国家の起源(メモ)

history
2008.03.30

国家の起源をいかに語るか、について、すこし考えておこう。その場合、重要なのは、純理論的な意味での、歴史と世界史のちがいである。「歴史」(国史)の条件には、ヴィルヘルム・ディルタイが言っているように、歴史を語ろうとする主体が、同じ国家の住人であるという大前提がある。そうでなければ、それは外国史や人類史となるからである。

さて、国家の起源について語る場合の方法として、歴史的な手法以外には、神話があげられる。アリストテレス的な動物発生論に近い考えかただと思えばいい。エビやウナギが泥のなかから自然に発生するように、国家もまた、泥に似たある種の混沌のなかから、自然に発生する。そうした自然の作用の主語として、国家の場合には、《神》を仮構するわけである。こうした神話は、今日では「歴史」(国史)と呼ばれているが、神話を否定し、それとは距離を取ろうとする近代の「歴史」は、その起源を語ることができない。というのも、起源を語る主体(歴史家)が、その時期には存在できないからである。たとえば、日本の起源を神話なしに語ろうと思えば、朝鮮半島や中国大陸の人間の視点が、かならず必要になる。つまり、その瞬間だけは、一種の外国史として語らざるをえず、「歴史」(国史)であることができなくなってしまう。国家の内部から純粋に起源を構築しようとする場合、どうしても、神話が要請されざるをえないのである(じつは、滅亡も同じであり、国家が滅亡した瞬間に、歴史の主体は存在できなくなる。歴史は、その滅亡を、王朝や政権の「交代」として説明するのであり、国家の「滅亡」を語るのではない)。したがって、歴史は、起源や終末について語ろうとする欲望を強く持ち合わせているにもかかわらず、これを神話としてしか説明できない。つまり、沈黙せざるをえない。歴史において、王や皇帝の死は、歴史そのものの終末であり、歴史には、じつは、始まりも終わりも存在できないのである。

世界史は、その起源を語ろうとする欲望を、そもそももっていない。国家の始まりや終わりは、むしろ、たえず生じているのであり、発生しては消え去り、消え去ってはまた発生したりしている。それは、神話というよりは、一種の出来事そのものとしてある。国家の誕生や滅亡について語るのは、じつは、歴史ほどむずかしくはないし、もっとありふれている。その点では、むしろ世界史は、物語というよりは、地図として存在する。そもそも世界史を語る主体は存在できないし、たんに世界が存在しているということ、そのことが世界史である。チンギス=ハーンが死んでも、別に世界はなくなりはしない。この単純きわまる論理こそが、世界史のもっている固有の意味である。人間以前の歴史も、人間以後の歴史も、簡単に考えることができる。ニーチェは、超人について思考したが、彼の視座は、もちろん、世界史的なものであり、歴史的なもの、ナショナルなものではない。

世界史のモデルは、声の歴史であろう。発生しては消え去る声は、まさに世界史にぴったりである(ニーチェはいつも自分の耳を自慢していた)。文字に依存する歴史と異なり、世界史は、その起源としてのテクスト(史料)なしに、たんに存在する。世界史について語るのは簡単だが、テクストに依存し、主語を強固に設定する必要のある学術論文的なスタイルには、そぐわないというだけのことである。わたしたちが、文字(テクスト)以前の歴史というものを想定する場合、それは、かならず世界史的な視座からなされる。したがって、文字の存在と有史とを結びつけることの妥当性について、議論が発生するのは、世界史と歴史のもっている根本的な視点の違いのためである。

国家とは、他の国家に対して国家である、というヘーゲル的な議論がある。この議論は、もちろん構造論的には間違ってはいないが、じつは、この議論そのものは、結局のところ、歴史の側に属していると考えられる。つまり、その起源――生成――を語ることができない。神話抜きに起源を語ろうとする強い欲望が、他の国家を存在させるのであって、世界史的な理論から出てくるものではない。ましてや、この「他」を、物自体のような不可知のものとして考えるのであれば、それはなおさら歴史的であり、なおかつ、神話へと至る一歩手前まで来ている。もちろん、これは超越的な神話ではなく、超越論的な神話であり、要するに、歴史である。その主語は、《神》ではなく、レヴィナス的な《他者》である。べつに、レヴィナスにその意図はないが、結果的には、この論理は、現実に行なわれる戦争(外戦:ポレモス)の条件であり、なおかつその存在理由を与えてしまうだろう。国家の起源に暴力を設定する議論も、基本的には、こうした論理に端を発していると考えられる。暴力が国家と結びつけて否定されるのは、それが、犯すべからざる「他」の侵犯だからである。この論理は、国家を存立させると同時に批判するための根拠を与える(与えてしまう)。もし、国家を非難するとして、わたしなら、国家とは他の国家に対して国家であるという論理そのものを、国家の論理として非難するだろうし、また、国家の起源とは、暴力であるという論理そのものを、あまりにも国家中心な論理として非難するだろう。

その意味では、外国史と世界史は区別されねばならない。外国史を実践する人間は、自身が所属する国家との関係性を考えざるをえないし、したがって、「《我が国》にとって、どのような意味があるのか」、という問いに対する説明を、たえず強いられることになる。つまり、外国史は、徹頭徹尾、歴史のネガとして存在させられるのである(わたしは、外国史に可能性がないと言っているのではない、ただ、歴史に絡め取られないような、歴史に依存することなく存立可能な世界史的な論理にもっと近づいていくべきだと主張している)。

しかし、わたしたちは、国家というものを、他の国家なしに、ふだんから、もっと別の形で感じることができる。たとえば、何らかの手続きのために役所に行き、そこで、ここは部署がちがうので、二階に行ってください、などといわれるときである。こうした事態を、わたしは「屈折」と呼んでいるのだが、この屈折こそが、国家の主体に生成するのではないだろうか。わたしは、ここでは示唆することしかできないが、こうした屈折としての国家は、歴史的というよりは、世界史的である。世界史は、おそらく、国家を、こうした身近なところでの屈折として、説明するはずである。こうして抽出された国家は、他の国家に対して国家であるという構造主義的な論理とは、無関係であり、もっと実践的かつ具体的である。他の侵犯(暴力)がたえず起こっている世界史においては、むしろ侵犯こそが常態であり、したがって、そこに国家の起源を求めることはできない。ヒントになるのは、やはり、戦争についての、歴史・世界史的観点からの区別である。歴史的な観点からいって、戦争が、ある主体(主権国家)から犯すべからざる他の主体への侵犯であるとしても、世界史的には、どう考えても、戦争という暴力は、それを担う両陣営をまるごと危機に陥れてしまっている。つまり、戦争は、むしろ国家を危機にさらすのである。それゆえ、たんに暴力こそ国家の起源である、という論法は、世界史的には限界がある。むしろ、そうした暴力が「屈折」され、溜め込まれることのほうが、国家を可能にすると考えられる。世界史は、国家の起源を、他の国家にではなく、「屈折」に求めるだろう。

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