糸のみほとけ—国宝綴織當麻曼荼羅と繍仏—

review
2018.08.20

四年にわたる修復作業を終えた、名高い當麻曼荼羅をみに奈良国立博物館へ。

中将姫の伝説は多くの者が知っていよう。「日本無双の霊像」と呼ばれたこの曼荼羅は、姫が蓮糸を用いて一夜にして織り上げたといわれる阿弥陀浄土をあらわした大幅の織成像であり、とりわけ平安末期以降、厚い信仰を集め、江戸時代、そして近代にいたるまで、声望の衰えることがなかった、日本美術史上、傑作中の傑作である。

奈良時代に當麻寺に安置されて以来、一二五〇年にわたって屋外に近い場所に懸けられたそれは、多数の視線に晒され、必然的にその褪色も著しい。熱烈な視線を浴びつづけたがゆえの経年劣化は、それ自体、この作品の優れていたことの証だが、その一方に、建保五年(一二一七)に同寸の絵画による転写本が、文亀三年(一五〇三)にまた新たな転写本が、そして延宝年間の修復作業を経て、貞享三年(一六八六)に再度新たな転写本が作成されるなど、この霊像を後世に伝えようとする美術史ないし宗教史上の稀有な努力があった。神仏に等しいこの霊像を、いまだに目にすることができるのは奇跡的なことだが、その背景にある人間の努力をも感ぜずにはおれない。

自分は、修復前の二〇一三年、同じ奈良博でこの根本曼荼羅をすでにみていた。これがかの曼荼羅か。かつての色彩は失われたらしく、黒ずんで古ぼけた、巨大な一枚の絹布は、曼荼羅というよりは映像の映り込んだ、黒々したスクリーンのようにもみえる。このときは、歴史的な厚みをもったこの作品の裏側に、中将姫の伝説を透かして垣間見るような、いわば一種のメディア的存在になっていたように思われる。いうなれば、劣化した曼荼羅は、中将姫の伝説を想起するためのネガにすぎない。畢竟、この作品そのものというより、折口信夫など、近代文学者の作品の助けを借りながらの鑑賞になる。なにもかもが伝説的であり、その劣化のごとく、中将姫の姿は間遠いものだった。

だが、修復後の今回はそうではなかった。圧巻といっていい。といっても、修復はあくまで控えめなものだ。現状を損ねないという思想が根底にあり、これ以上の劣化をとどめるためのありとあらゆる補修が行われているが、かつての色彩をふたたび彩色するようなことはもちろんしていない。片隅に部分復元模造が掲げられていて、それは鮮やかな色彩に表現されている。かつての色彩を想起させるに十分な緻密な復元なのだが、セピア色の原本が圧倒的なのは、今回の展示がとにかく繍仏の技術に徹底的にこだわったものになっていることによる(ここで「技術」という言葉を、ヴェルラムのベーコンのいう精神的な技術、すなわち芸術という意味に用いよう)。いかに物体的な経年劣化が激しかろうと、この展示の行き届いた配慮のために、作品の技術的達成までは失われていないことに気づかされる。現代なら八年かかるという、伝説によればたった一晩で織り上げられた、縦糸と横糸だけであらわされたこの大幅の圧倒的な存在感が物語る刺繍の技術それ自体が、「中将姫」というひとりの女性に託された、ひとびとの神仏への信仰の結晶なのである。つまり作品とは、物体的なそれ自体というよりも、物体を生み出す精神のほうなのであり、その精神的努力こそが、芸術/技術なのである。この曼荼羅の周囲に歴史があるのではなかった。むしろこの曼荼羅の内部にこそ、もっと正確にいえば、曼荼羅という構造物の内的な生命を保持する、気の遠くなるほど執拗に折り重ねられた技術が沈黙のうちに示している精神性にこそ、歴史があるのだ。中将姫は、この曼荼羅のなかにいる……。「中将姫」の名に仮託されたこの作品は、ひとにそのことを教えているのである。わたしはついに、この作品を言葉の真の意味で、その一端にすぎないにもせよ、味わうことができたのだった。

それにしても、繍仏の歴史の厚みに対する自分の無知に気づかされる。最初の本格的な仏像制作である、推古天皇十四年(六〇六)とされる銅造の丈六仏が飛鳥寺にあるが、このとき、じつは同時に刺繍の丈六仏も制作されている。つまり繍仏は、銅造ないし木造の彫刻作品に匹敵する存在として、ひとびとの信仰を集めていたのである。當麻曼荼羅だけが例外というわけではなかったのだ。説明によれば、脆弱さゆえ繍仏は残りにくいということだが(実際、飛鳥時代のごとき古いものは大陸には残っていない)、そうして消え去るものに対する自分の無知は、歴史家を名乗る者にとっては、痛恨である。反対にいえば、この展示によって、自分の狭い美術史の空間が思わぬ形に広がったともいえる。自分の知らない世界がそこにはあった。

聖徳太子の妃橘郎女が発願したとされる、飛鳥時代の天寿国繍帳。その色彩がいまだに見事に残っているのはなぜだろうか。その織りはあくまで鮮烈で、ある意味では力強くさえあり、繊細な後世のそれとはまた異なる味わいがある。巨大な「刺繍釈迦如来説法図」も迫力があった。飛鳥時代後期の作とする解説の示唆も納得である。

鎌倉期の刺繍大日如来像も見事だ。時代のくだるにつれて表現も繊細になっていくのだが、稠密な刺繍の保存状況がきわめてよく、光の角度によってさまざまな表情をみせる金色の大日如来は、絵画とも彫刻とも異なる刺繍芸術の宗教的な美の特徴をあますところなく示しているといっていい。阿弥陀を刺繍による梵字であらわした刺繍種子阿弥陀三尊図も見る者をはっとさせる。文字(キリーク)が意味を隠した文字(表意文字)ではなく、物質的とも象徴的ともいえる独特の力でもって、見る者の目に迫ってくるのだ。二次元でも三次元でもない刺繍の世界にあらわされた文字が、これほど生き生きとするとは、思いもよらなかった。

嘉吉三年に尼僧により寄進された刺繍如意輪観音像もたいへんに美しい。髪を織り込まれた(髪繍(はっしゅう)という)如意輪観音はどこまでも女性的かつ流麗で、あらためて、刺繍のもつ女性性を感じさせる。鎌倉時代屈指の名品、刺繍阿弥陀三尊来迎図にも同じことがいえる。同様の構図をいくつも残す、鮮やかな色彩をいまだ維持したそれは、阿弥陀の片隅で祈りを捧げる女の姿とともに、その緻密さによって、糸一本一本に込められた切実な女の祈りの声が聞こえてくるようだ。

ほかにも明和四年(一七六七)に當麻曼荼羅を原寸大で刺繍した刺繍當麻曼荼羅や、さまざまな織りの技術を解説したヴィデオなど、きわめて充実した展示になっていて、個人的には近年屈指の展覧会だった。安定した構図からなる平面的な絵画とも、際立った陰影をみせる立体的な彫刻とも異なる、つまり二次元とも三次元ともちがう、新たな次元にその場を占める刺繍のもつ独特の素晴らしさは、写真ではけっして伝わらないものだ。

この機会にぜひ、奈良博を訪れて、自分の目でじかに鑑賞してほしいと思う。

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