雨は嫌いじゃない。とくに音が好きだ。子供のころ、雨が降った日に遊ぶ友達がいたのを思い出す。彼の家で、ずっと絵を描いてすごすのだ。雨で行動が制限されても、画用紙が扉になって、別世界が広がるから。運動が苦手で、絵が得意な少年。晴れた日には見当たらなかった。
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雨の音を聞いていて思うのは、地球に生命が誕生する以前から、雨の音が鳴っていたという不思議だ。誰のために、雨は音楽を響かせていたのか。何億年後に訪れる聴衆のために、雨はずっと音楽を奏でていたと思うと、震えるように感動する。地上の最初の冒険者は蛙だが、彼らが応答したとき、雨は喜んだろうか。
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歴史と歴史家の関係も、似たようなものだ。歴史は雨。歴史家は蛙。歴史はずっと待っている。自分の音楽を聴いてくれる耳をもった歴史家を。100年、1万年、1億年。雨が降ったら会える少年。
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歴史は孤独だ。皇帝のように孤独だ。昔ボルヘスが感動していたように、始皇帝は途方もない存在だが、どうしてそんなものになろうとしたのか。友達はどこにもいない。歴史家が現れるのを、墓で待っていることしかできないし、ようやく訪れた歴史家が友達になってくれるかもわからない。
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少年時代からずっと孤独だった人間だけが、皇帝になっても平気でいられる。彼はもともと、友達のよさを知らないのだ……。そういう彼と友達になろうと思えば、自分も孤独になるほかないと、歴史家の自分は考える……。
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