似ていることを云々することは、似ていないことを際立たせることであって、実際にはそちらの方が重要であり、それはヘーゲルが反面教師的に教えてくれたことでもある。似ている、と言うことは、似ていないと言うことに等しい。……
歴史は、あらゆる地層において、翻訳の問題に突き当たる。それは、真実を探ろうとする(古い)歴史家には越えがたい岩盤として存在する。しかし、本当は、そんなことが問題なのではない。
歴史をerewhon(いまここ)において可能にするのは、マルクスの言う、「重要なのは、世界を解釈することではなく、世界を変えることである」、この態度においてのみ、である。それはデリダにおけるテクスト戦略のベクトルでもあるだろうし、ドゥルーズが『差異と反復』において明らかにしたことともまさに合致するだろう。
歴史家が歴史を解釈するのではなく、あるいは翻訳者がドイツ語の『資本論』を解釈するのではなく、変えること、これは非常に勇気がいることであるし、普通、歴史家や翻訳者を縛るモラルによってそれは不可能にされている。マルクスの『資本論』と、われわれ読者との間にいる翻訳者には、そんなことは許されていない、と考えられている。歴史家や翻訳者は恣意的な書きかえ(奪取)を禁じられているものの、しかし生きていくためにはやむをえないこととして、居直りの態度を示す。中間搾取を行うのである。これは私の解釈だ……。
人の生とは、演劇であり、演奏である。そして、それはすなわち変えることであり、「差異と反復」(ドゥルーズ)である。演じることは、再現前化ではありえないし、ただ一つの真実を探ることでもない。
そうであるならば、上述のモラルを常に課せられつづけてきた「歴史」や「翻訳」は、まさに何千年にもわたって人間の生を削り取り、やせ細らせてきた憎むべき代物でしかなかった。ドゥルーズは、「歴史」を嫌った。そして、「正真正銘の分身として作用しなければならず、その分身本来の最高度の変容を包含」するような歴史を創造した。それはフーコーにおいても言えることである。彼がエノンセ(言表)を言うとき、まさに歴史家や翻訳者の解釈の問題を危惧していたからである。解釈は、対象を理解しようとする。その過程で、自分の理解と似ている(同じ)部分のみを抽出して、似ていない部分を闇に葬り去る。その結果、対象は最低度の変容すら禁じられ、閉じた形で、鑑賞という、創造者を頂点とするトゥリー構造の末端にいるわれわれの前に提示されるほかない。
わたしは、歴史家や翻訳者は、本来、解釈を禁じられている、と考えている。たとえtranslationが解釈の意味をもつ語だとしても。だが、現実的には、まったく同じものを、すなわち真実を提示することは不可能であり、そこで彼らは、だからわれわれは解釈するのだ……と、居直り始める。だが、実際にはそうではない。解釈するのではなく「変えること」、これが重要なのであり、優れた歴史家や翻訳者は、歴史を、テクストを解釈する者ではなく、変える者である。ベンヤミンの「歴史の天使」を後ろ向きに吹き飛ばす進歩(あるいは退歩)の風は、「変えること」によって起こるのであるし、なおかつ「変えること」そのものでもある。そして、実は、彼らのように中間的な存在とは見なされていない、まさに末端にいるような鑑賞者も、同程度に歴史家であり、翻訳者なのである。だからわれわれは、末端にいるのではない(「リゾーム」)。われわれは、たとえば『資本論』を、解釈するのではなく、変えなければならない。古来人類がそうして文化・文明を築き上げてきたように。
マルクスは、資本主義経済を、史的唯物論を、解釈したのではない。近代史を、彼なりの流儀で、変えたのである。そして、その態度においてこそ、「いまここ」に、歴史がある、あった、ありえたのである。
マルクスは歴史の復活は演劇的になされる、初めは悲劇として、二度目は笑劇として、と言った。ドゥルーズはこれを言いかえる。歴史とは演劇的な観念である、反復における悲劇と喜劇は一つの運動の条件であり、当事者=俳優(アクトゥール)は歴史において新たなものを生産する、と。
カトリシズムにおける、そしてカトリシズムの笑劇的復活。