世界救世経から分離した神慈秀明会の本拠に隣接するMIHOミュージアム(滋賀県信楽)を訪れる機会を得た。わたしは基本的にローマ人と同じで、「わたしは無宗教である」と語る必要を感じないほどに無宗教の人間であり、ましてや新興宗教にはほとんど興味のない人間である。ただ、そのコレクションがあまりにも振るっているというのを聞いたのと、たまたま持ち回りで小林秀雄(の骨董)展を開催していたため、その展覧会の終日に、重い腰をあげたというわけだ。
それにしても、この金の使いようは尋常ではない。ついついその出所を詮索する気持ちになってしまうが、それにしたってI.M.ペイの設計した建築はすばらしいものだ。信楽の山間にあって、深い谷底を両手に眺めながら、巨大な、そしてきわめて洗練された造形美を誇る橋とトンネルを抜けると、そこには、オリエンタリズム(あるいはペイの皮肉?)を融合させた少々いびつな、そして意外なほどこじんまりした(しかし、その内装と内容物のゴージャスさには度肝を抜かれることになるだろう)エントランスをもつ美術館が現われるといった仕掛けである。
エントランスをくぐると、ガラス越しに映る峰の向こうに見えるのは、ワールド・トレード・センターの建築家であるミノル・ヤマザキの設計した神殿である。もちろん、そこには用はない。常設展にあるユーラシア美術の数々と、そしておそらく、そこにあっては、まるで冗談かなにかのように貧困にみえるであろう、小林秀雄の骨董である。
古代エジプト帝国に始まり、ペルシア帝国、ローマ帝国、そしてアフガニスタンからインドを抜け、中華帝国にいたるそのコレクションの豪奢かつ雄大な、そしてときに繊細な動きをみせるコレクションの数々には、思わずため息をもらしてしまう。エジプトの神殿の最奥部に安置されていたという宝石をちりばめた純銀のホルス像。知人によると、アラブの石油王とのオークションに競り勝ったというのだから恐れ入る。また、ペルシアの帝王が使用したであろう、きわめて微細な紋様を描く――おそらくスキタイの技術を輸入して作られた純金の巨大な杯や馬具の数々。現代のアメリカ帝国があまりに貧しく見えてしまうのはけっしてわたしだけではあるまい。床や壁にはローマのポンペイ等々から持ち出されただろうフレスコ画やモザイクが埋め込まれ、快活な表情をみせる美しい大理石が見るものを晴れやかにする。そして中華帝国のパートでの圧巻は、巨大な、おそらく北魏様式の菩薩立像である。この石灰石の菩薩が浮かべるアルカイック・スマイルの迫力に圧倒されない者は少ないだろう。
もちろん、この一連の美術品がもつ豪奢に眼を奪われるのもよいだろう。あるいは、こうした雄大なコレクションに一貫して底流する――強大な帝国とそのあいだを行き来する遊牧民との潜在的交流が可能にしている――ユーラシア文明的美学に思いをはせるのもよいだろう(“文明”と名指されるものは、きまって、帝国的なものだ)。わたしはそのとき、何を感じていたか? おそらく、わたしがずっと心に抱いていたのは、貧しさだったと思う。
はたして、この言い方が正しいのかはわからない。帝国中心部に集積された莫大な富や財宝が、あるいは大量に投下される技術や資本が、周辺部を圧倒する。こうした図式は昔も今も、ほとんど変わりがない。そうした財力を逆説的に貧しいと語ることも、こうした図式自体に貧しさを指摘するのも、それはきわめて平凡な身振りでしかない。そしておそらく、帝国の周縁部にあった都市国家や遊牧民たちは、本当に貧しかったのだ。そこでは、テロや略奪が、必然的な構造として認められていた。エジプトやペルシアの帝国の周縁に位置するギリシアのさらに周縁にあった、共和政時代のローマをみれば、それはすぐにわかるはずだ。彼らは年中戦争し、そして富や女を略奪して回っていたのだ。われわれは、この展示品がそうであるように、ギリシアと言えばアッティカ帝国をなしたアテネしか見ない。ユーラシア文明といえば、帝国のそれをしか見ない。アテネの民主制を可能にした、あるいはユーラシア文明を可能にした下部構造を見ないのである。それは、今日の民主制がいかにして可能であるかを見ないことと同じである。それが可能になっているのは、どう考えても、自由教の教祖である、アメリカ帝国のおかげなのである。
小林秀雄が、貧しく、そして畸形的なものを愛したことは、同時期の保田輿重郎や亀井勝一郎が、ローマ帝国の堅牢で構造化された石橋ではなく、貧弱な日本の橋を愛し、そして戦場の焼け野原に屹立する石灯籠を愛して敗北への戦争を賛美したのと、紙一重の態度であることは言うまでもない。われわれはしかし、アッティカ帝国をなす以前のアテネが、あるいはローマ帝国をなす以前の共和政時代のローマが、きわめて貧しく、きわめて貧弱な灌漑農耕技術しかもたなかったという事実を、そして帝国にも増して戦争ばかりしていたという事実を、どれくらい認識しているだろうか?
見る者の目を奪う豪華絢爛たる常設展のコレクションと、貧しく畸形的な小林秀雄の書画骨董の数々を共に眺めながら、わたしは思いをめぐらさずにはおれなかった。つまり、おそらく、今も昔も、そして未来も、変わることなくわれわれを捉えて離さないものでありつづけるだろう、豊かさと貧しさの、あまりに凡庸な一対の概念について、である。