言語論的転回以後、歴史の実証主義や構成主義は、どこに向かっていくのだろうか。じつはどちらも歴史をどう認識するのか、というタイプの議論である。したがって、歴史は認識における弁証法作用の起点でしかなくなる。要するに、それはテクストなのだ。歴史の内容は実験的に証明できないのだから、実証主義といってもついに歴史認識であり、歴史はテクストなのである。実証主義と構成主義の弁証法といったところで、なにか新しいことが起こるわけでもない。だからもっと別のことを考えたい。歴史をもっと実践的なものにしたいのだ。
近代の歴史学者は、歴史の証明が可能だと思っている点、いいかえれば言葉(史料)と出来事(現実)とを区別できないという意味では、多かれ少なかれ分裂症患者である。どこまでも証明しようのない過去の出来事を、その根拠となる史料を疑いながら、なお言葉通りに起こったと夢想するのだから。この不可避的な近代病の内部にどうしようもなく所属しながら、できうることなら、この病を美しいものにしたいと、そう思うのである。
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たとえばアキレウスは、ゼウスの娘でもある母テティスから、次のような予言を授かっていた。お前がトロイア戦争に参加すれば、ギリシア側が勝つが、お前は死ぬ。考えてみれば、アキレウスが「予言」として受け取ったこの言葉は、母が子にかけるものとしては当然の期待と心配とを口にしただけである。テティス自慢の息子である。だからきっとギリシアが勝つだろう。だが、母である彼女はわが子が心配でならないのだ。それでこう言った、《お前が加われば勝つかもしれないが、お前は死んでしまうかもしれない……。》母の言葉をそっくりそのまま信じ込むアキレウスにとって、その言葉は、将来かならず起こる予言となった。
アキレウスは、言葉と出来事とを区別できない。彼はおのれの運命を知ったと思い込み、その言葉が実現するまで、すなわち死ぬまで、つまり母の予言が成就し、ついには出来事になるまで、ギリシア側で奮戦を続けるだろう。彼は言葉と出来事とを区別できぬ幼児であり、分裂症患者であり、そして英雄である。
言葉が現実に生成するという病を、アキレウスは生きた。そのことによって、彼は歴史を《作った》。不思議なことだが、歴史を認識するということ、つまり言葉=史料どおりに出来事があったと《認識》することも、歴史を《作る》ことも、どちらも言葉と出来事を区別しない分裂症という点で、同じなのである。思いのほか、歴史家はこの英雄に近い場所にいるのだ。
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だから歴史は、本質的にいって、カント的ではありえない。言葉(仮象)と現実(現象)の世界を区別する=批判するという観点では、どうしても解けないのだ。むしろ、言葉と現実、仮象と現象とが混淆しているような世界でだけ、歴史は可能なのである。
その点、この区別に依拠した実証主義の史料批判はどのように考えるべきだろうか。
史料批判は、《事実の正確な記録》だけが、社会的に許された《歴史的分裂症》に値する、という奇怪な転倒である。だがこの批判は、たえず将来にわたる反証可能性に晒されている、いいかえれば、けっきょくはこの正確とて不正確を免れない。《事実の不正確な記録》を残すと決めつけられている詩人とともに、歴史家もまた、この分裂症を生きている。ある意味では、そうした正確さにかかわらぬ詩人のほうが、はるかに健康なのである。
詩人は、その不正確さを、そう呼ばない。《比喩》という。そして、この比喩こそが、人間の知を形成する真のあり方であることを、とっくの昔に見抜いている。むろん、デリダのように、比喩であることをさかしらに糾弾すれば、学知を破壊(脱構築)できると考えた者もいた。だがニーチェは、比喩が学知を可能にするという考えを、かえって肯定したのだ。この違いはとても大きい。
われわれは、詩のうたわれている場所、すなわち比喩のある場所に、知を形成させねばならないし、現実にはずっとそうしてきたのである。つまり比喩とは、この世界の生成変化なのだ。歴史はいかに音楽であったか。誰もがこの音楽を耳にしながら、黙殺し、歴史にただひとり、孤独に歌いつづけることを強いてきたのだ。
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ニーチェの深い、深い、孤独。