思考は地図である。
思考は思いとどまることや、ためらうこと、迷うこと、惑溺することとはいっさい関係がない。思考とは、地図を描くことであって、つまりわれわれの歩みを勇気づけるものである。思い思いの地図を片手に、われわれは旅をする。地図は知っている、あそこにいけば、お宝があり、べつのところにいけば、そこに恋人がいる。人間や人間でない者たちの、無数の出会いと別れとを見つめてきた、あの三叉路に立つ一本の大木は、なんでも知っているから、まずは彼を訪ねるといい。つぎにどこへいけばいいか、教えてくれるだろう。
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思考は地図であって、だからそれは行動する者の勇気の源泉である。他者の前でためらい、自己に回帰して身動きできない者は、考えるといっても、観念の遊びを——「思想」ごっこを——しているだけで、ほんとうの意味では一度も、たんに思考したことがない。
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思考しよう。つまり地図を描こう。君の旅を勇気づけるために、地図はある。真の思考は、だからためらうことよりも歩むことの後押しをする。猪突猛進の人間をひとは馬鹿にする。彼がもっている思考の深みを、ほとんどのひとは知らない。直線こそもっとも複雑な迷路だと、ボルヘスは言った。
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