天から降りてくる無数の雫。漏斗としてのわれわれ(1)は、そのいくつかはあふれさせながらも、いくつかを受けとめることに成功した。受け止められた雫は滞留しながら中心に向かってゆっくりと流れ、次第に速度を増して大地に落ちるだろう。その雫は、もうかつての雫ではなかった。しかし、大地に落ちた無数の雫と混じり合い、ふたたび上空へと舞い上がるのだ。このプロセスは、おそらく無限に繰り返される。否、無限という言葉は正確ではないかもしれない。有限を超えたところに無限が、無限を超えたところにまた有限が。そしてまた有限を超えたところに……。
有機体は、こうした循環のシステムをある程度自分のなかに実現する(たとえば生殖機能として)。しかし、有機体が有機体であるのは、有機体自身がもっと高次の循環システムに所属するかぎりにおいてである。そのことを知らなければ、有機体は未然の有機体、すなわちドラコーン・ウロボロス(自らの尾を飲み込む蛇)かサトゥルヌス(クロノス、子を食べる親)となるほかない。そして、結局のところ、あらゆる有機体のイメージは、すべてこのドラコーン・ウロボロスに終わる。たとえば、論理実証主義者を当惑させた嘘つきのパラドックスは、この刹那の怪物と重なりあうだろう。ニーチェの「噛み切れ!」の声は、ここにおいて聞こえてくる。超人は、高次の有機体を自らのうちに特別な形で――すなわち、《精神》において/として実現する者である。
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彼は顔を過去の方に向けている。私たちの眼には出来事の連鎖が立ち現れてくるところに、彼はただひとつの破局だけを見るのだ。その破局はひっきりなしに瓦礫のうえに瓦礫を積み重ねて、それを彼の足元に投げつけている。きっと彼は、なろうことならそこにとどまり、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せ集めて繋ぎ合わせたいのだろう。ところが楽園から嵐が吹き付けていて、それが彼の翼にはらまれ、あまりの激しさに天使はもはや翼を閉じることができない。この嵐が彼を、背を向けている未来の方へ引き留めがたく押し流してゆき、その間にも彼の眼前では、瓦礫の山が積み上がって天にも届かんばかりである。私たちが進歩と呼んでいるもの、それがこの嵐なのだ。
ヴァルター・ベンヤミン「歴史哲学テーゼ 第9テーゼ」
(浅井健二郎・久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』所収)
われわれは、高次の有機体におけると、有機体であるわれわれ自身におけるとで、異なる時間を有する。驚くべきことであるが、未来から到来して束の間の現在をなし、そして過去に流れ去ると思われる時間は、われわれ(=現存在)のなかでは、奇妙に反転している。惜しくも、ハイデガーはこれを見落としたが、実際にこれはきわめて重要な点である。外からやってきて、われわれに受け止められた《未来》は、われわれの体内で《現在》となる。その後、まもなく時間は体内で《過去》となる。そうした時間が表出されるときになって、その《過去》は《未来》となる。しかし、その《未来》は、われわれの外では《過去》として振舞う。つまり、順を追っていけば、未来⇒現在[現在→過去→未来]⇒過去という時間の流れがある。ヴァルター・ベンヤミンは、「歴史の天使」を過去だけを見つめて後ろ向きに未来に飛ばされる姿として描いた。歴史の天使とは、いわばわれわれの体内を通り抜ける時間である。われわれの内部で、天使は未来に背を向け、瓦礫としての過去を遺していく。楽園からの風、あるいは時の雫の流れは、やむことがない。歴史の天使は漏斗としてのわれわれをすりぬけ、じきにわれわれの目の前を過ぎ去っていくだろう。そのときには、おそらく彼はこちらに背を向けているにちがいない。
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カントの《先験性/アプリオリテート》や、フロイトの《トラウマ》は、事実上、事後的に構成された過去である。しかし、これらの概念は、時間的に異なる順序で現れるものを不当に逆立させている点で、彼らがいかに自覚的であったとしても、いささかトリッキーである(それはヘーゲルの「精神」においても同様である)。通念的には考えることが困難でも、現存在としてのわれわれにおいて、過去は、現在より後にやってくると考えたほうがよいのである。つまり、歴史は、現在が現在から構成する過去であり、それらの過去は、構成されるということによって、不可避的に過去とは異なるもの、すなわち未来となる。現存在であり漏斗であるわれわれが摂取した「歴史の天使」は、われわれに過去の残像を見せながら、未来として排泄される。
われわれは、ここでオヴィディウスが伝えた神話を思い出す。パンドラの箱がすべての災厄を吐き出したあと、大地を狂乱が覆い尽くす。ゼウスは大洪水を起こして人類を死滅させようとする。しかし、そこに一組の男女が残った。記憶の神プロメテウスの子デウカリオンと、忘却の神エピメテウスの娘ピュラである。荒廃した大地だけを残して仲間を失い、涙に濡れ、悲しみに打ちひしがれる彼らに、ひとつの神託が降りた。「神殿を出でよ。頭をおおって、帯で結んだ衣を解くように。そして大いなる母の骨を背後に投げよ」。忘却の神の娘、美しく誠実な女、ピュラはいう。母親の魂を傷つけるなどできない。デウカリオン。「大いなる母」とは「大地」のこと、「骨」は大地の「石」のこと……。彼らは神託を実践する。彼らは大地の石を拾う。しかし、それはやはり母の骨であった。背後にうち捨てられた母の骨は、次第に肉や血管をまとい始め、ついには人間の姿となり、かくして、彼らはそれ以後生まれた人間の父母になった。つまり人間は、記憶と忘却の子。……
瓦礫を見つめる歴史の天使は、その背後に未来があることを知っている。デウカリオンとピュラの二人に訪れたのは、ベンヤミンも発見した「歴史の天使」であると考えて、おそらく間違いない。彼らは、荒廃した大地、すなわち過去をみつめ、そしてその背後に未来を作り上げる。骨であり大地の石ころでもある母の記憶を捨て去ることによってである。彼らが棄てた過去は、子供に、すなわち未来へと生まれ変わるのだ。この神話は、先に述べた時間の流れとまったく矛盾しない。漏斗であるわれわれは、現在が蓄えた過去を吐き出すことによって、それを未来に変えるからである。
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ここにひとりの風変わりな古文書学者がいる。古文書学者である彼は、かつて、砂浜に書かれた「人間」という文字が、波にさらわれ、いつしか消え去ってしまうことを善しとしていた(彼はあのハイデガーに似ていたが、その点ではハイデガーより優れた哲学者であった)。砂浜にコンクリートを流したり、文字を深く刻み直したり、写真を撮ったりして、手を変え品を変え「人間」という文字を保存しようとする本来の古文書学者とは、まるで異なっていた。彼は、大笑いの準備でもするように、「人間」という文字が消え去ってしまうことを、いまかいまかと待ち構えていたのだ。彼は、肯定的な忘却があるということを知っている。……
この古文書学者の行為として、もう一度上で述べた複雑な時間の流れを追っていこう。数十年間眠ってたったいま目覚めた彼は、「人間」と書かれた古文書を探している。いまではもう、「人間」はいなくなってしまったからだ。はたして「人間」が存在していたのかどうかさえ定かではなく、多くのひとは、「人間」は昔のひとが拵えたなにか架空の存在なのではないかと疑いさえしていた。だが、彼は「人間」がいたことを信じきっている。今日はありつけなかったが、明日にはそんな古文書が出てくることを期待してやまない。翌朝、父親が残した古い書庫をあさっていると、あやしげな文書を見つけ出した。彼はそれをみてこみ上げてくる笑いを抑えきれない。もしかすると「人間」と書かれているかもしれない! 狂喜乱舞したのも束の間、ただちに文書の読解に没頭した。あまりに断片的で、彼はそれを試行錯誤して纏め直さなければならなかった。彼は注意深く、自分のなかから「人間」のイメージを取り除き、その文書から読みとれるイメージを、できるだけ素直に、そしていろいろに思い描いた。そして文書は、彼の手の中で、ついに「人間」の形に纏め直された。《人間はいた!》 彼は我慢していた狂喜を爆発させる。そして語る、《それはわれわれの可能性だ!》……。
彼は、いまも書庫をあさっているが、もう「人間」は探していない。別の存在を探している。たとえば、「超人」とか……。彼にとって、「人間」はもう、過去の産物である。
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風変わりな古文書学者が探していたテクストに今日はありつけず、明日出くわしたからには、あきらかにそれは《未来》からやってきたのだろう。彼は彼の《現在》のなかで、そのテクストに没頭しながら、《過去》を作り出した。そしてそれをついに完成させたとき、それを「可能性」として、つまり《未来》として論じたのである。しかし、その彼は、いまはもう、別のテクストを探している。彼が論じたテクストは、もう《過去》のものである。
つまり、時間は、どう考えても、未来⇒現在[現在→過去→未来]⇒過去として流れたのである。そしてこの時の推移は、どのような古文書学者/文献学者/歴史学者であろうと、本質的に同じである。彼らの視線が、「過去」を現在のあとに作り上げるのだ。漏斗によって遅延させられた時間は、その速度の変化によって、外界に対して反転した時間を実現する。前方で同じ方向を向いて走っている車を追い越した時、その車輪が反対方向に回っているように見えるのと同じことである(付記しておくと、真空中を最高速度で飛び交う光の粒子がなんらかの仕方で《遅延》を実現するとき、一種の時間的逆行を実現する。質量や色彩が生じるのはそのときである)。
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過去とはなにか。それは程度の差はあれ、本質的に忘却である。というのも、想起によって現在に再現(represent)することでしか、現れないからである。つまり、《記憶》は、それが体内に蓄積されているとしても(あるいは紙や石版に定着した人為的な蓄積であろうと)、それが表皮を超えて入ってくる瞬間(つまり体験の瞬間)と、表皮を超えて外へ出て行く瞬間(想起の瞬間)にしか、意識されないのである。フロイトは、この忘却を「精神」と呼んだが、歴史家もまた、この忘却を「精神」と呼ぶ。「精神分析」は、その名と裏腹に、忘却を「精神」として総合するものである。同様に、歴史家は、複数形の人間を対象に、忘却を歴史として総合する。
想起によってかつての体験が再現される、とひとがいうとき、それは暗黙に過去の体験と現在の想起とのつながりを想定している(カント風にいえば、忘却は想像力を悟性に従属させることによって取り除かれ、像は概念と総合される)。しかし、この想定は、どうしても保証されえない。というのも、それらをつないでいるのは、実際には《忘却》だからである。ニーチェは言っていた。「忘却。――忘却が存在するということは、まだ証明されていない」。また忘却を、「われわれの力の割れ目」と呼んでいた(『曙光』第二書)。
したがって、それを「再現」(あるいはフロイト的にいえば「回想」)と呼ぶことは、現実に即しているとはいえない。むしろ、想起によって再現されるのは、もとのものとは致命的に異なるものなのである。すなわち、われわれは、《過去》を再現するのではなく、《過去》を《未来》として到来させるのである。それだから、むしろ再現させようとすることが、神経症者の「反復強迫」かえって強めてしまう結果を生む場合があるはずである。ドゥルーズとガタリがフロイトを批判し、「分裂病分析」を提唱したのは、おそらくこの観点からであろう。
同じことが、歴史についてもいえる。歴史家の意識がどうあろうと、現実には、テクストから過去を再現するのではない。むしろ、テクストから「過去(についての現在)」を「未来の可能性(=未来についての現在)」として到来させるのである。というのは、真の過去とは、徹底的な(高次の、より完全な)忘却だからである。この観点からみるかぎり、「テクストの外部はない」と指摘することはあまり意味をもたない。意味をもつとすれば、テクストが現在に対して過去を開示するという常識的で暗黙の(アプリオリな)了解を批判する場合だけである。だが、元来、テクストは過去ではなく、現在に所属している。テクストは媒体の酸化速度に応じてたえず現在にあり、そのかぎりでテクストはわれわれとともに世界を構成する一部分だからである。したがって、われわれはこう言わねばならない、「テクストはわれわれとともに外部にある」。テクストの外部はない、という言い方は、結果的にはテクストから得た思考を内面化する――というか内面を作り出す傾向しか生まない。むしろ、過去を現在に再現すると確信している実証主義者のほうが、(実証主義者の思ったとおりにではないとしても、またこの無自覚さが別種の問題を引き起こすことは確かであるとしても)結果的には実践的な意味を有するのである。
いずれにしても、こうした観点によるなら、歴史家もまた、その立ち位置を変えざるをえない。ミシェル・フーコーは、「砂浜に書かれた人間」という概念を提唱していた(「人間の死」よりもこちらのほうがよほど重要な概念である)。このテーマは、『言葉と物』以降、あまり取り上げられることはなかったが、フーコーの描く社会は、つねに、こうした高次の忘却、ドゥルーズ風にいえば「水漏れ」(2)を可能性として有していた。
いかにして、生産的に記憶を捨て去るか。未来の人文学者の課題はまさにこの点にこそある。記憶は蓄積されるのではない。滞留している(蓄積という考えには国家主義的な屈折がある)。たとえば、いまも消滅のプロセスを歩んでいるパルテノン神殿は、《永遠》の死であり、墓標である。しかし、だからといって、ロマン主義的な死は、自らの肉体のことを省みていない点で、もっとも醜いものだ。むしろ、たえず死を死んでいる、かの神殿は、そのことによって現にいまも生きているのである(死は生の否定ではない)。それは、この神殿の存在に不朽の価値を与える。ウィリアム・バトラー・イェーツが周の大公にうたわせた詩のとおり、われわれは、これを過ぎ去るままに過ぎ去らせねばならない。かけがえのない(差異としての)瞬間はつねに純粋な差異としての瞬間である。……
【註】
- (1) 有機体の漏斗イメージについての考察は「彼岸の快感原則(フロイトに寄せて)」(2009年12月10日)を参照のこと。この漏斗イメージは、フロイトが「快感原則の彼岸」で考察した小胞イメージを批判的に継承したものである。
- (2) ドゥルーズはフーコーについてこう論じている。「ここに私たち〔ドゥルーズとガタリ〕とフーコーをへだてる違いのひとつを見ることもできるでしょう。つまりフーコーにとって、戦略でがんじがらめになった閉域が社会であるとしたら、私たちが見た社会の領域はいたるところで逃走の水漏れをおこしていたのです」(宮林寛『記号と事件』310頁)。この観点は、より地理学的であったドゥルーズとより歴史学的であったフーコーの差異を考慮しなければ誤解を生む。フーコーが、時間的な概念である「未来」に社会の「水漏れ」の可能性を見ていた時期はたしかにあったのであり、それが《砂浜にあって波間に消え去る人間》のイメージなのである。したがって、フーコーの晩年の時間的な移動(19世紀から古典期へ)は、ドゥルーズにおける分散的な時間移動よりももっと重要な意味を有する。ドゥルーズにおいて、時間は高度に空間化されており、フーコーにおいて空間は高度に時間化されている。