昨日、雪舟展を開催している京都国立博物館を訪れた。わたしは絵画をあまり観ない。それはとくに興味がないということではなく、単に文化的行事にアンテナが立っていないのである。したがって、気づいたときには手遅れ、ということが多い。今回は、知人のRO氏に薦められるがままに前売りチケットを買ったことが功を奏した。あまりの人気で昼にはもう二時間待ちになっているという雪舟展に、待ち時間を節約するべく朝七時半に無理やり起きて、開館とともにゲートをくぐったのである。
日本の水墨画は、基本的には宋代以降の中国の模倣に過ぎないし、雪舟とてそれを免れるものではない。また、とりわけ日本ではよく起こることだが、中国で新たな表現が開発されれば(あえて開発という言葉を使う)、こぞって日本の画家はそれを取り入れ、流行の最先端を誇示する、そのような状況が幾度となく繰り返されてきた。したがって、美術史的には、日本の水墨画が、中国のそれの一亜種に過ぎないとみなされてきたことも確かである。とはいえ、流浪の画家、雪舟は、当然、そのような流れからは逸脱しているともいえる。そもそも、流浪の画家といえば聞こえはよいが、実際には、京都の相国寺を中心とする水墨画のアカデミズムに果敢に挑み、そしてついにその壁を打ち破ることができなかったがゆえの不本意な流浪であった。彼は、四十代の終わりに山口の守護大名、大内氏の朝貢船に乗って明に向かい、そこで本場の水墨画を知る。二年足らずの滞在で帰国、その後の活躍はご存知のとおりである。絶え間ない戦乱が京都およびそのアカデミズムの荒廃と、地方への文化流出(小京都の林立)を生んだことも、彼には幸いであった。この流浪こそが、彼をして、日本の美術史上に水墨画の巨匠として今日まで名を残さしめたのである。わけても天橋立図や、山水長巻はとくに著名であろう。
それらの絵画はわたしにどのような感動を与えてくれるのか……。前評判の高さもあって期待をもって鑑賞したのだが、はっきりいって、予想以上の衝撃であった(予想できるほど知識がなかったという方が正確だろうが)。わたしの無知からくる水墨画の日本的情緒溢れる繊細なイメージとはほど遠い、暴力の一歩手前の野蛮さに、わたしは散々打ちのめされたのだった。誰もが指摘することだが、本当に、岩が素晴らしいのである。さまざまな濃度の墨で塗り込められた雪舟の岩は、まるで、岡崎乾二郎の対位法的絵画の一場面のような野蛮さで緊迫感を与える。白いキャンバスの一角を占めるその岩塊は、数ミリでもずれていたらその緊迫感を失うであろう、それほどの密度と説得力をもっているのである――とはいえ、それは計算ずくというよりは、並外れて直感的な空間把握によっているという印象を与える。彼の絵画が、京都の繊細で上品な潮流から逸脱してしまったのはしごく当然のことだったのかもしれない。また、たとえば教科書などに印刷された雪舟の作品と、実際に目で見るそれとでは、まったく印象が違っていたことを指摘しておくべきだろう。印刷技術の問題でもあるが、ミスの許されない水墨画の一回性(アウラ)が、それをもたらしているともいえる。わたしが感じた緊迫感には、このアウラがもちろん含まれていそうだが、そこには直感的な空間把握からなる野蛮な筆致との相乗効果を認めてよい。
今回の雪舟展は、初公開のものや海外に流出したものなど雪舟の作品のみならず、明の画家の作品や、師匠や弟子の作品など、膨大な作品を集めて展示されており、ほかの水墨画家と雪舟との差異も含めて、現代人にはなじみの薄い中世の水墨画を十二分に堪能することができる仕掛けになっている。次の展示は五十年先だという。しかし、少なくとも二十世紀には巨匠として伝わっていた雪舟の名は、今回、その作品を鑑賞した若者に圧倒的な印象を残しつつ、今後五十年はその地位を守ることができそうである。