京都文化博物館で、「川端康成と東山魁夷」と題する展覧会が催されている。わたしは、絵を描くのはきらいではないが、音楽に比しても余計に素人である。とりわけ日本画についてはほとんど知識に乏しいし、美術史的な観点ももっていない。だが、この展覧会を訪れて、東山魁夷について、そして川端康成について、感じたところを、すこし書いておくことにする。すでに専門家が言っていることと同じことを言っている可能性もあるし、印象批評にならざるをえないところもあるが、そこははじめに断っておく。
率直にいえば、よかったということにつきる。とても真面目な気持ちにさせられた。平山郁夫のおかげで、戦後の日本画というだけで、食わず嫌いを起こし、それほど興味がもてなかったのだが、戦後にも、こういう本物がいたと思うと、すこしほっとさせられる(といっても、彼は戦前から描いているが)。ある種の時間を、キャンパスのなかに封じ込めたような、こうした絵画は、たしかに、川端の小説に似ていると思った。川端の小説は、わたしの好みからはすこしはずれるが、それでも、わたしの観点からいえば、小説における、王道中の王道である。「定点観測」という魅力のない表現を用いるのは、すこし憚られるが、「三人称客観」という、今日では、いくらか特異な意味を有した文学批評用語よりは、いくらかましかもしれない。川端の小説は、一種の「定点観測」である。といっても、安易なそれではない。誰の手も届かないような、そうした反り返る絶巓こそが、彼の定点であり――それを「末期の眼」という――、そのような高みにいたる、孤独を恐れない勇気への賛辞が、このつまらない「定点観測」という用語には込められている。すべてを見渡す孤立した絶巓を作りあげたからこそ、この作家は、駄作の少ない真のアヴェレージ・ヒッターでありえたのであり、また、通り一遍のそれではもちろんないにせよ、わたしには、彼の小説こそが、王道的リアリズムであると感じられるのである。
川端は、足場が、動くものだということを知っている。それに対する彼の解決方法は、にもかかわらず、そこに、どのような強風にも倒れないような、強固な足場を組み上げることであったと思う。それはもちろん、個人的なものにならざるをえないし、また、当然、それは同じように孤立したものである。だが、そのことが、ひとが普段曖昧に受け容れている遠近法を、人を貫きかねない、彼だけの鋭利な刃物に変えてしまう。こうした鋭鋒こそが、川端の遠近法であり、この遠近法の切れ味を感じることが、彼の小説を読むということでもある。川端の神経質で清潔な抽象性は、具体性からはいかにも遠い。だが、にもかかわらず、この抽象性は、リアリティを含んでいる。べつに彼の小説にかぎった話ではないが、文学は、具体的なものを追究するというそのことにおいて、抽象的な地点に到達することがある。それは、ひとがふだん、やすく用いている抽象性や具体性とは、まったく意味がちがう。
ところで、遠近法ということで言えば、足場が動くというそのことにおいて、小説を書こうとした高見順は、川端とは正反対である。つまり、描写のための足場が成立しない、いいかえれば、遠近法がそもそも成立しないような、そうした世界こそが、高見の小説空間である。当然、その分、駄作が多くなるのは仕方がない。だが、彼のホームランは、それこそ奇跡的な飛距離をもっていると思うし、また、彼の小説は、遠近法から遠ざかるというそのことにおいて、逆説的な具体性を帯びて輝いている。
ともあれ、川端の小説は、ゆるぎない、強固な美学によって貫かれており、その真摯な、そしてひとを寄せ付けない態度が、こちらに、彼の場を乱さないようにする、息の詰まるような集中力を要求する。東山魁夷の絵画もまた、そうした美学に貫かれている。むしろ、彼の絵画が、川端の美学を再認識させてくれた。こういう真面目な気分を味わうのも、ふだん不真面目な自分からすれば、なかなか得難い経験であると思う。まだやっているようなので、興味がおありなら、訪れてみてはいかがか。
追記――川端のコレクションのなかには、初期の草間彌生も含まれており、それが合わせて展示されていたが、やはり、彼女にも並々ならぬ才能があったことを、ひさびさに再確認させてくれた。というか、これはわたしのような若造がいうことではないが――別に悪くなっているというのではないが、このときから、ちゃんと成長していない気がするのは、わたしのまちがいだろうか――?