学問が専門に分化し、分業を前提にした学者のコミュニティができた。専門のなかに閉じこもっている学者が考えるのは、せいぜい隣接領域との交流だ。だが、学者の多くが気づいていないのは、それらが前提しているのは、どのみちそれらを横断するとしても境界であって、交流したとしても、それも学問の都合にすぎない、ということだ。
◆
ほんとうに前提しなければならないのは、世界のほうである。むしろ、世界の変化を肌で感じながら、おのおのの専門分野をそれに対してもっと柔軟にする努力が先であり、あるいは世界の変化にもかかわらず揺るがぬ専門家の信念を淳化させるのが先である。
人類がしばらく忘れていた、世界規模の疫病騒動のさなかである。いま一度、社会とはなにか、人間とはなにか、と考え直す機会にすることが、社会同様に大きな打撃を被った学問にできる、せめてもの第一歩であろう。
◆
世界は大きな混乱のなかにある。世親の倶舎論を信じるなら、飢饉や戦争は連続する。これらが身近なものとなる可能性は十分にある、といわねばならない。疫病の真の問題は、疫病を恐れる人間の精神だからだ。この恐怖は、そのまま人間への恐怖となる。恐怖は、ウイルス以上にたやすく人間に伝播する。エンペドクレスのいう愛と憎悪とが、ニーチェのいう同情と恐怖とが、その交錯を激しくする。
◆
危機的な状況にあると思う。
◆