歴史とは、人間が自由に至る物語である。その点で、進歩の風を信じなければならない、ということでもある。われわれの世界は行きつ戻りつしながらも、とにかく前に進んでいる、ということがないなら、歴史という概念それ自身が失効してしまう(それでかまわないというひともいるのだろうが)。
かつては封建社会から近代市民社会へ、という物語が信じられていて、その観点から歴史は語られていた。貴族に抵抗して生まれた在地領主制(論)はその意味でまさに最初の革命であって、長い封建時代のあと、近代革命が起こった、というわけである。
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しかし、「一概には言えない」という言い方でこの物語はどんどん掘り崩されていき、王権論的社会が古代以来連綿とつづく、ということになりつつある。気の毒なのは、そうした支配構造のうちに取り込まれている子供たちである。自由への物語なき教育を受けることになっているからである。権力への抵抗、そんなものを歴史に探しても無駄、というのが昨今の歴史学者の言い分なのである。選挙に行かない若者が増えても無理もないのだ。
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ぼくは心配している。歴史学も、そして日本社会も。できることをしていくほかないのだが。
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