ドゥルーズ=ガタリはこんなことを言っていた。
責任をもつとか、無責任であるとかいったことについては、私たちはそんな概念とは無縁だと申しあげておきましょう。責任、無責任というのは警察や法廷の精神医学に特有の概念なのですから。
『記号と事件』河出文庫
「大東亜戦争」に対する反省の仕方がたびたび問題になる。そこで戦後日本のインテリに持ち出されるのがドイツである。ついつい本音が漏れてしまう日本に対して、偽善や建前を重視するドイツ人を讃えるおなじみの論法だ。しかし、こういうやり方はそもそも反省の定義にずれているし、かえって有害と思う。
このところの極右の、極端に狭隘な民族自決主義を眺めていると、すくなくとも大東亜共栄圏の理念が、この「民族自決主義」を非難していたことを思い出さざるを得ない。日本の掲げた理念と現実の乖離について考えるべきところはあっても、ドイツと同じ形で反省すれば済むような内容ではない。
人間の理性についての奥の深い反省を、ナチスドイツは戦後のひとびとに迫った。天皇制日本が迫る反省は、なんだったろうか。戦時中の残虐・権力の暴走・イデオロギーの危険性、さまざまな要素はあれど、究極的には、《歴史とは何か》、という反省ではなかったか。理性も歴史も、結局は戦争を望むのだ。
欧米列強の世界支配に対して、日本は被支配者アジアの代表である、との気概があった。しかし、アジアの各所で戦争を遂行するうえで、その理念に対する矛盾を日本は露呈させつづけた。結果は知っての通りである。しかし、内容をみるかぎり、ドイツと同じ形で反省すれば済む、というわけでないのはたしかである。
帝国の版図が広がるごとに、自身の築いた理念を自身で傷つけ、それどころか自身をも破壊していく。版図の軍事的拡大が、同時に国家の自壊作用をも意味する、そんな戦争を、帝国日本は繰り広げた。日本はきわめて純粋に近い戦争国家であったが、しかしその姿は、歴史のひとつの理想像であったかもしれない。
だから、歴史家を自認する者は、歴史という概念それ自体に、戦(おのの)きを覚える。歴史の原動力とはおそらく、戦争である。歴史は、たえず戦争に向かい、それを促進し、それを通過することでまたエネルギーを得るような線分なのであって、それで、なんと重苦しい業を背負っているのかと嘆息する。
しかし、数年前から、ならば、歴史をそんな重苦しい業から解放してやれないかと考えるようになった。ドゥルーズ=ガタリが歴史を敵視したのはよく知っている。わたしもそれに同意する部分がある。歴史は敵だと。だが、いまは彼らの時代とは状況が変わってきている。わたしのやろうとしていることを、彼らなら理解してくれるのではないかと、思いもする。