孤塁を守る高貴な人たちがいる。国際的にも国内的にも、孤塁を守る人たちが、大群をなしているひとたちに閉鎖的といわれ、無防備なまま開放させられる。そんな社会になりつつあるようにみえる。辺土で大切に守られてきた、あるいはなんらかの偶然でひとの手に触れられず、かろうじて残されてきた熱が食いあらされる。情報がネゲントロピーだとするなら、なんという逆説だろうか。情報がますますエントロピーの増大に手を貸すような、そういう事態。
史料の向こう側、あるかなきかの明滅をつづける人の生を追い求める者たちは、現代の偶像崇拝主義者と罵られる。この悪態はなるほどいくらか正当なものだが、一方で、この罵倒の主は、史料の痕跡を痕跡のまま、たえず読解可能な状態に留めおくフェティシストたちに足をとられることになる。テクストの起源をたどらず、ただテクストにこだわることが、フェティシズムではないとしたらなんであろう。偶像崇拝でもフェティシズムでもない。そんな生を、ふたたび歴史が捉えるのはいつのことか。
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偶像崇拝とフェティシズムのあいだに、あえて足を滑り込ませ、テクストのなかで戯れ、どちらをも選ばぬ態度を取りつづける。脱構築やトランスクリティークといわれるこのような批判的態度は、わたしには哲学にはみえない。哲学は、本来的にそのような問題構成を選ばない。二者択一の手前で進退窮まったら、哲学者は問いを立て直すことを選ぶ。なにものかの背後にある起源なき起源、物自体に括りつけられて均衡する二者択一の前で、あとは運命を当事者の天分に任せるような理論は、理論とはいえない。
韜晦しつつ、あるがままの世界の《かわりに》提示される地図。ひとの世界を疑うことで見いだされる、高等批評家向けの歴史。こんなものは捨てねばならない。われわれの生は、地図の存在しない、歴史ならざる未踏の地を歩くときに、はじめてその名でいわれる。なぜなら、生は、たえず一番新しいからである。生を歩む者はおのれとともに矢に似た徴を感じている。彼はそれを《言葉》と呼ぶ。
重要なことは史料でもテクストでもドキュメントでもない。《言葉》であり、言葉を話すこと……つまり生である。われわれが歴史になにがしかの可能性を見いだすのは、原理的にいって、ひとがもう死んでしまったと思いなしている歴史に、生の息吹を感じているからである。けっしてそれはテクストとして凍結されるのではない。過去の《言葉》が、変転する現在の作用に参入し、おのれの姿を変身させるだけの力を、いまだ保持している。だからこそわれわれは史料を読む。過去の書物を読む。固定し凍結しようとすることでは、史料の真の姿はどうしても現われない。
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彼もまた地図に触れ歴史とかかわる。ただし、たどるのでも紐解くのでもない。子どもたちが捨て去るための地図を描き、子どもたちが乗り越えるための歴史を作る。破り捨てられるための美しい地図や歴史もあるのだ。彼は子どもに未来を強制しはしないが、子ども任せにもしない。進むべき方向を示しさえする。暗示であったり、比喩であったり。いわば矢に似た徴をまき散らす、たとえ子どもが反発したり、気づかなかったりすることがあったとしても、彼は倦むことがない。彼は孤独である。地図と歴史の破壊者として、すくなくともそこになんの貢献もしない余計者として、誹りを受ける。
ひとはますます、孤独でいるひとを社会という言葉で集団のなかに巻き込み、孤塁を守るという言葉の意味を理解しない。それでもなお孤塁を守る者は精神異常者とさえいわれる。今日風にいえば、失業者だろうか、似非心理学者からすると、彼らは精神異常の予備軍である。彼は孤独を願い、ひとは彼を集団に招き入れようとする。ひとは理念を、たどりつけぬ彼方に打ち立てておいて、そうした弱い理念のために組織論が必要だと考えるようになる。そしてそれをときに社会とさえ呼んでいる。孤塁を守る者はますます孤独を希うようになる。自分の孤独のために連帯すべきは、ずっと古い世代と、自分の次の次の世代だと考えるようになる。
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歴史家とアーキヴィストの仕事は異なる。高等批評家の懐疑によって作り出されるものでもなく、過去の遺物を墨守することでもない、真の歴史に携わる歴史家は、歴史を語るというまさにそのことによって、歴史を残す。古い歴史を知らず、それゆえかえって身動きのための余白をもち、その余白において歴史を作ろうとする者によって生み出される人の生こそが、真の歴史である。アーキヴィストの仕事に感謝しつつも、しかしときには史料さえ超えて語ることを恐れてはならない。歴史を自分なりにアレンジして語ることが、かえってテクストをばらばらの断片にしてしまうのだとしても、かえってそのことゆえに、よりいっそう、それは歴史的なのである。そういう歴史はどこにあるか。偶像崇拝でもフェティシズムでもない微妙な領域、いうなれば想像と博学のあわいに、否、むしろその彼方に、歴史の領域がある。そこは余白といわれる。この余白は、またの名《超越》である。
(われわれは、もっと《超越》について、真摯に思考する必要がある。真の正義の世界の実現のために、勝手気ままな、しかし逼迫した思考が捧げられねばならない。偶像崇拝は別に《超越論》を遠ざけていないし、フェティシズムも《超越論》は歓迎するだろう。彼らが知らないのは、本当の意味での《超越》である。)
人間が地図や歴史といった史料を《超え出る》とき、彼はもはや人間ではなくなっている。偶像崇拝とフェティシズムのあいだで、観念論と経験論のあいだで、ロマン主義と自然主義のあいだで思考することを強いられている《人間》は、もうそこにはいない。そこにいるのは来るべき人間、すなわち《子ども》である。
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経済的にも社会的にも追いつめられた若者たちが、アーキヴィストたることを強いられている。わたしはその状況を苦々しく見つめている。歴史を語るとは、ときには史料を改変してさえ、語る勇気である。史料がなにをおいても貴いものであるからこそ、それらは語り改変する勇気を要求している。そのことが彼を孤独にしても、それによって彼は歴史を作るひとになる。偶像崇拝とフェティシズムを乗り越えるために、若者は史料を変え歴史を変えなければならない。
歴史のテクストをばらばらの《言葉》に改変する勇気を、社会が若者たちに認めている。それがおそらくはよい社会の条件だったはずだ。真に自由な社会において、大人たちが作り上げた不動のテクスト、しかしそれは未来永劫同じ姿のまま凍結され守られるべき痕跡というよりも、さらなる自由な社会のために、子どもたちが自由に改変可能な素材である。あえて煽動的な言い方するなら、なぜ歴史家たらんとしていた若者が、アーキヴィストが用意してくれた古いテクストを自由に読む権利を保持しながら、ほとんど不動のまま守りつづけるという、老いぼれた仕事に従事しているのか。それは若者が担うべき仕事だろうか。
歴史家の卵たちが、史料を自由に読み解く勇気をもつことができないでいる。四方からの非難を恐れない勇気を、誠実と自ら任じる者こそ持たねばならないのに。テクストを守ればフェティシストと呼ばれる。テクストの向こうに歴史を描けば偶像崇拝と呼ばれる。テクストから足を踏み外せば修正主義者と呼ばれる。この袋小路のなかで、若者は歴史を変えるための亀裂を、新しい空気の入ってくる隙間をみつけることができない。歴史は解釈するのではない。変えなければならない。それがマルクスの一番美しい言葉のひとつである。歴史を作る者は、子どもたちのために仕事をしない。むしろ、大人の遺物をやすやすと咀嚼し変形する子どもとは、自分自身であると心得ている者が、歴史を作る。
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大衆に迎合することなく、真の人文学のために先人が残した孤塁を守るひとたち。それができるひとこそ、一歩前へ足を踏み出してほしい。テクストがもっている亀裂を押し広げてほしい。先人たちは、じつはそうして孤塁を守ってきた。つまり、テクストを《言葉》に分解することで、不思議に孤塁は守られてきたのである。一番美しいと思える生のために、過去を活用することができるかどうか。わたしは前に進むと称して同じところを回る、迎合する者を愛さない。むしろわたしは孤塁を守る者を、つまりじっとしてい者を愛する。しかしその高貴な者たちこそ、前に進む選択肢を選び取ってほしい。
痕跡を解釈するのでもなく、痕跡をひたすら守るのでもなく。痕跡を捨てること、すなわち歴史を変えること。過去に対して真摯で誠実な者たちこそもたねばならないこの勇気を、わたしは若者たちに与えたい。すなわち歴史を語ることによって歴史を残すことを、どうか選びとってほしい。
老いぼれた子どもたちよ、いったい誰が歴史を作るのか。未来の子どもたちとは、自分自身であるという悟りが、われわれには必要なのだ。
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