古典主義について(新しい建築家のために)

philosophy
2011.05.05

黄砂のなか尾道を旅した。志賀直哉に会いに出かけたのだが、それ以上に、いま日本で起きている騒動が重なった。瀬戸内のあのあたりは元来災害の少ないところときいている。だがもし津波がくれば、あの不思議なまちは元通りにならないだろうと思った。あのまちに残された文学の痕跡を誰が受け継いでいるかと思ったからだ。

駅の南側は再開発されて真新しくなっていた。大規模な災害でもおこれば、いまやあの調子で再建するほかないのだろう。便利だが魅力はない。魅力より便利が優先される昨今だが、ならではの魅力を捨て去るならひとは旅などしなくなる。旅の概念は消滅する。それ以上に、あの手の硬直した「利便」がかのまちにある必然性がない。けっきょく、ほかのまちと同じことができるのを「利便」といっているだけで、本当に便利なのではない。不思議なもので、観察のツールであるはずの経済決定論を延々と論じつづければ、本当にこのシナリオに沿った茶番が演じられる。原発の周囲に、基地の周囲に、金がばらまかれる。ひとは金をみてよろこぶ演技を強いられる。要するに、観察のツールというより、支配装置である。

かつて文化はナショナリズムによってねじまげられた。いまでは経済によってねじまげられる。マルクス主義がなくなって、裸のマルクスがあらわれるかと思いきや、あらわれたのは裸の経済決定論である。この概念を発明したのはマルクス主義だが、主人がいなくなって、この概念は我が物顔で反り返って歩いている。

残すべき古典があるというより、残される偶然を愛顧することが日本の文化である。

わたしは戦後の近代主義より戦前のそれを愛するが、それは戦前のひとびとがヨーロッパを永遠の真なるものとして認めていたというのではなく、かの地域を、中心(中国)を喪失した世界という現実の比喩として眺めていたからである。古典とは、空間的にも時間的にも完全に隔てられた時代の作品がタイムマシンでも使ったかのように、いまに残っていることである。もはや同じものの再現は不可能であり、現代は、それを崇めるより利用し奪うことを選ぶ。もし古典主義が古典に対する拝跪でなく現代を肯定するための主張というなら、戦前の近代主義は、まさしく古典主義的だった。

ヨーロッパの古典主義は、独自の科学と芸術とを爆発的に開花させた。近代日本人にとっての古典はヨーロッパであった。そして実際に独自の科学と芸術とを開花させた。古典主義者は知っている。芸術が模倣にすぎぬことを、そして芸術がけっして模倣に終わらぬことを。この不思議な智慧は革命に似ている。

古典を第二の自然とみなす精神こそ、古典主義の精神である。「第二の自然」はただの自然でもないが、ただの人工とも異なる。この感覚が、古いものも新しいものも生かす精神に結実する。ひとはたえず「第二の自然」を生み出す。それを文化と呼ぶときがあるが、この場合の文化は自然とは対立しない。

戦後の近代主義はこの感覚を失う。アメリカも加えた西欧を、けっしてたどりつけぬ普遍的な理念の象徴として理解するようになる。彼らは戦前よりもよほど正確にヨーロッパを知っている。知っているがゆえに、ますますたどりつけなくなる。かつてほとんど知る由もないがゆえに、たどりつくことが夢と同義だった時代とは異なっている。たとえば自然なプロセスを経てたどりついた欧米の民主主義を、「上から」人工的に植え付けた日本の民主主義に対置する。この観点では文化はついに育たない。すべては模倣に終わり、文化は紛いものとなる。文化を《紛いものとして肯定する》屈折した身振りしかとりようがなくなってくる。

真なるもの、あるいは一なるもの。これと紛いものを対置させる戦後の近代主義では、文化はついに紛いものにしかなれない。ギリシアや中国のような起源を追い求めても、けっきょく模倣すらできぬ。それを否定的にとらえ、おのれをせいぜい第三のものと定義する。たとえば作品に対する「批評」がそうだ。芸術作品が自然の模倣なら、批評はまさに《第三のもの》だろう。

だが、自然の模倣を「第二の自然」という言いかたで肯定する古典主義において、あらゆる人間の行為は「第二の自然」と呼ばれることになる。人間のすべての営為が「第二の自然」なのだから、いたずらに起源を遠くで崇めるばかりでは能がないと、むきだしの現実に到達することの不可能性を強調するばかりでは能がないと、ひとは気づくことになる。起源あるいは中心は崩壊し、この崩壊のかわりにひとつの芸術作品が置かれることになる。それが古典である。古典はいわば「現実」と呼ばれていたものの崩壊のしるしであって、このしるしは世界そのものが虚構であったことをしるしづけている。

正確な情報が必要なのではなかった。行為に至る勇気を必要としていたのだった。戦後の近代主義が弁証法的だとすれば、戦前の近代主義は螺旋的だった。あるいは古典主義的だったのである。

人工物として作品をつくるのではなく、たんに自然と同義のものとして作品をつくるのでもない。「第二の自然」として作品をつくる。そのことが本当の意味での文化を育む。残すべき古典などはない。作品が残るか否かは、でき不出来とは無関係である。この偶然を受け容れられる作品こそが、よい作品である。ものはなくなる。しかし精神は受け継がれる。ものは消え去る。だがその残像は別のものに投影される。その一連の流れこそ精神である。それが「第二の自然」という概念の意味である。

瀬戸内をのぞむ住吉神社に、「力石」と呼ばれる石が積まれていた。かつて怪力を誇った力士たちの持ち上げることができた巨石に、持ち上げた者の名が刻まれている。経済決定論、あるいは功利主義とはまったく異なるその行為こそが、文学だった。石に刻まれた力士たちの名は一編の小説であって、それが建築という概念の意味である。そして力石がいまではひとびとの財産となっている。この意味を理解する建築家がいまどれほどいるか。

戦前の建築家と戦後の建築家を比較したとき、相対的に欠けているのは、「第二の自然」として作品をつくりあげようとする意志である。だからわたしは危惧しているし、悲観している。これから国を挙げて行なわれる「復興」が、奇怪なものになること、怪物を生み出すだろうことを。

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