年齢を重ねて、夏がどこか切ない、淋しいものになった。酷暑が、死を感じさせるのかもしれない。
青春の遠くなるのを感じるのかもしれない。戦争のこともある。
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海がみたい。死者の大地としての、大洋がみたい。
この夏は、北村透谷に会うこと、海をみること。この二つは叶えたい。
存在の歴史学は、透谷なしには書かれ得なかった。彼に感謝を告げにいきたい。昔、小林秀雄の墓前で志賀直哉について書きたいといったら、「お前が?」と見下ろされたことがあった。戦争について考えているといえば、透谷はなんというだろうか。
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天皇制について、考えたことをすこし記しておこう。自分は、天皇を、《王権》の外にいったん出すことを考えた。天皇が、王権の外郭を示す無内容なもの、たとえば「器」である、とか、「場」である、などとする見方は、質料−形相モデル(要するに中身と器)そのままの見方だが、それは、実際の天皇とは無関係にもたらされているように、自分には思われた。端的にいえば、天皇にもそれぞれ個性がある。これをひたすら無内容な、器の重なりとみなすことは、歴史家としてはとることができない。
ひとまず、古代、とりわけ法−歴史以前的な、上代の天皇を考えてみよう。天皇が、自然と国家とを呪術によって媒介する、巫女的な位置にいるのは、まちがいない(モデルとしては自然と国家のあいだを循環する「円」を考えることができる)。しかし、それは天皇に固有のものというより、古代社会ならどこでもみられるものだ。それが奈良時代、つまり法−歴史時代以降、近隣の帝国を真似て、自然・呪術と切り離された、宗教・法的な帝王の姿を取るようになる(モデルとしては、王と民衆とを両極にもつ、垂直に立ち上がる、方向の決まった「線分」を考えることができる)。それも、帝国周縁にはよくみられるものだ。
奈良朝以降、いいかえれば文献時代以降、天皇は、近隣の帝国形式を模倣した、中身のない外郭を表現し、中身は時々の権力者が埋める、と説明される。だが、それが、天皇制持続の理由になっていないのはもちろんである。形骸化した古い器であるはずの天皇が、なぜ崩壊にいたらないのか。おそらく、王権内部とは別のところから、自身を活性化させる力を得ているとしか考えられない。それはどのようなものか。
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奈良時代の王権は、きわめて脆弱なものとなった。帝国を模倣して男系の長子相続を基本とした結果、皇位継承期に適齢の男子が存在しない、という状況が多発してしまったのである。大陸を真似るなら、後宮も真似るべきだったが、奈良朝の天皇夫婦は、それぞれ別に居を構える妻問婚を続けたのである。
奈良朝の反省が平安朝にもたらしたのは、後宮である(厳密には桓武の父、光仁の時代のこと)。それで天皇だけは、夫婦ともに住む体制を整えた。しかし、奇妙にも、中国の後宮のように男子禁制ではないし、中国の後宮ほど大量の女性を抱えることもなかった。宮廷に招き入れたのは、「妻」ではなく、むしろ「恋愛」だったといっていい。
誰の子かわからない子natural sonを、神の子とみなす考え方がある。『源氏物語』や、この時期さかんになる賀茂社の信仰は、こうした考え方が背景にあると思われた。これを天皇家にあてはめることができるかもしれない。——もちろん、これは推測、というよりほとんど妄想だ。文献上は、まったく、正しくも、皇統譜どおりに事が進んでいる、としかいいようがないのだから。
経血。精液。分娩。恋愛にまつわるそれらは、いずれも「ケガレ」である。平安期の宮廷に招き入れられたのは、恋愛にまつわる「ケガレ」だけではない。死んだ天皇が政治をおこなう院政。「戦争穢」にかかわる武士。これら、本来の国家が遠ざけるべきさまざまな「ケガレ」が、おそらく意図的に招き入れられた。
天皇は、自然と国家とを媒介するどころか、国家=王権を活性化すべく破壊する役割を果たす。こうした状況を国家の側に立て直したのが、鎌倉期の北条、ということになる。だから、「上皇(後鳥羽)御謀反」とか、「天皇(後醍醐)御謀反」などといわれることになる。もちろん、王権の内部に「謀反」が組み込まれている、ということは、原理的に言いえない。天皇は、むしろ、王権の外にいて、革命の旗手となる、ということである。天皇はむしろ、国家的なものの破壊者なのだ。
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たとえば、漢字=文化のなかに仮名=自然を介入させる、日本語の言語論上の特性を考えてもいい。それと重ね合わせれば、天皇は、表向きは中国的な王権のなかに、「自然」(natural son)を介入させる、独特なものだ。つまり、文化的=超自我的なもののなかに、「自然」を密輸入するような、そうした独特の非社会的社会を築き上げたのである。
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また、被差別部落と天皇との結びつきも、二通りに考えることができる。つまり、血統の世界における上下二つの極と考えるのか、それとも縁の世界の外部にある、私生児natural sonの世界を共有するのか。神の子の本質的私生児性。中上健次のいう「路地」と「海」とを対比してもいい。自分は後者に天皇の可能性をみたわけである。
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吉本隆明は、天皇制から出るために、南島論などで、記紀神話以前の日本に遡ることを考えた。それとは反対に、天皇を「天皇制」なるものの外に出すことを考えた。だから時代を遡った吉本とは逆に、時代の針を進めることができたのである。
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