かつてジャック・デリダは、「責任」の概念のヨーロッパ的・キリスト教的起源について語っていた。われわれ日本人が世界に求められているのは、この意味での「責任」である——すなわち、禁断の果実を食べて得た「知」それ自体が、人間の背負った重荷であって、責任の根源、というものである。
他人よりも多く知っているということ、それは、他人の知りえぬ「秘密」を持っているということであり、知者は、公開、すなわち秘密をできるかぎり放逐する「責任」を負う。知はこうして権力を生み出すのだ。このヨーロッパ的伝統を、日本の歴史は知らない。日本の歴史は、このような責任の歴史を有していない。知はもともと秘教的なものであり、応答よりも暗唱こそ、秘教的なものに対する真率な態度だった。
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日本において、責任の歴史を生み出したのは、中世の武士である。だからそれは知というよりは死の問題である。決定的な敗北にもかかわらず、死にそびれることは《汚辱》である。彼は恥を恐れ、自殺を遂げる。死を恐れぬことを、彼は万人に向けて証明しなければならない。この《万人》に向けられた派手な死こそ、武士の《公的な》責任のとりかただった。それは古代の天皇が知りえなかったものである。
武士は、知っていることによって特権階級となったのではない。死を恐れないことによって、その地位に登りつめた。自分だけが知っていることが負い目を与える、というのではない。死はもともと彼岸にわたる勇気の問題である。だから武士は、次の戦場が与えられるかぎり、どこまでも生きることを選ぶ。
次の戦場がありえないならば、彼は自刃を選ぶ。それが武士の「責任」なら、必然的に、西欧的な責任概念、すなわち、より多く知っている者が、それを誰にも伝えずに死んでしまうことによって、責任を果たせなくなるという考え方とは相容れないことになる。
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戦後、丸山真男はA級戦犯に「無責任の体系」をみて非難していた。だが、おそらく、特定の集団だけに責任を負わせるやり方は、議論を恐ろしく単純にし、複雑な歴史的背景があることを忘れさせてしまう。日本には日本の「責任の歴史」がある。
「生きて虜囚の辱めを受けず」とは、日本人の責任意識の結晶である。武士は《死ぬ自由》を特権的にもっていて、だからこそ、彼らには相応の責任が生じる。より多く知っている人間が他人に知らせることで知の負債を共有させねばならないように、死は武士のあいだで共有されねばならない。
「生きて虜囚の辱めを受けず」以外の責任の取り方を、われわれの歴史はもっていなかった。将軍や政治家の無責任を非難してすむことではない。ここには、ヨーロッパ的な責任概念に準じた優劣というよりも、もっと広大な裂け目、もっと過酷な困難が存在している。
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秘密=知は、一般に権力の源泉となる。では反対に措定される《情報公開》は、なにを意味しているのだろうか。これはギリシア的なものだろうか。それとも、ヘブライ的なものだろうか。知っていることが罪であるならば、秘密の全面的=公共的打ち明けとは、秘密の消滅というより、共同体に対する知=罪の分有をも意味しうる。つまり、ここにも暗い自殺の装置がある。武士のように死を強制するというわけではないが、キリスト教徒は万人に罪を強要するのだ……。
自分だけが知っている状態がヨーロッパ人に背負わせる負債感情は、われわれの想像を絶している。論理的には、真の救済は忘却であるはずだが、それはむろん、キリスト教からの離脱を意味するがゆえに、解決策としては除外される。残された道は、神、ないし万人に秘密を打ち明ける告白、いいかえれば罪の分有/罪の希薄化以外にはない。
先に触れたように、情報公開のギリシア(アテナイ)的起源もまたある。原理的には、秘密保持の多寡が権力を可能にするのだから、民主主義を標榜するなら、全市民が権力者として、その秘密を知っていなければならず、それどころか敵に対してさえ、秘密は打ち明けられねばならない。なぜなら、敵もまた、民主主義を選択すべきだからだ。それゆえ問いは、次の形に収れんする。秘密のギリシア的・自然的拡散か、それとも秘密のヘブライ的・閉ざされた分有か……。
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ところで、わたしはデリディアンではなくニーチェアンである。彼の「偉大なる無責任」という言葉を偏愛している。のうのうと秘密/秘儀と戯れ、あるいはのうのうと生きる、知=自由=権力の概念を越えた者たちの歴史。法と掟のつくる螺旋の外部にある、歴史や哲学、そして文学。