A:歴史学は、真実に到達することが可能なのでしょうか?
B:いきなり、どうしたんだい。そんな深刻そうな顔をして。歴史学が真実に到達するだって? 君、そんなこと考えていたのかい。
A:いけないですか。
B:そりゃそうさ。今日はこんなにいい天気だというのに。ほら、みたまえ、あの空を。もう春も近いよ。
A:はあ。
B:――それにしても、興味深い質問だ。なぜって、じつは、恥ずかしながら、ぼくも今、そのことを考えていたのだから。
A:ほらやっぱり。あなただって、考えていたんだ。それに、あなたなら、きっといい答えを知っているに違いありません。
B:かいかぶりはよしてくれたまえ。それに、答えたくない質問でもある。というより、君にわからないくらいなのだから、ぼくに答えがわかるわけないじゃないか。
A:いいえ、あなたなら知っているはずです。ですから、そんなこといわずに教えてください。
B:いいよ、わかった。君の頼みなら、断れないよ。期待に応えられるか、ちょっと自信がないけれどね。――じゃあ、質問に答える前に、ひとつ聞きたいんだけど、芸術的な絵画と、マンガ絵には、違いがある。君にはそれがわかるかい。
A:それは――リアルなものに近いのが――つまり、真実により近いのが、絵画芸術で、そうでないのがマンガ絵です。まったくリアルだとは思えない絵画芸術があるのも事実ですし、逆にマンガ絵なのにリアルなのもあるので、間違っているのかもしれませんが。――というより、もしリアルなマンガ絵があるとしたら、それは芸術的だと考えればよいのです。
B:ご名答。画家が、真実にかぎりなく似せようとして描いているのか、それとも、真実とはまるで無関係に、一部の人たちだけで共有可能な表象だけを相手にしているのか、という違いだね。もちろん、真実が一体どういうものなのかはさておくとして、ね。
A:はい、そういうことです。わたしはそう言いたかったのです。
B:それはよかった。といっても、それは君の回答のことではなくて、君の回答の副産物について、よかった、ということなんだけど。というのも、だとすると、君は、真実と、共有された表象とは区別している、ということになるからね。仮に、とても多くの人々が共有する表象があったとしても、必ずしも、それが真実であるとは限らない、という考えに同意するかい?
A:はい、もちろんです。共有された表象と、真実とは、同じではありません。同じ場合もありますが。たとえば、昔は多くの人が、地球は世界の中心に固定されて、天空のほうが回っているというのが本当だと考えていました。ですが、今では、そんなことはほとんどのひとが信じていません。動いているのは、空ではなくて、地球なのです。つまり、真実は、多くの人に共有されているものとは別のもの、ということになるはずです。
B:いいだろう。さすがはぼくの見込んだ男だけはある。じゃあ、質問に答えてみるとしよう。ところで、君は、「歴史学は、真実に到達することが可能なのでしょうか」と言った。君の質問は、まるで、歴史学が、真実に到達しようとしているかのようだね。
A:そんな意地悪な言い方はよしてください。歴史学は、もちろん学問ですから、絵画芸術と同じように、真実に到達しようとしているに決まっています。
B:すまない、気を悪くしたなら許してくれ。最近、新しい歴史学とか言って、一部の人たちだけで共有可能な表象だけを相手にしようとしている輩が多いのだ。
A:知っています。わたしはあの連中が大嫌いなのです。ですが、わたしは歴史学は、とにかく、真実に向かうべきだと信じているのです。
B:それはよかった。安心したよ。ところで、君は、真実とは一体なんだと考えているんだい。
A:それはもちろん、本当のことです。本当にあったことです。
B:ふむ。ぼくの聞き方がよくなかったね。もうちょっと限定してみよう。真実とは、真実それ自体が存在しているのか、それとも、何ものかの表象についての判断なのだろうか。
A:わかりません。ですが、少なくとも、わたしたちは、あれは真実だ、とか、これは真実ではない、とか言ったりしますから、どちらかといえば、後者のような気がします。つまり、何ものかの表象についての判断である、と。
B:よろしい。では、ひとまずそのようなものとして考えてみよう。ところで、君、真実であると判断されるようなもの――面倒くさいので、たんに真実と言うけれど――が、本当は存在しないんじゃないかと、不安になったことはないかね。
A:じつは――あります。いつも不安なのです。本当に、真実は存在するのかどうか。
B:やっぱり。だって、ぼくもそうなのだから、君もそうなんじゃないかと思ったよ。
A:あなたもそうでしたか。それはよかった。だとすると、真実は存在しない、ということなんですね。――そう思っていたのです。なぜって、過去の出来事のことを、当事者やその研究者に聞くと、みんなそれぞれ別々のことを言って、けっして真実を明かしてくれないのです。その方たちは、みんなたいそう尊敬されている、偉いひとびとだというのに! それで、もしかしたら、真実などないのではないかと、思うようになったのです。それで考えたのですが、言ってみてもいいでしょうか。
B:いいよ、言ってみたまえ。
A:はい、では。――昔は真実だったものが今は真実ではない、ということがあります。だとすると、今真実だと信じられているものが、将来、真実でなくなることだってあるわけです。これをずっと先の未来まで敷衍していくと、じつは、真実なんてものは、どこにも存在しない、ということになるわけです。――どうですか、あなたも、きっと、そう言うつもりだったのではありませんか。
B:いや、残念ながら。たぶん、そんなことはないと思う。それはこういうことだと思うんだ。つまり、真実というのは、けっしてひとつではない、ということなんじゃないかな。
A:はあ。……よくわかりません。
B:つまり、君は、「歴史学は真実に到達できるか」と聞いたけれど、本当は、そういう問いの前に、まず、真実が単数なのか、複数なのかを問題にすべきだったと思うんだよ。
A:はあ。
B:もし、真実が複数あるとすればどうだろう。つねにもうひとつの別の真実がある場合、もとの真実は真実に見えなくなる。そして、ぼくたちには、どれが真実なのかわからなくなり、それで、真実など存在しない、と考えるようになるのではないかな。
A:よくわかりません。真実が複数ある、というのは……。
B:よし、じゃあ、たとえ話をしてみよう――ぼくはあまり、たとえで語るのは得意ではないのだけど。たとえば――これはもちろん架空の話なんだが――昔、二つの国があり、東の国が、西の国を征服してしまった。そして、東の国の同じ夜明けを、西の国の一日の中に押し付けようとしたのだ。というのも、一方にとって、夜明けの訪れる時間はいつも決まっていたからだ。だけど、西の国は、もっと遅くに夜明けが訪れる。だから、一方の夜明けと同じ時間に目覚めると、まだ起きるには暗すぎることになる。それで、西の国の人々はとても困ったことになったのだ。この場合、夜明けは、じつはひとつではなかったことになるね。
A:はい。もうひとつの夜明けがあったことになります。一方の夜明けは、他方にとっては、まだ夜明けではなかったのですから。
B:そうだ。つまり、この場合、夜明けは、二つあるのだ。ところで、この二つの夜明けは、どちらも真実ではないかな。
A:そうなりますね。二つながら真実です。どちらも違っているのに。
B:そうだ。たしかに、一方の夜明けは、他方の夜明けにとっては真実ではない。こうして、どの夜明けも間違っていることになって、ひとは、真実など存在しない、と思うようになるのだ。だが、それは間違っているね。夜明けは必ず訪れるのだから。だから、本当は、すべて、真実だ、というのが正解なのだ。
A:なるほど、それで合点がいきました。やっぱり、真実はあるのですね。それもたくさん。ですが、……ちょっと待ってください。――ということは、地球上のどこに立っているかによって、夜明けは千差万別に訪れるということになります。人は、他人と同じ場所を占めることはできませんから、人の数だけ、夜明けが訪れるということになりますね。これは困った。ということは、人の数だけ、真実がある、ということになりますね。
B:うん。ぼくは君のそんな考えが大好きだよ。人の数だけ真実があるということは、つまり、結局、この世界のすべての人間に存在理由があるということになるのだろうね。それはすばらしいことだと思う。
A:そのようですね。しかし、どうして、この考えが正しいと言わずに、大好きと言うのです? ……大好きというのはどういうことですか。
B:いや、気を悪くしないでくれ。ぼくは君が好きだと言ったんだ。人の数だけ真実がある、というのは正しいことだと思う――つまり、ぼくが言いたかったのは――真実が人間の数だけあるとすると、歴史学はものすごく大変なことになるってことさ。というのも、真実に到達するためには、すべての真実を網羅しなきゃいけないってことになるからね。
A:はい。これは大変だ。わたしにはできそうもありません。
B:ぼくもだよ。
A:そんなはずはありません。あなたならできるはずです。わたしはもう諦めましたけど。
B:いやいや、ぼくだってできないよ。だいたい、そんなことは誰にだって、無理だと思うんだ。ひとは、すべての真実を学べるほど、頭が良くないからね。逆に言うと、ひとは、たくさんの真実の中から、どれかを選ばなきゃいけないってことになる。
A:はい。たしかに。――でも、どうやって、選べばよいのでしょう? すべてが真実だというのに?
B:そこでだ、君。君はどう思う? 価値、というものを信じるかい?
(つづく)