ヴァルザーの詩がすごくいい。気に入ってしまった。ぼくはもう外国語にあまり興味がなくなって(理解できる気がしない)、翻訳で外から眺めているのだが、とてもいい。クレーの絵が目当てで買った『日々はひとつの響き』(平凡社)だが、思わぬ発見でよろこんでいる。
かつて古代ローマ史を専攻しようと思っていた、つまり外国語にとくに苦手意識のなかった若い頃の自分に驚くが、いまの自分に外国語ができる気はしない。というより、いまや日本語のほうで、すでに外国語と同じなのである。母国語は使えば使うほど、母国を離れて自分の言葉に変わる。同じ日本人でも、他人の言葉はすでに外国語であり、その意味では、なにも外国語の歴史にこだわる必要がなかったのである。
日本人の思想家の本とて、外国語として日本語を眺める癖が、歴史家として、ついているから、翻訳を通して伝わってくるヴァルザーにでも、十分にそのよさが伝わってくる。翻訳家の努力に感謝せねばならない。
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文献学(フィロロジー)と哲学(フィロソフィー)の差異に注意を促していたのはセネカだった。言葉を愛するのか、知を愛するのか、の違いである。翻訳は、学者にとっては危険な行為である。翻訳にかぎった話ではなく、文献がそもそも危険なのだが、これらは学者には一種のパルマコン(薬=毒)である。魅惑的で、しかも慎ましくも怠惰なこの営為のうえに、たしかに多くの学問がなりたっている。そういう側面はある。
ほんとうは、歴史は哲学を要求されている。文献は歴史そのものではないからだ。文献と歴史家のつくる文献学的な関係を、歴史と歴史家の哲学的な関係に置き換える想像的な跳躍が、どうしても必要なのである。そうでなければ、文献と歴史家のあいだの閉じた円環ができるだけである。
歴史家の営為が、文献とそれを読解する当人とのあいだに閉ざされているかぎり、そこにあるのは、《現在の現在》だけである。じつは歴史は存在しないのだ。そこに《現在の過去》をもたらすことができるのは、文献を超えて過去を構想する哲学的=微分的な努力だけである。
文献から出発したとしても、翻訳を介在させつつ、閉じた円環を開かれた螺旋に変える努力がなければ、哲学にはならない。その点、文献学者でいい、という慎ましさは、自己に向けられているようで、学問に向けられており、ほんとうは怠惰にすぎない。文献を飛び出す意志がなければ、その定義からして、たんに哲学者とも、たんに歴史家ともいえないのだ。
喧嘩を売っても、あまり相手にされないが、すくなくとも関西の、日本近代史の、歴史学界に、歴史家はほとんどいない。みな、つつましく文献学者をやっている。文献のなかに閉じこもって、その外を構想する意欲をもたない。歴史学は、このまま死に至る急激な萎縮をつづけるのだろうか。
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文献に埋もれて、死ぬ。そうはなりたくない。外への勇気とともにありたい。ぼくはかつて昆虫博士だった。それは昆虫についてよく知っていたからではない。たんに、どこに蟋蟀やバッタが隠れているのか、トンボがどこに止まりたがっているか、なぜかすぐにわかったからだ(いまは失われた能力)。
跳躍のための土台づくりに精を出しながら、飛ばないまま老いて死ぬ。次世代の若者のためにそれをしているわけでもない。次世代の若者にも、土台づくりをさせつづけ、跳躍しようとすると激しく叱るのだ。それが文献学者の運命なのだろうか。
われわれはどうしようもなく、想像力という翼をもちながら、飛翔のためにそれを用いる努力をするよりも、この翼を切り落とすことばかり考えている。どうすれば飛ばないでいられるのか。飛ばずに死ねるのか。こうして、師匠がそのまた師匠に強いられたように、弟子たちの翼を切り落とす。これで安全だ。
すでに翼を切り落とされてしまった自分より若い研究者が大勢いて、自分は悲しみしか覚えない。どうして切り落としてしまったのか……。翼を切り落とすことが、学界で生きるための条件だったのである。翼=想像力についての粗雑な理屈のために、こんなことになってしまったのである。
しかし、想像力の翼は、切り落とされてもまた生えてくるというのも、本当である。この翼は、人間が背負ったひとつの枷だから。大地がなければひとは生きられないが、空の雲を眺めて、同じように飛んでみたくなるのも人間だ。人文学者に足りないのは、自分は鳥の一種であるという自覚だけなのである。
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