学者の実践

criticism
2011.02.02

学者にとっての実践とは、自分の頭で考えることであり、本を読むことではない。実学と虚学という分割は不毛であり、ましてや、実社会でお金のやり取りをすることが実践で、学者は理論にだけかかわっているというのは、学者自身も陥りがちな大きな勘違いである。

自分の頭で考えることが、いかに難しいか。それは大学の外で日々行われている、真に意味のある労働と同じほどに困難である。学者は自分の頭で考えることに肉体のすべてをささげる、にもかかわらず、その困難さに怖気づいて唯一の仕事を放棄した者のいかに多いことか。

真の学者もまた本を読む。解釈のためではない。暗記し暗誦するためにである。そうすることでテクストを離れ、ついには《外》に思考をめぐらせる。たとえばニーチェのテクストは、楽譜なしに歌うためのエチュードである。そのことによって、ニーチェのテクストは宗教であることをやめる。哲学となる。

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