然》なのだ。だから、ヘーゲルのように、外に出ようとすることは問題ではないし、デリダのように、内側にとどまり続けることも、問題ではない。弁証法や脱構築が、いかに優れた手法であろうと、わたしのいう言葉=出来事という奇妙な思考は、それとは無縁なのである。

歴史よりも、自然の方が大きな概念である。そして、このテーゼが成立するのなら、同時に、歴史よりも、文学の方が大きな概念である、ということも成立する。歴史=批評<自然=文学、というわけである。

しかし、こんなことをいっても、ひとは信用しないだろう。文学に対する過剰な偏愛だというだろう。そのとおりだ。中上健次は、かつて、折口信夫を「偏愛」していると言った。そのとき、わたしは、彼がわたしと同じ道を歩んでいることを確信したが、たしかに、「偏愛」にはちがいない。だが、そんなことはどうでもいいことだ。わたしは、なによりも、《出来事》になりたいと思っているからだ。それは、歴史に残るということではないし、歴史家になることでもない。たんに、《自然》とひとつでいたいと思っていただけだ。文学のことなど、それほど強く考えていたわけではなかった。ただ、気づけば、こんなところにいた、というだけのことだ。

それにしても、本当に不思議で、奇妙な思考である。文学のほうが、歴史よりも大きな概念なのだ。……

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