無柄眼類の幼生(エリック・サティに)

literature
2006.12.19

人一倍認められたいと思っている男がいた。彼はしかし、認められるための努力など少しもしようとはせず、せっせと自分の思い付きを書き溜めては、楽譜にしたり、カンヴァスに描いたり、あるいは原稿用紙を埋め尽くしたりして、それをひそかに投稿しては、ひとしれず落選するという憂き目を繰り返していたのだった。そんなとき、彼はきまってこう言うのだった。「認められるために自己変革の努力をしろというやつが多いが、それは間違っている。」彼にしてみれば、それでは彼が認められたことにはならないのだそうだ。というのも、それではたんに、彼が社会を認めたことになるらしい。主客が逆転している、とのことである。「何度もいうが、わたしは社会を認めていない。社会がわたしを認識すべきなのだ。」かくして彼は、いつぞや流行った「認識せよ」という言葉をしきりに繰り返した。そして、三十曲分の楽譜、五十枚の絵画、そして十数本の論文、それもすべて投稿先からつき返されたものばかりが彼の手許にあふれんばかりに残されることになった。しかし、その後は、増えなかった。なぜか? もちろん、彼の膿むことのない野心を想起すれば、絶望のあまりなにも物すことがなくなった、というわけでは、まさかなかろう。おそらく事態はこういうことだ。送られた出版社の方で、つき返すこともしなくなったのである。もちろん、これは推測にすぎないが、送付先で、裏紙としてせっせと再利用されているのだと思われる。近頃社会は資源の無駄を嫌うのだ。いずれにしても、彼はしまいには、「認識せよ」というのはやめて、ただ「反応せよ」という言葉を繰り返すようになった。せめてつき返してくれ、というわけだ。

目をかけていた後輩が、一枚の絵を描いた。なかなかよい出来栄えの一枚で、しかも、ラヴェルの若い頃の弦楽四重奏のような野心に満ちた、とてもきらきらした作品だった。彼は褒めた。「これなら認められるかもしれないな。」実際、後輩は見た目も雰囲気も可愛げのある男で、人付き合いもうまく、おまけに髪型で自由自在にあそぶことができた。それは先輩である男にはできない芸当だった。とくに髪型にかんしていえば、惚れ惚れするような差異を日々作り出すことができる点で、言うことをまったく聞く気をみせない自分のそれとはひきかえにならなかった。それにひきかえ……という表現が空しくなるほどの絶対的な落差があったのだ。そこで彼は思い立って、後輩に手紙を書くことにした。少し説教してやろうと思ったのである。たかだか一枚くらいよい絵を描いたからといって、そんないい気になるんじゃないぞ、世の中そんなに甘くないのだ。俺を見ろ、お前もよく知っているだろうが、いったいいくつ名画を描いてきたと思っているのだ。説教臭い先輩を演じるつもりはさらさらないが……とくさい説教ではじまる手紙を書いた。直接言わずに、わざわざ手紙にしたのは、その方が効果的だと考えたからだ。

だが、返事はいつまでたっても来る様子がなかった。数日たっても、後輩の様子に変化はなく、実際に顔をあわせて会ったときも、後輩はその手紙などまったく来なかったかのように、あるいは読んでいないかのようにふるまった。なにかの手違いで後輩に届かなかったのか、それとも、後輩があえて無視しているのか、彼にはどうにも判断できなかった。いぶかしんだ彼は、何度か説教の内容についてほのめかしてみた。だが、後輩はそれについてなにもおくびには出さなかった。その態度は、男には、とても大人びてみえた。彼はけっしてたかだか一枚の習作で調子に乗るような、そんな浮ついた輩ではなかった。男は自分のした説教を恥じた。彼は自分の書いた手紙が後輩の手許にあることを思うと、羞恥のためになかなか寝付けなかった。そして、実際には郵便屋の手違いで届いていなかったことを揉み手とともに希求しながら、彼は日夜、蒲団の中でもだえ苦しんだ。

男の審美眼は正しかった。後輩の絵は実際にある展覧会で認められ、ついには大きな賞を取るまでにいたったのだ。大家の覚えもよく、彼はまたたくまにスターの座にのし上がった。男は取り残されたように思ったが、しかし、そのときには、男はもう絵を描くことはやめていた。実際、資源の無駄を嫌う彼は、トイレで自分の作品を尻を拭く紙に使っていた。その頃には、彼は、誰も見ないし、誰も読まない、そんな作品を作ろうと考えていたし、実際そうした作品活動を日々実践しているのだった。彼は作品をトイレに流すたびに、こう考えた。「またおれは、人類の歴史的な宝を水に流したぞ。歴史など、くそ食らえ、だ。」

ある日、突然手紙がきた。あの後輩からだった。彼の手紙には、短く、次のように書かれていた。「あのときの先輩の忠告が忘れられません」と。男は再びもだえ苦しんだ。この後輩からの手紙が、彼の手許に残された唯一の紙になったとき、彼は蒲団のなかで無柄眼類の幼生をたくさん生んで死んだ。

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