文学と予言

criticism
2002.07.15

文学と予言とは、おそらく、密接なつながりがある。ギリシアにおける紀元前五世紀が、アイスキュロスや、ソフォクレス、そしてエウリピデスらによる「悲劇」の時代だったのは、デルフォイやオリュンピアなどの神託――すなわち予言が、何らかの意味をもつ時代だったからである。ギリシア世界がペルシア帝国との戦争に勝利し、アテネが民主政治を獲得してペリクレスの登場とともに頂点を迎えるという発展的な過程において、人々は、神託に耳を澄ました。彼らは、われわれが思っているほど、純朴にそれらの予言を信じていたわけではない。それが、ある意味でいかがわしいものであることを、十分に知っていた。だが、彼らは、その予言が、結果的に、なぜか一致してしまうという驚きにおいて、自らの存在を、省みたのである。予言を信じる「わたし」と、予言を疑い、予言を信じる自分を笑う「わたし」。後者の「わたし」は、単に、その予言を、この「わたし」がそうあるべきような理念とみなす。さらにいうなら、現に今存在している自己においてみられる二つの「わたし」と、予言において示された、そうあるべき「わたし」とのあいだにはより超えがたい距離、すなわち“運命”がある。この理念としての予言を未来において実現させることによって、はじめて、自己の三つの分裂は、統合され、自己が自己を実現する。この自己が自己を実現する困難に、紀元前五世紀のギリシア人は、「悲劇」を見いだしたのである。しかし、この困難は、克服されえるものでなければならない。そうでなければ、「悲劇」は逆接的に成立しない。まったく実現不可能な理念を追いかけることは、もはや「悲劇」ではないからである。彼らは、ペルシアとの戦争に勝利し、自由民主政治を獲得していく当時の政治状況のなかで、いかに理念と現実のあいだに困難があったとしても、未来においてそれを克服しうると信じたのである。ここに、主体による主体ののり越えという、近代の主要なテーマと同様のものを見いだすことは、あながち的外れではあるまい。

したがって、このことは、十九世紀の西欧(日本もそこに含まれてよい)にもあてはまることがわかる。産業革命を成し遂げ、東ではオスマン=トルコを圧倒し、地球上のあらゆる地域に植民地を獲得していく、そして一方では、古くから自分たちの存在を保証していた農村共同体が崩壊していくなかで、人々は、知識人の言葉に耳を澄ました。人々は、歴史の終焉という、ヘーゲルのテーゼを、予言として聞いた。マルクスのプロレタリア革命のテーゼを、予言として聞いた。彼らは、紀元前五世紀のギリシア人と同じように、現に今存在している「わたし」と、予言において示された、そうあるべき「わたし」との解離に、文学的なものを、要求したのである。

本来、こうであるはずの「わたし」は、しかし、いまここにおいて、「わたし」たりえていない。この「悲劇」という名の解離を埋めるべく、人々は、ギリシア人に対してそう呼ぶのと同じ意味において、「純朴に」、進歩史観や歴史の終焉という言葉を、信じた。そして、それらの想像的な実現を、文学のなかに見出した。人々は、そうして、民族や、国民国家なるものを創出し、さらに、それらを超出するべく、全体主義国家や社会主義国家を作り出したのである。

しかし、ギリシアにおいてそうであったように、十九世紀において意味をもった「予言」は、次の世紀の半ばには、次第に力を失っていく。批判=哲学の時代の到来である。アテネのペリクレスにおいて示されたギリシア世界の頂上は、あるひとりの老哲学者の登場によって、砂上の楼閣にすぎないことを暴露される。時を同じくして、アテネでは衆愚政治に陥った民主政治は終わりを告げ、寡頭政治が始まっていた。この老哲学者は、ただ、知っていることと、知らないことを区別せよ、と言う。彼は、たんに、予言を、予言としてのみ、聞け、と言ったのである。彼がデルフォイで授かった神託はこうだ。「ソフォクレスは賢い、エウリピデスはさらに賢い、しかしソクラテスは万人の中でもっとも賢い。」

この老哲学者――すなわちソクラテスとともに、「悲劇」の時代は終わる。「喜劇」作家、アリストファネスの登場である。彼の作中で、ソクラテスは揶揄される対象に過ぎないが、しかし、なにより、ソクラテス自身が、優れた喜劇役者だったと言える。若者を腐敗させたかどで告発され、彼の弁明空しく、三十人委員に死刑を宣告され、彼が毒をあおって死んだとき、彼の弟子は、笑いが止まらなかったというのだから。ギリシア世界は、もし、その時代を“近代”と呼びうるかぎりにおいて、“ポスト近代”に登場した「哲学」に覆われ、アリストテレスを教師にもつアレクサンドロスを生んだマケドニア帝国に、そしてローマ帝国によって、飲み込まれてしまう。

それと同じことが、やはり、一般的な意味での近代においても起こっている。二〇世紀の終わりに、もはや、予言を信じる者たちによって作られたソヴィエト連邦は崩壊し、アメリカ帝国が、世界を覆い尽くそうとしている。少なくとも、アメリカ帝国に飲み込まれてしまった国々において、文学は消滅した。そこにはもはや、文学者は存在しない。存在しているのは、「文学」の死を宣告してまわる哲学者ばかりである。

しかし、「哲学」が、批判であるかぎりにおいて、それは、「文学」の血を吸うことによってしか、生きられない。「哲学」も、遅かれ早かれ、窒息死を迎えるだろう。二〇世紀の「哲学」は、およそ、十九世紀から二〇世紀のはじめにかけて、マルクスの予言を真剣に聞き入った者たちへの批判に費やされた。マルクスの予言に耳を貸すな、と言ったのではない。二〇世紀の哲学者は、マルクスの業績を称えながら、しかし予言は予言でしかない、ということを主張したのである。こうして、「文学」はソヴィエト連邦を道連れに壊滅した。いまは隆盛を極め、勝ち誇った「哲学」も、いずれ猟場を失い、餓死するほかない。そのあとに訪れる、平和。文明の爛熟。確かに、歴史は終焉したかに見える。現存在は、存在とついに一致したかに見える。しかし、その一方で、どこかに不安を感じながらそれを見て見ぬ振りをしているのではないか。自分の存在を保証する誰かを求めているのではないのか。冷戦の終結とともに訪れるはずの平和は、その名とは裏腹の度しがたい混迷だった。

おそらく、人々はローマ帝国時代の末期にそうであったように、《神》を求めている。現在の混迷を独力で改善しえない人々は、それを一挙に救ってくれるはずの英雄を求め、そして宗教的原理主義を信じている。現存在と存在がついに一致し、歴史がついに終焉を遂げ、世界がついにひとつに閉じられたと信じた瞬間に訪れる、外部からの痛烈な一撃。世界はひとつに閉じたのではなかった。ローマの軍隊が、帝国の内部で生活する人々に外部を隠蔽しつづけたように、アメリカの軍隊が、外部を隠蔽しているだけなのだ。ローマ帝国が搾取しつづけたゲルマン人による一撃。アメリカ帝国が搾取しつづけた、アラブ人の一撃。誰に指摘されるまでもなく、このふたつの出来事は、同じものの反復であろう。おそらく、昨年のニューヨークを襲ったテロは、その序章にすぎない。・・・

自由民主政治がその名のとおり、民主的にもたらされるのだとすれば、専制君主政治もまた、民主的にもたらされる。人々が、自ら、その一手を選択するのである。当代一流の知識人、アウグスティヌスが、ゲルマン人のローマ来襲に呆けて、知的なマニ教を捨て、ストア哲学を放棄し、ついにキリスト教を自ら選んだように。もちろん、心配することはない。神のもとでは、誰もが平等なのだ。王や、貴族でさえ、そうなのだ。われわれが、現世において、農奴であるとしても、なにも心配することはない。宗教が、民主政治を、想像的に実現してくれるのだから。

こうして、「文学」が死滅し、「哲学」が息絶え、最後に「宗教」が残る。暗黒の中世。歴史は、たしかに、反復である。だが、この反復は悲劇的でもなんでもない。あまりよいとは言いがたいことを十分に知りながら、その結末に向かって突進する姿は、あまりに滑稽であろう。これはおそらく喜劇である。

このあまりに悲観的な、喜劇的反復の予言。ひとは、これを妄想だと笑うだろうか。近代の人々は、ヘーゲルやマルクスの予言に約束された将来を見いだしたがゆえに、それを信じたのである。このような悲観的な予言を信じようとする者などいないだろう。だいいち、わたし自身が、このあまりに悲観的な、しかし喜劇的な観測を、信じていない。また暗黒の中世が訪れる?そんなことはありえないことだ。希望はいつだってある。この困難は、おそらく、克服可能である。だが、オイディプス王がそうであったように、悲観的な予言に抗いつづけ、ふと気づいたとき、知らず知らず自分がその予言を実現させてしまっていたとしたら、どうだろうか。

それは、たしかに、悲劇にちがいない。

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