車を飛ばして屋島へ。世阿弥は義経を主人公とする能の主題を「屋島」にとった。平家物語を読むと、義経の狂気を読み取らないでいるのはむずかしい。「修羅」とは、史上の英雄がときに陥る病である。彼は究極の平和を目指して飽くことなく戦う。だから世界を網羅し尽くすまで、彼は戦争をやめない。寿命だけが、止まない歩みを止める術にみえる。だがそうではない。死後も彼は戦う。歴史のなか、ひとびとに英雄と讃えられることによって、彼は戦いつづける。命を血で洗い、そうすることで、彼は未来に、戦争を託している。
そんな義経の狂気のありありとあらわれているのが、四国への渡海から屋島、志度に至る戦いである。だから、数ある名場面のなかで、義経に材をとった能の主題が「屋島」だったことに、われわれは納得せざるをえない。戦いのさなか、ときおり現われる、奇妙な作法。死ぬことにもまして推奨される、物語への意志。
『言海』によれば、“みやこ”とは、「帝王ノ住マセラルル地ノ称」である。したがって、屋島もまた、日本史上の都であった。都落ちした安徳天皇を戴く平家の勇者たちは、九州にも四国にも入ることがかなわず、瀬戸内に浮かぶ屋島を“御所”とした。義経の驚くべき騎兵が南からあらわれたとき、主力はなんとか土地を得ようと伊予で戦っていた。能登守教経のような剛の者を擁してはいたが、彼らはほとんど戦わずに海へ出た。彼らにはもう海しか生きる場所がなかった。海が都になった。そしてまもなく、海のなかへと、都は場を遷すことになる。ここにも、平家たちの苦悩と狂気とを感じることができる。降伏はありえなかった。彼らはどうしても、戦場で散らねばならなかった。
歴史は、戦争の歴史であった。だから歴史は、海を幾度となく血の色で染めてきた。人間は戦うことで、神から人間になった。この業の深さを、われわれはどのように考えたらよいのだろうか。