激流に立つ欄干としての人文学

diary
2022.05.25

《存在》とは、ひとつの「狂気」(フーコー)であり、あるいはひとつの「機械」(ドゥルーズ&ガタリ)である。反対にいえば、「狂気」とは《存在》のことであり、あるいは「機械」とは、《存在》のことである。『存在の歴史学』を書いて、そう思うようになった。

それにしても、『存在の歴史学』は独走した感じがある。ふりかえると、あれ、誰もついてきてない、という。十年前に『精神の歴史』を出したときもそうだった。出版してから何年もたってから、突然、若い人が書評をしてくれた。いまも感謝している。そういうことに期待しながら、それでも今後何年かは、淋しい感じになるだろう。ドゥルーズやフーコーやってる研究者は、もっと突き抜けてほしい。そうすれば状況も変わりそうだが、入門書書いたりで忙しいのだろう。

自分が入門書を書く、という場面を想像するが、よほど淋しくなったときだろう。自分は日本の知識人がいつも公衆に埋没していくことを問題に思っている。網野善彦のいうような、知識人と公衆の対立など、べつに起こっていない。福沢諭吉がかつていったように、知識人はむしろ公衆に雷同するだけで、いっしょになって日本的気風をつくりあげている。彼によれば、学者はもっと《外》に出るべきなのだった。

日本にもレヴィナシアンがいたはずだ。レヴィナスが「顔」について論じたことがよく知られている。だが、誰もがマスクするこの日本社会、レヴィナシアンはなにもいわない。あるいは「素顔」など仮面だ、と言った柄谷行人。それについて柄谷主義者は? 生政治について語ったフーコー。ワクチンを強いる生政治的状況について、フーコーディアンは? 戦争機械について論じたドゥルーズ。ウクライナの惨状をみて、ドゥルージアンは? 研究と現実は別なのか?

とにかく、現代日本の知識人は、文献から出てこなくなってしまった。それどころか、公衆まで文献のなかに入門=埋没させようとする、そんな人間になりさがっている。存在に達しようとする意志がなければ、ひとは存在にいたらない。言葉に埋もれてしまう。戦前の日本人、たとえば西田幾多郎がなぜ「場の論理」を言うのか。それは、存在への意志なのだった。

元来「実証主義」positivismは、ポジティブなもの、文献の《外》に出ようとする意志のことだった。たんにテクスト解釈にとどまる文献学ではなく、現実の歴史に達することができる、という。だが今日では、実証主義はむしろ文献というネガの外に出ない意味に使用されている。それはポジティヴでもなんでもない。

オーギュスト・コントを読むと、《これからは実証主義者が政治をやるんだ》というような、外への意志に満ちている。そもそも出自からして文献学とはぜんぜん違う、むしろ文献学批判だった。だが現代日本の実証主義は、じつはテクストの内部に留まる言語論的転回とほとんど大差ない。本来まったく対立するはずの観念が同じものに溶解している。それは驚くべきことだ。

入門書書く前に、学者が門の外に出ないといけない。もちろん、外に出て学界の論理を振りかざすのでもなく。文献から出発して文献に終わるのではなく、もっと大きな円を描く。つまり、存在から出発して存在に終わる。文献などどうでもいい、というのではない。文献は存在の旅路の道標みたいなものだ。

歴史学者という人種は、気づくと道標のほうをありがたがるようになる倒錯した人種だ。歴史という目的地に向かうより、目的地にいたる案内図に興奮するような。それで実際に旅をするより案内図のなかに回収される。案内図の案内人になる。といっても、この歴史病は、歴史学者だけのものではない。現代日本人の多くが罹患している病である。

国土強靭化と称して巨大な防潮堤が海岸線を覆い隠したことがあった。広い海を眺める「生活」より、「命の安全」を選ぶ、というわけだが、いまやどこもかしこも、精神の防潮堤が日本人を覆っている。防衛と称して閉じこもる。社会、あるいは精神における文字通りの《萎縮》。

自分の『存在の歴史学』は、そんな現代日本社会への鉄槌あるいは贈り物であり、文字通り《外》に出た大陸浪人、あるいは精神を《外》にむけて解放した文士、彼らを讃える書物でもある。それにしても、日本人もここにきて急激に変わってしまった。がっかりしている。

ハイデガーは存在について大切なことを言っていた。それは投企的だ、ということ。なにが起こるかわからない未来、賭けなしには生きられないということだ。不安はつきまとう。それは取り除けない。賭けなしに安全だけを望むことは「萎縮」を意味する。日本はこれから想像以上に人口が減っていくだろう。

だが希望がないわけではない。自分のような学者がいる、ということそれ自体が、そもそも日本社会の希望だ。存在を開いていい。そういえる自分のような学者が日本にもいるのは、たぶん悪いことではない。まあ、多勢に無勢、という感じはおおいにあるが、引き潮のなか、ふんばっていきたい。

ニーチェが昔、「俺は激流に立つ欄干だ、俺からすすんでお前たちを助けはしないが、掴まりたいやつは掴んでも振り解きはしない」といっていた。激流にいいように流されていた自分はそれで掴んだ。掴んだ手すりがたまたまニーチェだったために、こうなってしまったのだった。

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