明日の記憶、忘却の夢

literature
2010.11.10

歴史学者は、ひとりの潜水夫である。海の底で、息が続くかぎり、古い宝物を拾い集めようとする。岩をめくっても、なにかとれることは滅多にない。この海は、忘却の海だ……。地上から忘却を非難するひとがいる。たしかに、この海には、宝物がたくさん散らばっているかもしれない。でも、潜ってもなにも取れない出来の悪い歴史学者は、美しい忘却があると強がりを言う。

海の底で掬いあげた一滴の雫に、出来事の息遣いがあったなら、雀のように飛び上がってわたしは狂喜するだろう。だが、その行為自体が一滴の雫に対する背理であろう。記憶すればするほど、忘れ物もまた多くなる。なにも知らなければ、忘れることもなかった。本当に知ることを恐れないひとは、忘れることだって恐れないはずだ。忘却を恐れていては仕事はできない。わたしは仕事をする。そして忘れる。

記憶することは、とても大事なことだ。(ひとがすべてを記憶できたなら、きっと国家は必要なかったろう。だがわたしはすべてを記憶することなく、忘却を伴侶に生きていよう。忘却を恐れる者たちが、国家を作ったのだ。ならばわたしは忘却とともに生きることを選ぼう。忘却のなかに新しい大地を探そう。)

(奇妙にも、かつてわたしが知っていたよりも多くのことを忘れていると感じている。わたしが忘れたものは、かつてわたしが知っていたものと同じ数だけあるはずだ。だが、にもかかわらず、わたしは忘却のほうが多いと感じている。つまりわたしは、かつてわたしが知らなかったことを知っていた気がするのだ。)

もう思い出せない、わたしのいまだかつて知らなかった記憶。この奇妙な忘却を意識するとき、他人の声が聞こえる気がする。もうずっと昔に死んだ年老いた小説家の声が、聞こえる気がするのだ。きっとわたしの起源には、あからじめ忘却が埋め込まれていて、この忘却を仕込んだのが年老いた小説家なのだ。

わたしが自分と語らうとき、この老いた小説家と語らう。だが、この小説家はとことん寡黙で、喋っているのは自分ばかりである。彼の声が聞こえるといっても、そう感じただけなのかもしれない。ともあれ、わたしはもうそれを忘れてしまった。美しい忘却、それが海の底で拾ったわたしの宝物。

今日も歴史学者は海に潜る。われながら、くだらない、時代にあわないものを拾ったと思う。皆それについて忘れているだろうが、だからといって非難できない。こんなもの、拾った方が悪いのだ。それに、あえて拾わなかったものさえある。それはたくさんある。拾えたのに拾わなかったのだから、罪が重い。弁解の言葉は、忘れていた、だろうか。

たとえばアーレントが、忘却の穴、とか言っているのを聞くと、たえず古い資料の海に潜っている歴史学者は、じゃああなたは、なんでも覚えているのですかと言いたくなる。むしろわたしたちは、本当に多くのことを忘れているのです。いままたなにかが忘却の淵に飲まれています、それが真理なのです、と意地悪を言いたくなる。

人類共通の記憶になんか、わたしはあまり貢献したくありません。たとえばひとは、白樺という雑誌が創刊されて今年がちょうど百年だったことさえ、忘れていたんです。大逆事件の年に、この雑誌は生まれました。この事件と同じように、この小さな雑誌のことは、忘れ去られていました。小さな小さな、大切な事件。むしろ、わたしには「人類共通の記憶」から漏れてしまったこれらの小さな悲喜劇のほうが、ずっと大事なことなんです。

どうやら白樺はジャーナリスティックな意味での「共通の記憶」からは漏れてしまった。つまり白樺派のひとたちは、カント的な意味で「認定」されなかった。忘却の世界の住人になった。でもだからこそ、ますますわたしのなかで、彼らは価値を高めているのです。

ああ、消えていく。だけどますます輝きを増している。そんなパラドックスがあることを、忘却について考えていると、気づきます。老人が忘れっぽいのは、とにかくたくさんのことを記憶しているからなのです。彼らにとって思い出は、夢と同じものなのです。

若い小説家は、きっと夢で見たことを小説に書くのでしょう。わたしのような年老いた小説家は、思い出を小説に書きます。不思議なことですが、それは徹頭徹尾同じものです。子供が大人になることを夢見るように、老人は死を夢見ています。子供が大人になりたくないように、老人は死にたくないのです。いつまでも子供でいる大人をみていると、よけいにそう思えてきます。わたしもあなたがたと同じように、野山を駆け巡るのだ……。

わたしのなかに、年老いた小説家がいます。駆け出しの若い歴史学者にすぎないわたしは、記憶の底の忘却の穴のなかに、年老いた小説家がいるのを知っています。記憶の世界の住人であるわたしは、忘却を隔てた向こう側に、わたしの年老いた小説家がいるのを知っているのです。

わたしが海の底で拾ったのは、「夢を失うまい」と書かれた、煤けて端のほうが朽ちている、小さな手紙。彼の夢がなんだったのかを明らかにすることが、これからのわたしの仕事です。おそらくは社会的にはなんの価値もない、しかしわたしには無限の価値をもつ、小さな仕事。百年前に書かれた、明日の記憶。

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