今日、哲学、歴史学、そして文学の世界で、幅を利かせているのは一種のピュロン主義者たち、すなわち判断中止(エポケー)学派の群れである。たとえば、柄谷行人は教える、判断中止こそ、彼のいう「他者」へ至る至高の道のりである、と。人間は、顔と顔を付き合わせてお喋りしているのではない。むしろ、背中合わせになって、お互いについての議論を講じているのである。
こうした議論は、二十世紀後半には、《言語論的転回》と呼ばれてひとに影響を与えた。わたしにとって、この議論は驚異だった。言葉が、ついに出来事にたどり着けないという、この絶望は、わたしの心底にあって、わたし自身気づいていなかった重要な部分を揺るがした。
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あらゆる思想家が最初につきあたるのは、真理ではない。真理に対する懐疑である。真理など、本当は、存在しないのではないか? レネ・デカルトがよい例だ。真理が「多」の形で現れるかぎり、あまりに真理とはかけ離れた醜いものにみえる。
それにしても、ひどいものだと思う。真理へと向かおうとする思想家は、のっけから真理への懐疑を実感させられる。思想家と呼ばれる連中が、いかに努力や辛抱というものから縁遠い存在であるか、この事実からもよく理解できる。その一方で彼は、目的地にたどり着くか知れぬあやふやなこの道にしがみついていなければ、生活の手段を失う。自分の歩む道のどこかに、真理は必ず落ちているという信念を抱かざるをえない。そうでなければ、商売のタネを失ってしまう。隣人に、「今日はお出かけですか?」と尋ねられて、「散歩です」、という回答が許されてきたのは、彼が思想家だったからである(逆に言えば、《散歩です》と答えておけば、思想家という人種は不審がられることはないし、またかえって尊敬されさえもした――「それはご苦労様です」という具合に)。
しかし、《言語論的転回》は、わたしの眼前に広がっていた世界を一変させた。わたしの「散歩」が隣人に許されていたのは、その道のりが惑星の軌道のように出鱈目なものであろうと、とにかく、いずれは真理へとたどりつける、ということが担保されていたからにほかならない。貧しいわたしにとって、真理への意志だけが資本だったのだ。だが、これからはもっと後ろめたいものとなるにちがいない。「散歩です」と答えながら、内心に浮かぶ、《といっても、目的などないのだ》という言葉をぐっと飲み込まねばならない。わたしはこのとき、精神的失業者となり、代わりに、本来ならもっとも縁遠かったはずの皮肉屋になった。道のりの出発点ででくわした、あの冷酷な《懐疑》のほうが、正しかったのだ……。
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ハインリヒ・フォン・クライストという作家がいる。彼には、きわめてカント的な、犯人がおのれの犯罪の裁判官を演じる羽目に陥るという奇妙な主題をもった傑作、「こわれ甕」という作品がある。わたしはこの作品が好きだった。彼は言う。
少し前に私はカントの哲学を知りました――私はあなたに今そこから一つの思想をお伝えします、これが私同様にあなたを深く、痛々しく揺り動かしはしないかと気遣わずに、お伝えしなくてはなりません。――私たちが真理と呼んでいるものが真実に真理であるのか、それとも私たちにただそう見えるだけなのか、私たちはこれを決めることができません。後者ならば、私たちがここに集めた真理は死後にはもうありません。そして、私たちに墓場のなかにまでつき随ってくる所有物を獲得しようとするすべての努力はむなしいものです。――この思想の先端があなたの心臓に当たらなくても、それによって最も神聖な内なるものにおいて深く傷つけられたと感じている他人を笑わないでください。私の唯一の、私の最高の目標は沈んでしまいました、私はもうなに一つ目標をもっていません。
ニーチェ『反時代的考察』から再引用
ニーチェは、クライストのこの告白を愛した。クライストのような「高貴な精神の持ち主」にもたらされた《絶望》の反対に、カントの通俗的影響が、ひとに懐疑主義と相対主義をしかもたらさなかったことを憎んだ。懐疑主義とは、さきのピュロン主義者たちを意味する。そして相対主義は、またの名、公共的真実などと呼ばれる。たしかに「多」は醜い。しかし、人間どもは、そもそも醜いものではないか、というわけである。
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クライストの時代におけるカントの役割を果たしたのが、わが《言語論的転回》である。このとき、わが《実証主義》は、つまり、わたしの宝石は、粉々に砕け散った。しかし、砕け散るほどの硬さを持たなかった、《われら》の実証主義は、たんに腐食し、醗酵しながら間延びした生を謳歌しているのだから、世の中は不思議である。実際、実証主義がこれほどの軟体動物性を示すとは、思ってもみなかった。驚くべき実証主義は、言語論的転回論者の非難に対して、こう答えるのを憚らなかった。《なにも、われわれの示す真理が恒久の真理などというつもりはない、われわれは、なによりも公共的な同意こそが必要だと思っているのだ……》。
ご存知のとおり、「公共性」とは、カントに淵源する概念である。実証主義とカントの癒着? ――結局、この事実は、次のことを示しているように思われる。言語論的転回論者が敵だと思っていた実証主義者は、そもそも存在しなかったということである。わがデリダ、われらの騎士である《言語論的転回論者》は、諦念の洞窟の奥深くにわけ入り、《実証主義》というドラゴンを倒して英雄となった。だが、そもそも、ドラゴンなど、どこにいるというのか。実証主義がドラゴンだった試しなど一度もないし、そもそもドラゴンなどいなかったのだ(実証主義よりも、まだ《神》のほうがよほど確かな概念である……)。
構築主義にしても、脱構築にしても、これほど空虚なものはない。そもそも対象が存在していないのだから。だが、それと同じくらいに、実証主義ほど空虚なものもない。実証主義者など、いないのだから。実証主義者とは、暗黙の構築主義者を意味する。そして、実証主義の看板に隠れながら構築主義を脱臼させ続けているのも、実証主義者である。真の実証主義とは、稀有なものであって、それは、デカルトやヒルベルト、ニーチェやフーコー、ドゥルーズのような人物にこそふさわしい。だが、こうして使い古され、そればかりか腐蝕してさえいる用語を、彼らのような例外的人物に適用するのはあまりにも不用意であろう。おそらく、われわれは、彼らのことを、ただ《竜》と呼ぶべきなのだ。力よりも、なによりその高貴さにおいてひとを圧倒する《竜》、それでいて虚構の生き物である《竜》、またの名、思想家たち……。
われわれが、この悪夢のような循環を抜け出すのは、いったいいつのことになるのか。ひとはいつ、自分が空転しかしていないことに気づくのだろうか。この世にもっとも欠けているのは、あまりにナイーヴで、そして高貴な、クライストの絶望なのだ。
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