B:そこでだ、君。君はどう思う? 価値、というものを信じるかい?
A:価値ですか。
B:そうだ。たとえば、いま私たちの足元にある石ころ、この石に価値はあると思うかい?
A:いえ……ありません。もし、これらの石が店でしかじかの値段で売っていたとしても、けっして買ったりしないでしょう。つまり、価値なんて、ないってことです。
B:この石の存在が、真実だとしても?
A:そうかもしれません。ですが、つまらない、見栄えのしない、石ころであると、多くの人が同意するでしょう。
B:ふむ。では、君は、それを、どうやって判断したんだい?
A:それは……、きっとこういうことでしょう。この石は、わたしが生活する上では、あまり、必要なものとは思えません。変わった石屋がいれば、もしかしたら買うかもしれませんが、ほとんどの人にとって、この石は必要なものではないでしょう。
B:どうして必要ではないのかな?
A:こんな石をもっていても、役に立たないからです。
B:つまり、使用価値がない。
A:そういうことです。わたしはそう言いたかったのです。
B:すなわち、それぞれの存在は、価値をもっている。
A:たしかに、存在は、価値をもっている。わたしが価値がないと言ったのは、つまり、価値が少ない、という意味でしたから。
B:ふむ、さっき君は、興味深いことを言った――いや、いつだって、君はわたしにとってとても興味深い存在なんだけどね。さて、君の言った「変わった石屋」の存在は、ひとまず置いておかねばならないね。なぜなら、それをいま論じると、問題がややこしくなるからね。問題を、「ほとんど」というところに絞ってみよう。ほとんどのひとが必要ないと思う石があるのなら、逆に、ほとんどのひとが必要だと思う石もあるのじゃないかな。
A:そう思います。もし、家を建てるのに都合のよい形をしていて、それも見栄えもよい石があるとしたら、ほとんどのひとが、その石をほしいと思うでしょう。また、多くの石ころの中に、輝く宝石があるとすれば、それもまた、誰もが欲しいと思うに違いありません。
B:よしきた。つまり、価値というものは、けっして主観的であるというわけではなくて、ひとつの共同体で通用するものでもあるようだね。そして、むしろ、そうした多数性が、価値を規定するひとつの条件でもあるようだ。じゃあ、この石を、ぼくたちの社会に置き換えるのは自然なことだね。
A:そうです、自然なことです。
B:ところで君は、ぼくの友人に、最近子供ができたことを知っているかい?
A:……すみません。知りませんでした。あなたのことならなんでも知っていたいと思っているのですが、友人にまでは手が回りませんでした。
B:ありがとう、謝る必要はないよ。じゃあ、聞くけど、隣の国の王子に子供ができたことは知っているかな?
A:はい、それなら知っています。数日前、インターネットでチェックしましたから、間違いありません。
B:ぼくの友人のことも、インターネットでチェックできるはずなんだけどね。誓って、ぼくの友人に子供ができたという出来事も、真実なんだよ。
A:すみません。
B:……とにかく、ぼくが言いたいのはこういうことなんだ。たとえ、同じ人間の行為であろうと、多くの人々が知っていたいと思うことと、そうではないこととがあるのではないかな?
A:失礼ながら、そう思います。
B:そのとおり、君にとっては赤の他人であるような、ぼくの友人のことまで、知っている必要はないからね。
A:す、すいません、いったい、この話と、歴史についてのわたしの質問と、どのように関係があるのでしょうか。きっとあなたは、無数にある真実の中にも価値の違いがあって、歴史学者は、まず、この価値の違いを明らかにできるひとでなければならない、と言うつもりなのでしょう。それはわかりますが、わたしの質問はもうお忘れでしょうか。「歴史学は、真実にたどり着くことが出来るのか否か」、わたしが知りたいのはそれなんです。価値があるとかないとかは、この際、どうだってよいのです。
B:ふむふむ。さすがは君だ、よくわかっている。だけど、そんなにあせってはいけないよ。たしかに、君が言うように、歴史学者は、人間の数だけ存在する価値の中から、輝く宝石を見つけ出す目を持っていなければならない。なぜなら、なにが重要なのかをわかっていないと、研究のために、とんでもない時間を費やす破目になってしまうだろうからね。もちろん、すべてを網羅できるのなら、話は別だけれど、それができないとしたら、すべてが無駄になってしまいかねない。それに、すべてを網羅したって、たぶん、何にもわからないのと同じじゃないかな。だって、「わかる」というのは、たんに知っていることとは違うからね。
A:そうです。だけど、わたしはそんなことは「わかって」いるのです。
B:落ち着きたまえ。君が憤りを感じるのもよくわかる。なぜって、この価値という考え方は、結局、階級社会を生む条件になっているからね。価値のある人間と、価値のない人間がいる、というのは、腹立たしいことだけれども、現実なんだ。逆に言うと、真実がすべての人間に平等に分配されているということほど、正義にかなったことはない。だけど、誰一人、同じ人間がいない、ということが、無数の真実を生む条件にもなっていることを忘れてはいけないよ。つまり、こうした人間同士の違いは、結局、価値の違いにもつながるのだから、どちらか一方を肯定して、どちらか一方を否定する、というのは、じつは、不可能なんだ。経験が真実かどうかを判断するためには、前もって、価値観というものが存在していなければならないはずだからね。説明書(価値表)なしに物(真実)が組み立てられるひとなんて、そんなにいるとは思えないしね。説明書と、まったく同じように、物が組み立てられるひとが、そんなにいないのと、同じ程度にね。
A:はあ。
B:それに君は、真実とは、なにものかについての判断という意見だった。この判断というのは、もっと正確に言うと、なにものかについての価値についての判断とは言えないだろうか。
A:たしかに。そう思います。
B:ということは、真実についての話は、価値についての話に似てくるんじゃないだろうか。それもほとんど瓜二つと言っていいほど似ているんじゃないだろうか。
A:そうかもしれません。あなたに言われると、そういう気がしてきました。でも、まだあなたはわたしの質問に答えていないと思います。
B:そのとおり。たぶん、ぼくは、君の質問に答えない方法を考えているのだからね――いや、もちろん、いまのは冗談半分に聞き流してくれたまえ。とにかく、話を戻すと、たくさんの真実には、それぞれ価値があって、しかも、価値が優劣をもっていた。そこまではいいかい。
A:同意します。
B:ふむ。しかし、思い起こして欲しいのだけれど、この価値の優劣という考え方は、さっき言ったのとは別の意味で、少し問題がある。
A:どういうことでしょう。
B:つまり、どこまでいっても、一部の人たちだけで共有されている表象という考えから抜け出せないように感じないかね? というのも、君がいみじくも言ったように、どこかに、「変わった石屋」というものが存在するに違いないからね。
A:はあ。少し考えさせてください……どこかに必ずいるという意見に賛成です。
B:どうしてだい?
A:そんなことは、考えるまでもありません。いるに決まっているからです。
B:そうだ。いるに決まっている。だけど、疑い深いひとたちのために、理由を用意しておくことは悪いことではない。つまり、「変わった石屋」のように、他人と違う価値観をもっている人がいないと、そもそも価値というものが存在できなくなる。誰もが同じ価値をもっているなら、そもそも、価値を語る必要はなくなり、たんに、存在と言えばいいことになるからね。
A:そうです。だから、価値と言う以上、違う価値を持っている人が、いなければなりません。――ですが、やはり、一部の人たちだけで共有されている表象と、優れた価値をもっている真実とは、やはり違うのではないでしょうか。なぜなら、それは、優れているからです。一部の人たちだけで共有されている表象は、劣ったものなのです。
B:ふむ。だけど、その優劣は、いったい、誰が決めたのだろう?
A:それは……とても偉い人なのではないでしょうか。いや、きっと、多くの人が議論をして、優れていると認められたからこそ、価値のある真実として、認められているのではないでしょうか。
B:ふむ。しかし、君は同意したのじゃなかったかな。「とても多くの人々が共有する」ことと、「真実」とは別のものである、ということに。
A:そうだったかもしれません。いえ、たしかに同意しました。
B:よろしい。だとすると、価値の優劣という考え方は、一部の人たちだけで共有されている表象という考え方と、あまり変わらないんじゃないだろうか。
A:本当だ。じつは、わたしたちは、真実について語っていたつもりが、いつしか、たんに共有された表象を語っていたにすぎなくなっていたわけですね。
B:仮に、「変わった石屋」の方が、真実を語っていたとするならね。その可能性は、あるはずだから。
A:ああ、これでは、元の木阿弥だ。わたしたちは、結局、もとのところに戻ってきてしまいました。……もしかして、答えは出ないのでしょうか。答えは存在しないのでしょうか。問いが存在しているのに? 答えの存在しない問いなんて、存在するのでしょうか? それとも、答えが存在しないことが、答えなのでしょうか?
B:いや、そうではないと思うよ。わたしたちは、十分に、先に進んでいる。君が問いについて思い至ったことは、とても大きな進歩だから。さて、君の問いは、こうだった、「歴史学は、真実に到達することが可能なのでしょうか」。
A:はい。
B:この質問は、とても興味深い。というのも、君は、歴史学と、真実とを、分けて考えている、ということになるからね。君は、歴史学は、真実からずいぶん離れた場所にあると考えているみたいだけど、どうして、真実と、歴史学とが、別のものだと考えるんだい?
A:それは……わかりません。ですが、それらは区別するのが自然に思えます。なぜなら、歴史学は、真実と同じものではないからです。
B:ふむ。では、真実と歴史学が、別々に存在しているという、君の考え方は、いったいどこから来ているのだろう?
(つづく)