準親密圏

diary
2025.01.30

さて、親密なひとと、そうでない疎遠なひと、という二分法がある。簡単にいえば、友や家族と、友や家族ではないひと、である。意識的には、僕らはこの二人の人間のあいだを行ったり来たりしているわけだが、大人になると、むしろそのあいだをどう構築するか、ということに頭を悩ませるようになる。それができれば大人といわれ、そうでないと、幼稚といわれかねない。この「あいだ」を《準親密圏》と呼ぼう。

教室というのは、いわば準親密圏である。最初は誰も敵でも味方でもない。そしてここから親密なひとも疎遠なひとも生じてくるわけで、この教室がなければ、近代社会では友人を作るのも簡単ではないのだが、とにかく義務教育ということで、準親密圏は勝手に大人が用意してくれる。社会に出たら、それを自分で作っていかねばならない、ということなのである。面倒といえば面倒なのだが、じつは、ここから恋も生まれるのだから、無意味ではないのだ。

そもそもあまりに仲良くなりすぎると、恋に発展しづらくなる、ということがある。親密圏での交流は同性愛的になりがちだから、準親密圏の構築が、他の性との交流には不可欠なのである。重要なのは、近すぎも遠すぎもしない、適度な間隔だ。そこから恋が生まれ、もし成就して以降も互いの性を尊敬する、ということが生まれてくる。

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