いつしか自分の頭に住みついた片頭痛が日曜日の深夜に勢いを増す。発作的に激烈な痛みと嘔吐に襲われる。ミシュレやニーチェのかかった病と同じなら少しは気は休まるが、肉体的にはこれまで感じたことのないほどの痛み。
日々の頭痛の種、つまり自分が不快感を催しているものに対する親愛の情を、ニーチェはよく感じていた。わたしの場合はカントやデリダがそれだった。ディスプレイから離れ、気づけば自分で自分に頭痛の種を撒くかのように、ソファでデリダのベンヤミン論を読んでいる。これがかの散種Disséminationと思うと、笑いがこみ上げてくる。
解説を読んでいると腹が立ってくる。昔は納得づくで読んでいたはずだったが、理論的な水漏れがあるような気がして仕方がない。しかも漏れた水がまた戻ってきて、それでなんとか前に進んでいる。というか、せっかく吐き出した異物をまた飲み込んでいるような気分になる。
しかし、これほどカントやデリダが気になるところをみると、ニーチェやフーコーへの愛情とは別の意味で、奇妙な親愛の情を覚えるいるのではなかろうか? カントやデリダは、わたしにとって、アカデミズムの象徴なのだ。
とはいえむろん、わたしがずっとかかわってきたのは実証主義である。カントやデリダよりもずっと近しい、親愛なるわたしの敵である。その牙城ともいえる場所で、「実証主義とはなにか」について、報告しようとしている。要は、自分で自分の頭痛の種を増やしているわけだ。
いまでは、実証主義にはずいぶん親愛の情を覚えている。それは、なにかこう、もはや帰ってこないものに対するいとおしさによく似ている。実証主義に対するカント的批判は、必要なかったのだと、いまは感じている。もっと別のなにか。特別な頭痛の種を欲している。
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目が覚めた。が、まだ痛む。正直に告白すれば、自分が歴史学者である、ということも頭痛の種だ。いまの日本に、わたしほど歴史学者に敵意を抱いている人間がいるだろうか。今日のアカデミズムには、もうかつてのような歴史学者への敵意などありはしないというのに。わたしの親愛なる、孤独な敵意よ。
しかし、この峻烈な敵意によってわたしは成長し、そしていまでは愚かな青春時代の追憶に似た居心地の悪さと愛情とを同時に感じていて、かつての敵意はずいぶん鈍っている。好意だろうと敵意だろうと、鈍ったものは振り払わねばならない。かように歴史学に対するわたしの愛情は複雑なものだ。
医者の家に生まれ医者たる将来を方向づけられていたフーコーは、すでに幼少期に歴史家になることを夢見ていた。ニーチェと同様に、彼も歴史に夢を抱いた。くだらぬ現実からの逃避というより、永遠に対するあこがれから、おそらくそうしたのだ。しかし、自分が愛していたのは、このような歴史ではなかった、彼らはそう感じ、そしておのれの哲学が生まれる。哲学を強いられる。
ヘーゲルのようにあらかじめ屈折していた人間が歴史を愛するのとは異なる。屈託なく歴史を愛したニーチェが、当の歴史によって屈折を強いられるとき、彼は折れ曲がるよりも、歴史を振り捨てて真っすぐであることを選択した。だが今では、ひとに屈折を強いるほどの力を、歴史の方が失ってしまった。
いまではおのれを励まし奮い立たせるどころか、立ち向かうべき敵をさえ、鼓舞しなければならない。倒すべき敵に自分が磨いた剣と盾とをくれてやり、わたしなど取るに足らぬ者だということさえ、教えてやらねばならない。わたしを恐れず、試みに一戦まじえてみようではないか……。別にいい気になっているつもりはない。おそらく今ではどの分野でも起こっていることだ。
敵に吐く呪いの言葉を、若者は失っている。敵がいないのだ。不在において他者を意義づけるこの空虚な定義がはびこるかぎり、呪詛はおのれに向かう。実際、言葉に、おのれを傷づける以外のなにができるというのか。おのれを傷つけることによって万が一他人の同情をひくことを願う以外のなにができる?
言葉は本当に肉体を傷つけるのだと教えてやったところで、敵はほとんど信用しない。だがそれは、弱点であるわたしの心臓を外気に晒すことなのだ。もっとも非力な呪文によってさえ傷つくほどに、無防備に弱点を晒しているのだ。さあ、歴史よ、言葉を発してみよ、さすればわたしの心臓は傷つくであろう。言葉が出来事であることを歴史に教えた時、わたしは歴史に、おのれを破砕する最強の武器を与えたのだ。
だが、当の敵ときたら、それが武器であることさえ、思い出せないでいる。わたしが仕掛けたからくりに気付いているのか? いや、そうではない。本当に忘れているのだ、自分に力としての言葉があることを。若者たちと「不在の敵」とのあいだの奇妙な均衡を打ち破るためには、もっと巨大な非対称が必要なのだ。たったひとり分の心臓を晒すだけでは、この奇妙な均衡は崩れないのだ……。
澤山建史
2011年12月9日(金) at 17:18:49 [E-MAIL]田中さん。
お久しぶりです。小林ゼミで一緒だった澤山です。
覚えていますか。
ジュンク堂を今年の6月に退職し、現在臨川書店の営業部にいます。
改めてまたご挨拶にお伺いします。