伊勢神宮へ

diary
2014.09.08

一昨日、車を飛ばして今年遷宮を迎えた伊勢神宮へ。二日かけて、外宮と内宮、そして伊雑宮をまわる。

神社の気に入っているところは、参道を歩くことである。寺院が提供するのは伽藍だが、神社は道しかない。ひとの目を楽しませる建築物はほとんどなく、せいぜい、弥生時代以来の形式を残した棟持柱に代表される、原始的なものがあるにすぎない。自分は青年時代に何度も通り過ぎた下鴨神社の糺の森を気に入っているが、いずれにしても、道の先に岩があるのか、水があるのか、森があるのか、海があるのか、それとも山があるのか、それらは神と名指されはするけれども、けっして自然以上のものにはならない。自動車も鉄道もなく、自分の足で歩くしかない、近代ではあまり出くわさなくなった、そうした事態をかろうじて提供しているのが、神社であるように思う。すなわち神社とは、《旅》それ自体であり、鳥居は、時に閉ざされもする門ではなく、ひとつの、あるいは無数の、そしてたえざる開口を意味している。ひとは、そこを過ぎ去る風のように、通り抜け、そしてまた出て行く。

ise-jingu

われながら可笑しいが、自分は右傾化したろうか? 保田与重郎が笑っているかもしれない。否、たんに左右のイデオロギーや権力のする抑圧といった観点から自由になりたくなっただけである。保守主義にはずっと昔からうんざりしているが、左翼にも飽き飽きしてきた。石段をあがる。拝殿の前に立つ。目を閉じて手を叩いても、なにも浮かんでこないし、自分のことを考えようとさえ思わない。しかしこれほど神社に興味を抱くことになろうとは、思ってもみなかった。自分は歴史を子供のころから愛していた。大人になって、歴史への思いは、楽しいばかりではなくなってしまったが、その分だけずっと真剣になった。

日本の神話の重層性は、ギリシアの神話の重層性と同じく、人間が元来もっている生活の奥の深さとそのまま一致しているように思えてきた。自分の愛しているそれが、歴史と名指されるべきなのか、じつは特定する必要を自分ではあまり感じていないが、古来、物事を真剣に考えようとするとき、ひとは歴史を紐解いたのだということを、固く信じている。ニーチェにはじまり、ベンヤミン、フーコー、そしてドゥルーズ。自分の好んだ哲学者はみな、それぞれの形で、歴史そのものに取り組んでいた。日本に生まれたわたしの思考の道筋が神社をたどることになるのは、なかば必然であろうが、しかし、そこで終わる気はしていない。もともと神社はそのような場所ではないからである。神社とは、民衆にとって、《旅》の口実であった。幾万のひとびとが通り過ぎ、そして死んで行く、その道程それ自体であった。

自分は歴史家として生長しているか? そう自問する。応えはなかった。前進することしかできない。ベンヤミン流にいうなら、後ろ向きに、ということになるか。ドゥルーズは、ニーチェを引き合いに出しながら、他人の背中をみていると、子を孕ませるような、そんな邪なことをしたくなる、と言っていたものである。歴史と子をつくる? わたしの歴史についての自問は、もしかしたら、そんな淫らなものであったかもしれない。

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