ひとりの黒人男性がアメリカ大統領となった。すばらしいことだ。彼は、黒人、女性、性同一性障害者、すべてのマイノリティを演じることを、自ら引き受けたひとりの俳優となる。ギリシア悲劇において、《顔》も《仮面》も同じく「プロソポン」と呼ばれたように(誰だ、仮面から素顔への進歩に近代文学の神髄をみた輩は。文学が誕生したギリシアにおいて、顔も仮面も等しいものだったのに)、彼の素顔は仮面となり、彼は以後、マイノリティを演じる役者となる。彼は、その素顔や内面などとは無関係に、マイノリティの仮面を自ら被り、役者としての生を歩むのだ。
もちろん、役者としての彼が名演技をしてくれる保証はどこにもない。ただ、彼がその役を買って出たことはたしかである。その意気やよし。
アカデミシャンども、評論家どもがくだらぬことを言い、彼の仮面を剥ぐことに必死になるだろう。いな、剥ぐのではなく、彼らは、もうひとつの仮面をかぶせようと躍起になるのだ。わかりやすくいえば、“人種”という《悪い意味での仮面》を作り出すのは、彼らなのだ。だが、ぼくは、今回のことは心から、すばらしいことだと思う。本当に、まったくのひさしぶりに、世界が進歩していることを感じさせてくれた出来事だった。ぼくは彼が民主党だったことと、アメリカ国民であることとは無関係に、ただただ、彼に感謝したいと思う。