柄谷行人は、デリダを批判する際、よくこのように言う。デリダは、音声中心主義を批判するとき、プラトンにまでさかのぼってこれを説明しようとする、このことは、音声中心主義がヨーロッパに固有の問題であるように見せ(ヨーロッパ中心史観?)、また、古代にまでさかのぼることで問題が悪い意味で深遠になってしまう、と。
しかし、なぜ、デリダが古代ギリシアにまでさかのぼらねばならなかったのかについて、少し考えてみたい。
プラトンは、エクリチュール(文字言語)を批判し、パロール(音声言語)を肯定した。このことは、歴史的に考察されねばならないだろう。というのも、ギリシア語のエクリチュールであるアルファベットは、プラトンの時代よりももっと古いギリシア人が発明したからである。
昔、一度日記で述べたこともあるが、繰り返しておくと、かつて、地中海には、系統不明の民族、“海の民”と呼ばれる人々がいた。エーゲ海に浮かぶ島々を利用することで補給を自在にし、アッシリアやエジプト、あるいはヒッタイトなどの国家的な支配に対抗していたのである。彼らは、広い意味でギリシア人と呼ぶことができるが、正確に言えば、彼らはノマド(遊牧民)である。そして、このノマドと国家の境界線上に、交易商人があらわれる。彼らはノマド的な技術を用い、国家を相手に交易を行った。そしてダマスクスやシドン、ティルスなどの都市国家を形成したグループは、アラム人やフェニキア人と呼ばれるようになった。また、彼らが、その貿易活動の中で生み出したのが、線文字化されたアルファベット(表音文字)である。地中海をまたにかけ、伝説によれば喜望峰を越えたとまで言われるほど広範に活動していたフェニキア人たちが、言語的な差異を超えてコミュニケーションを可能にするために生み出したのが、アルファベットなのである。つまり、アルファベットは、もともと通貨と同じような役割を果たしたのであり、ある意味では通貨そのものだったのである。
この革命的な発明が最大の成果を生むのが、ギリシアである。いわゆる線文字Aや線文字Bにみられるギリシアのアルファベットこそが、かの地に特有の“都市国家(ポリス)”なるものを可能にした。象形文字を読解するために必要な特別な知識が不要になるからである。象形文字の理解に特定の知識が必要であるということが、貴族や神官と呼ばれる特定の階級を生じさせるのに対し、アルファベットは、とにかく、かぎられたそれを覚えさえすれば、ある程度同じ系列の言語を使用しているかぎりにおいて、とりあえず読解可能なのである。このことが、フェニキア人や、その末裔であるカルタゴ人らによる広範な商業活動を可能にすると同時に、いわゆるポリスと呼ばれるアソシエーションを可能にした。
さて、プラトンがソクラテスにエクリチュールを批判させるとき、それを、エジプトの神の発明であると言っていること、そして文字は記憶の技術ではなく、むしろ忘却の技術であると言っていることに注意しよう。つまり、ソクラテスが言っている文字とは、アルファベットというよりは、むしろ象形文字を指しているということである。もしそうだとすれば話が早い。つまり、象形文字が忘却の技術であるのは、それが一部の人間――すなわち支配階級の独占的知識でしかないからである。象形文字の意味を知る人間がいなくなれば、その知識は、歴史から失われてしまう。近代人がこのエジプトの象形文字を解読できたのは、その下によりパロールに近い、まったく同じ意味の古代ギリシア語のアルファベットが刻まれていたからなのであって、そうでなければ、象形文字は完全にその意味を失っていただろう。文字が忘却の技術であると言われるのはそのためである。
したがって、ソクラテスが批判しているのは、(アルファベットも含めて)エクリチュールが許す権力であり、さらにはその閉鎖性であることがわかる。エクリチュールは、その意味を知る限られた人々のあいだでしか通用しないからであり、またそうであるにもかかわらず、エクリチュールは歴史的には《マジョリティ》を構成してしまうからである。というのも、かりにその数が圧倒的であったとしても、書くことを知らない人間の歴史は、存在せず、《マイノリティ》であることを強いられるからである。だからこそ、ソクラテスは、エクリチュールよりも、パロールを選んだのである。
だが、ひとたびこの音声中心主義が機能しはじめると、逆にある忘却が生じると言わねばならない。簡単に言えば、どのみち音声言語もまた、それが通用する範囲が限られている以上、真のコミュニケーションたりえないということであり、声なき人々の意見は政治的に抹殺されてしまうからである。つまり、プラトンの時代には存在していた象形文字とアルファベットとの差異の意識は、もはや失われ、忘却の淵に追いやられてしまうということである。ローマ帝国の範囲内においてヨーロッパの公用語であり、権力者の言語であったラテン語は、よりヴァナキュラーなフランス語やイタリア語を生み、それらが出版され流通する過程で国民国家の公用語として採用されていくが、そのときには、もはや真の意味でのパロールとエクリチュールとの差異は忘却されていただろう。それらは、たんにアルファベットから別のアルファベットへの移行にすぎないのだから。デリダの批判は、ここにこそ向けられているのである(ここで、ソクラテスが、たんなるパロールをも批判していたことを指摘しておくべきだろう――デリダの言う《原エクリチュール》と、ソクラテスの言う《真のパロール》とは、同じ意味である)。ここまで考察してわかることは、なぜ、ソクラテスが書かなかったかということであり、また、なぜ、プラトンは、自分の言葉で書かなかったのかということである。ここには、歴史に存在しえないマイノリティに対する彼らなりの倫理的な配慮を認めることができるのであり、また、彼らには、パロールとエクリチュールのあいだに存在する差異が強烈に意識されていたということでもある。
ともかく、音声中心主義をヨーロッパにおいて批判する場合、デリダは、どうしても、それを古代ギリシアにまでさかのぼって見出すほかなかった。私見によれば、歴史学的な知識によらずに――あるいは表に出すことなく――それを見出している点で、彼はやはり恐るべき人物である。