ベートーヴェンの次の言葉が好きだ。「五十年すれば、ひとも弾く」。難解すぎて誰も弾かないと言われたピアノソナタに対して、己の作品を擁護したとき口をついたもの。彼の言葉がどれほどひとを勇気づけてきたことか。この世界は、社会に認められねば意味がない世界ばかりではない。
筋金入りの人物が時々いる。同時代の助言に耳を貸さず、己の道を貫くことのできるひと。もし歴史家が、社会や国家よりもっと大きなものを提示できなくなるのだとしたら、歴史の意味はほとんどなくなる。誰がどう聴いていもベートーヴェンの音楽が素晴らしいことを、歴史は証明できなければならない。
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シュタイナーのことをどれくらいのひとが知っているだろうか。30代後半までゲーテアーカイヴズでアルバイトしながら、ほとんど一番最初にニーチェを真正に評価しえた人物。カントを学び、そして敵視し、ニーチェを見出す。ドゥルーズに似た哲学の持ち主でもある。つまりぼくの偉大な先輩である。
東京に住んでいるひとは、いまワタリウム美術館で、彼が描いた黒板の板書をみることができるから、鑑賞してみるといい。彼が発狂したのちのニーチェに出会い、それについて書いている文章がある。
芸術家と思想家としての額を同時に持っている生産錯乱者が、安楽イスに横たわっていた。ちょうど、午後になったばかりの時分のことであった。彼の眼からは、もう光は消えていた。だが、いまだ魂を貫くようにも見えた。しかし、その眼は、もはや彼の魂へ近づくことができない周囲の人々の姿を映すだけだったのである。人が立っていても、ニーチェにはそれがわからなかった。それでも、その理知的な表情は人を信じさせるに十分だった。人はきっとこう思うだろう—彼は、午前中いっぱい、自らの思想を形成した。今は、憩いの一時を欲しているのだ、と。私の魂をとらえた内面的な衝撃は、天才に対する理解に変わったと言ってよい。ニーチェのまなざしは、私に向けられていた。だが、私の上に落ち着いてはいなかった。その、長いこと変わらないまなざしは“無関心”を示すだけだった。彼は、自らのまなざしに対する理解力を失っていたのである。その眼には、彼と会ったことのない人でさえ、霊的な力を感じたというのに……。
どうにしかして、生前のニーチェに、彼が未来の人類に与えた無償の贈与に対する感謝の言葉を、述べてやることができないかと、いつも思っている。歴史家にとって、彼が不当に得た境遇は、痛恨の情を喚起せずにはおかないのである。シュタイナーは、そんなわたしの痛恨をすこしだけ救ってくれる。
真、善、美は、社会や国家よりはるかに大きい。肉体はそうした社会や国家なしに生きられない。それでも、社会や国家より大きなものに人生を捧げる男が定期的に必要だ。もう取り返しはつかない。ニーチェはもういない。だが、不在の彼への感謝の言葉は、それ自体、人類の歴史そのものであるように思う。
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対象は認識に従属する。つまりひとは見たいものを見たいように見る。裏を返せば、真の対象である物自体には、永久に触れられない。…カント哲学に触れてびくともしなかったゲーテのような人物は、例外中の例外である。むしろ多くの場合、カントの不可知論を、己の意志薄弱を肯定するのに用いるだろう。
ひとによって、様々な見方があっていい。誰も物自体には触れられないのだから、ある事象についての他人の様々な意見が同じ資格で成り立ちうる。それが解釈といわれる概念の可能性だ…。奇妙な諦念をやすやすと受け容れてしまう学問の世界にあって、文献学者ニーチェの孤独は次第に深まっていった。
ニーチェはクライストの次の書簡を取り上げたことがあった。少し長くなるが、再引用しておく。
少し前に私はカントの哲学を知りました。ーー私はあなたに今そこから一つの思想をお伝えします。これが私同様にあなたを深く痛々しく揺り動かしはしないかと気遣わずに、お伝えしなければなりません。私たちが真理と呼んでいるものが真実に真理であるのか、それとも私たちにただそう見えるだけなのか、私たちはこれを決めることができません。後者ならば、私たちがここに集めた真理は死後にはもうありません。そして、私たちに墓場のなかまでつき随ってくる所有物を獲得しようとするすべての努力はむなしいものです。ーーこの思想の先端があなたの心臓に当たらなくても、それによって最も神聖な内なるものにおいて深く傷つけられたと感じている他人を笑わないでください。私の唯一の、私の最高の目標は沈んでしまいました。私はもうなに一つ目標をもっていません。
ニーチェは、ゲーテのような筋金入りの人物は別としても、カント哲学の再流行に触れながら、同時代の学問の世界において、クライストのような繊細な精神に基づく驚きと深刻な絶望がなかったことを訝しがっていた。依然一方に変わらぬ実証主義があり、他方にカント哲学が拡大していた。
今日では、カント哲学と同じ役割を、言語論的転回といわれる潮流が果たしている。それはやはり、なにかの命題に対する絶えざる《批判》や批評、脱構築などと言われていて、権力と同一視される真理を避けて進む軟体動物的な運動が、唯一の好ましい学問のあり方とされる。私もそれは《正しい》と感じた。
真の過去に触れることなど絶対に不可能だというのに、どうしてひとは歴史の実証主義を呑気に実践しているのだろうか。カエサルという単語のもとに、かつてのローマ帝国の栄光を事実として想起する権利を、われわれ学者は持ち合わせているだろうか。それは、ただ、言葉なのではないだろうか。
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さて、こうしたカント的世界を、ニーチェは文字通り笑い飛ばす。狂気と健康とともに、この問題構成を乗り越えてしまった。ニーチェの言葉は暗記することにしているので、かえって正確な文言は忘れてしまったが、《すべては仮象である》、と、そう言っていたと思う。道は思わぬところにあるものなのだ。