恥ずかしいこと (1)

literature
2008.01.31

Kは、強く、そしてやさしい人間になりたいと、ずっと考えてきた。いまもそうである。その際に、もっとも足かせになるのはなんだろうか。当然、強さとやさしさの逆の観念、すなわち、自分の弱さと、そしてズルさとが、それだ。そこで、とくに理由はないのだが、Kはこう思った。弱さとは――つきつめていけば、恥ずかしさを避けることであり、また、ズルさとは、恥ずかしさをうまく避ける狡知、ということになる、と。結局、恥ずかしさを避けること、ここに問題があったのだ。このところ、どこかで「恥の文化」なる語が聞かれたが、それは逆であると思う。むしろ、積極的に恥をかくことが、もっとも重要である。思うに、強いこと、そしてやさしいことは、とにかく、恥ずかしいことなのだ。けっして、誇らしいことではない。

そこで、Kは、こう決めたらしい。みなに、これから自分の恥ずかしい経験をひとつひとつ語っていく、と。やけっぱちになっているわけではない、とKはいう。これが正しいことであると、なんとはなしに思えるらしい。Kがわたしに話した、Kの覚えている最初の恥ずかしい経験について、語っておこう(Kには承諾を得てある)。それは、幼稚園のとき、背中をこちらに向けていた先生のスカートめくりを派手に敢行して家に電話されたことでも、小学校のとき、ホームルームで床にみんなで座っているときにおならをしてしまったことでも、ましてや、友人と二人で女子生徒にお尻を見せて喜んでいたら、先生に、そんなことをやるなら教壇のうえでやりなさいと注意され、臆する友人を尻目(うまい表現だ――比喩性がまったくない)に、それなら俺が、とばかりに、言われたとおりに実際にそれを決行したら激怒されたことでもないらしい。わたしはKとは幼馴染なので、その辺のことは、おぼろげに記憶がある。だが、Kは、そんなものは恥ずかしくもなんともないらしい。なにより、恥ずかしかったこと、それは、言葉をめぐるいい間違いである、というのだ。

小さい頃、Kはピアノを習いに近くの施設に通っていた。どこぞの有名な音楽教室である。まだ幼稚園時代のことだったらしいが、その頃は集団でピアノを教わっていたので(エレクトーンだったかもしれないらしい)、十人ほどの生徒と、そして先生とがいたのであるが、その日は、たまたま母親が参観にきていたのだった。そこでとにかく、先生は、テクストの絵をさして、この鳥がなんだかしっていますか、と聞いた。その絵はあきらかに、“ふくろう”であった。なんだ、そんなことくらいは、幼稚園児なら誰でも知っている。それなら、このあいだ図鑑でみて、その奇妙な格好に感心したところだ。Kは、普段からおしゃべりな生徒だったが、母親がたくさん来ているからといって、いい気な顔をしてその問いに答えるのも癪だった。といって、誰も答えないので先生を困らせてはいけないと思い、その問いに答えることにした。そこで、Kは大きな声で、こう言った。というか、言ってしまった。「ほくろう」と。

そのとき、背後で、爆笑の渦がKの小さな背中めがけて大発生したのはいうまでもない。「しまった」と思ったが、後の祭りとはこのことである。Kは自分が言い間違えたことを即座に悟ったと主張するのだが、ともあれ、それを訂正する機会は与えられなかったらしい。先生は笑いをこらえ切れないといった様子で、Kを手を叩いて称賛しつつ、先に答えを言ってしまったからである。「よく知っていますね、でも、それはふくろうのことじゃないかな?」 彼女はだいたいそういったように思う。そしてKは、「そうだ」と相槌とともに返事をしたが、それは、はじめから“ふくろう”の名を知っていて肯いたのか、間違えて記憶していたことを正された点に肯いたのか、自分でも、よくわからなくなった。Kはいい足りない気がして、「間違えた」と言ったが、それでは、たんにいい間違えたのか、それとも、間違って記憶したのか、区別がついていなかった。それで、「知っていたが、間違えた」というようなことを付け加えたが、それは、もう、笑いの渦に飲み込まれた自分をなんとか救いだすべく行なわれた負け惜しみというか、無駄な悪あがきにしか聞こえなかった。そうだ、とにかく、Kは間違えたのだ。この恥ずかしさをいったいなんとしよう? 口は災いの元とはこのことだ。言葉が無力であるなどと、誰が言ったのだ? Kは、とにかくあのとき、沈黙を選ぶべきだったのだ。――いや、そうではない。といって、沈黙を選ばなかった自分を誇るべきかと言われれば、そうでもない気がする。とにもかくにも、Kは、この言葉によって、猛烈な恥ずかしさを味わったのである。Kにできたのは、背中を鞭打たれた人間が、頬に笑みを浮かべながら涙するような、そんな表情を作ることだけだった。

それ以来、Kは、ふくろうを敬愛しているという。そしてほくろも、敬愛するようになったらしい。とにかく、Kがわたしに言いたかったのは、言葉は、恥ずかしいものだ、ということであった。

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