もともと、前著『精神の歴史』のあとの研究テーマは、「自由」だった。卒業論文からして、古代ローマ共和政下における「自由」(libertasリベルタス)だったから、そのへんは一貫していた。なぜ「自由」だったか。
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歴史は、学者の自意識がどうあれ、人間が自由を意志している、という前提なしには描き得ない。一方に権力者が存在することは確実に前提しているのだから、それに対して、一貫して支配されるひとだけを想定するなら、なぜ歴史に変革がともなうのか、画期があるのか、まったく説明不可能になる。ただ秩序の衰弱にともなう崩壊があったとしても、また時を経て、秩序が回復される、あの怠惰な循環史観が歴史の通奏低音となる。かくして、闘う人間、反抗する人間を想定しないことには、非常に偏った、権力者だけが存在する跛行的な歴史しか描けなくなってしまう。
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近代にいたってわれわれはさまざまな「自由」を手にしたが、それらがすべて欧米からの輸入品ということはないはずで、だからかつての歴史家の努力は、日本における自由意志発露の痕跡にむけられたのだった。
たとえば石母田正が「武士」をあれほどに評価するのは、自らの土地を自ら守り、さらには統治するとされる武士の発生が、都会の貴族たちに対する地方農村の自由意志の発露とみたからである。それは一方からは「悪党」だが、歴史的には自由の旗手である。武士は「私有」を実現したのである。
しかし、マルクス主義退潮、階級闘争史観の名のもと石母田の研究は葬り去られる。そこで登場したのが、網野善彦の無縁論だった。武士もまた支配階級の一部とみるマルクス主義以後の中世史研究に対する危機意識の現れで、所有関係(主人/奴隷)の外側の世界に自由の可能性を見ようとしたのだった。
しかし、網野の議論が学界の主流になることはついになく、実証主義の名のもと、歴史学は「公文書」を残す権利をもつ権力者の動向を追うだけの単調なものになっていった。近代的自由の日本的起源を求める歴史学の研究動向が、すべてマルクス主義に結び付けられてマルクス主義ごと葬り去られ、前近代のさまざまな現象は、ただひたすら近代的自由とは無関係なものだ、とする、個別の実証主義研究が積み重ねられている。
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こうした前近代の歴史学の動向は、近代史家の自分にとっても、非常に困ったものである。
一揆など、民衆主体の運動の研究をみても、これを近代的自由に結び付けようとするかつての研究に反発する傾向が長く続いている。マルクス主義者の牽強付会とみなしてこれを非難するのだが、ならば日本人の自由はいったい誰のものなのだろうか。結果として、近代的自由の日本的起源を探ることができなくなっている。とにかく開国以来の輸入品、というわけで、近代史は近代史の内部で議論することになる。
歴史学者は分野の横断を、縄張りを荒らされた犬のように嫌悪するが、馬鹿げたことだ。近代的自由にいたる日本的道筋を前近代にたどることは、マルクス主義とは無関係に、本来の歴史学の王道的研究である。歴史を人間の自由発展の歴史とみないなら、われわれは現代人の政治的達成を評価する根拠を失ってしまう。民主政であれ、王政であれ、貴族政であれ、なんでもいい、といえるほどに、歴史学者が民主政治を根本的に検証した、というならべつの話だが、この本筋を忘れて、ただひたすら実証的観点から、かつての王道的研究を遂行した先行研究を批判するのが正しいことになってしまっている。自身がじつは邪道を行っていることに気づかないままに、そうしているのだ。
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ここ十年ほどの若手研究者の動向をみても、自由に対する非常にシニカルな感覚がみてとれる。政治的にも、若者は自民党政治を受け入れている。政権交代みたいな「自由」に興味はなく、高い税金を払っても、どこかで贈収賄が起こっていても、安全なら、それでいいじゃない、というシニシズム。ほとんど誰も、「自由」のことなど考えもしていない。考えなければならないということさえ、わかっていない。
しかし、こういう想定はできる。ひとはそも自由を求めていないのだ、と。在地領主制論も、無縁論も放棄したいま、ひとは喜んで支配関係を受け入れる。あるのは国家が集団的に戦う戦争だけで、わざわざ国家に盾ついて戦う蛮勇をふるう人間などいないのだ。そうした世界観が暗黙に歴史の世界を占めた結果、われわれの感じる近代の「自由」は、どうしようもなく、欧米からの輸入品になってしまった。丸山真男が笑っている。そらみたことか、と。
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ひとが求めているのは、自由ではない。安全だ。日本人は古来、自由を知らずに生きていて、そしていまもとくに求めていない。ヨーロッパ人に「自由」を教えられても、いまだに、それを学ばずに生きている。安全ならばそれでよく、危険な自由など、そもそも必要だろうか。知識人は欧米の自由を学べといい、若者は学んでも、学べば学ぶほど、学ぶというそのことが、舶来品であることを上塗りして、自分のものだとは思わない。学ぶ立場にない民衆には、関係のないものとなる。
こうした絶望に犯されて、自分はついに、「自由」の主題を放棄した。苦しい、苦しい判断だ。といっても、戦うのをやめるわけじゃない。もう一度、現代の研究者がようやく消し止めた「自由」に、ふたたび火をつける放火犯のようにして、できるだけ遠くから、それとわからないうちに火をつけてやろう。
こうして、撤退につぐ撤退を経て、どうしても撤退しえない場所から、もう一度くすぶった火を煽る風を吹かせよう、と。それが、《存在》の主題だ。存在より後ろに撤退するなら、ひとはもう絶滅するほかない。
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自分はこの絶望的な場所から、新しい本を書いた。それが『存在の歴史学』である。読者がどう読むか、自分は知らないが、とにかく「自由」を人間が取り戻すために書いた本であることは、まちがいない。
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