ジャーナリズムが《文学》の堕落した形態のひとつなのはたしかである。《文学》は虚構をあつかうのではない。むしろ嘘を吐いているときでさえ、真実を語ろうとすることが《文学》である。しかし、真実を語ろうとするあまり、実際に起こったことしか語らなくなるなら、ジャーナリズムに堕してゆく。世界には、起ころうとして起こらなかったさまざまな出来事がある。起こることと起こらないこととの境は明瞭ではなく曖昧であり、出来事のあるなしを決めるのは、多くの場合、権力である。権力をある程度擬人化することを読者に赦してもらおう。つまり権力のことを権力者と言うが、彼であればただ手遊びに心中で考えたことが出来事といわれることがあり、持たざる貧者であれば、肉体に深い傷を負うようなことがあっても、出来事とは認められないことがある。権力者の精神はより物体的にひとに作用し、非権力者の肉体はせいぜいあるかなきかの霊的なものとしてしかひとに作用しない。権力者の嘘は実際に何ごとかの不快な波を周囲に引き起こすが、非権力者の場合は事実さえ大海に吸い込まれ小石の波紋も引き起こさない。
《文学》が、持たざる者のもたらす出来事へかける優しいまなざしを失うなら――つまりありきたりの事実のなかに逃げ込み、風変わりな妖精たちのささやきに耳を閉ざすなら、その瞬間にそれはジャーナリズムと呼ばれることになる。だが、ジャーナリズムが公定の事実を疑い、その陰に隠れた民衆のささやきに耳を傾けるなら、それは著しく《文学》に似通ってくる。こうした《文学》の存在に気づいたわずかなひとたちは、いまでは《フリージャーナリスト》と呼ばれている。既存のジャーナリズムから自由な彼らは、ひとが考えなしに事実とみなすもののなかにおぞましい権力の姿を感じ、ひとが嘘とみなし犯罪の汚名を着せようとする者たちに深い同情を寄せる。彼らは真実とそうでないものとの境界をゆるがせにする。ひとが虚構とみなしてきたものの側に、その境界線を力強く押し広げる。その意味で彼らは、かつての文学者がそうであったように、認識の王国を広げる孤独な開拓者でもある。わたしは彼らに《文学》を感じている。彼らはそう呼ばれることを悦ばないだろうし、それは《文学》が託つ悲劇であるとしても。
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この世に現われようとして、直前で潰えた革命がいくつもある。それは出来事とは言えないものかもしれない。しかし時代や場所が違っていたら、どうだったか。革命だったと言われえたのではないか。《自由な》ジャーナリストたちは、広場に集まった人びとの数を数えていく。数万のひとびとがその広場を埋め尽くし、そして政府はその数と同じかそれ以上の弾丸で人びとを広場から一掃した。たしかに、広場はもとの、つまり平穏な喧噪を取り戻した。革命は起こらなかった。しかしもしかしたら、これから続いていく革命の一場面だったのではないか。なぜなら、弾丸の数はいつか尽きるとしても、民衆の数は尽きることがないからだ。政府による弾丸の一対一対応ではなく、数による一対一対応を、《自由な》ジャーナリストたちは実現する。彼は新聞に、広場に数万人のひとびとが集まったと書いた。かくして民衆は、《自由な》ジャーナリストを探す。自分を数えてくれと、つまり自分をこのデモのメッセージそのものとして数えてくれと、そう訴えるようになる。弾丸の餌食にではなく数の餌食にしてくれと、そう訴えるようになる。民衆は支配者にメッセージを伝えにきたのではなかった。おのれの肉体を言葉に、とりわけ数に変えてくれることを願って、広場に集うのだ。支配者に対する言葉を民衆は持たない。支配者のあいだで日々交わされるおぞましい言語は口に上らない。むしろ、唯一の武器の肉体を、言葉にして投げつけたい。
現実に実行される手前で(つまり暴力に至る手前で)行なわれる可能的な実行を意味するデモンストレーション、現実に移行されるときに発揮される力の《実証》を意味するデモンストレーション。権力者どもが事実と事実でないものとを分割するその仕方を逆手にとって、彼らは彼らの唯一の暴力を権力者には見えないところで使うのだ。すなわち、肉体を言葉に、とりわけ数に変えることによって。
変革を実現する民衆は、おのれが一以上になることはなくても、一を下回ることがないことを知っている。そして肉体の数を数えているとき、数える者もまた、おのれを数え上げる。権力者も非権力者もなく、誰もが一を下回らず、なおかつ一を超えることがないことを知ったとき、つまり国王でさえ、一と数えられると知ったとき、そのときには、変革は成就していよう。もっとも弱いものが集うことで成就する革命には、どうしても、苦労して帰納的に数を数える者の存在が必要である。それはジャーナリズムからさえも自由な、つまり客観性を確保するためには中立でいるよりも民衆に肩入れすべきだと考えているような、ほんの一握りの非ジャーナリスト的なジャーナリストである。民衆は、かつての、自然な――つまり、それを行なう本人たちさえ気づいていないジャーナリストとの共犯関係を、ふたたび取り戻さなくてはならない。いまや国家に奪われてしまった客観性の語を、ふたたび民衆の手に奪回せねばならない。
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ジャーナリストはすぐ統計学者と結託し、その力を自分たちのために使う方法を編み出す。世論調査といわれるアンケートである。統計学といっても、それは、かえって数を数えないですむ方法である。そこでは、サンプルの取り方を工夫したり、集団的無意識を利用したりすることで、自分たちに都合のよい少数の意見を大きく見せる方法がいくらでもある。客観性のためには権力者からも民衆からも独立でいるべきと、暴力の偏った独占には目もくれず、澄ました顔で中立を気取り始める。こうして彼らは事実を作りだしていく。もともと事実とは、権力によって引かれた嘘まで含めた無数の出来事の分割線であった。この分割線を引く権力を、革命はジャーナリストたちに与えた。なぜなら彼らこそ革命のための最後のピースを埋めたからである。ジャーナリストは裏切る。しかしこれは、政府にも民衆にも肩入れしないでいることこそ客観的であり、事実のために不可欠だと考えるような気取り屋の、誤った前提をもとに働かせる弁証法から来る、必然的な裏切りである。
だから本当のジャーナリストは、ついにはジャーナリズムの皮を自ら剥いで、事実と虚構の分割線を揺るがせにするコメディアンへと変身を遂げねばならない。要するに、彼は文学に跳躍する勇気をもたなければならない。彼はおのれを文学者と呼ばれることを好まないだろう。わたしの讃える自由なジャーナリストたちは、それでも文学の領域に突入することを、すこしも恐れはしないだろう。
民衆は悲痛な叫びを聞き逃さない耳をもった、自由なジャーナリストを求めている。広場に集う民衆を一から数えてくれるような、いつまでも若々しく、辛抱強い、そして反権力的なひとたち、つまり文学者であるようなジャーナリストを。
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フランスの歴史家ジュール・ミシュレは、革命の報に接したカントのエピソードを、次のように伝えている。
北の海の果てには、奇異にして強力な被創造者がひとりいた。ひとりの人間? いや一つの体系だ。骨っぽい、厳格な生けるスコラ学。一つの岩石。バルチック海の花崗岩をダイヤの鑿で削りとった岩礁。あらゆる宗教、あらゆる哲学がこれに接触し、難破してしまった。そして岩礁のほうはびくともしていない。人よんでこれをイマヌエル・カントと言う。彼は、自分のことを『批判』とよんでいた。六十年ものあいだ、いっさいの人間的接触をもたないこのまったく抽象的な存在は、いつも正確に同じ時間に外出した。そして、だれに話しかけるわけでもなく、一定時間きっかり、まったく同じ道筋を散歩するのだった。町の古びた大時計の、鉄の人形がひょっこり首を出し、時を打ち、そして内へひっこむようなあんばいである。ところが奇妙なことにケーニヒスベルクの住民たちは、ある日、気づいたのである、この惑星が軌道からはずれていることに。世紀にわたる道筋からとびだしていることに……。彼のあとをついてゆくと、彼は西のほうへ歩いてゆく。フランスからの飛脚のやってくる道のほうへ歩いてゆくのだった……。カントが感動し、気づかい、まるで女のようにニュース知りたさに街道へ出むくとは、おお人類よ! これこそ、驚くべき、ふしぎな変化ではなかったか。
カントは飛脚によってもたらされたニュースによって、つまりジャーナリズムによって、革命を知った。そうして、このスコラ学者が打ち立てた悟性という分割線を自ら抹消する、かの『判断力批判』は書かれた。ケーニヒスベルグにあって不動のカントを揺るがしたジャーナリズムなしには、この書はありえなかったのである。