歴史学(歴史主義)は、哲学の普遍主義に対立するものとして生まれた。前近代はといえば、とかくイエスが、孔子が、仏陀が、とやっていたのだ。彼らの言葉は恒久的に普遍であり、ぼくらの課題はといえば、その「教え」にいかに近づくか、である。そんな重荷を数千年にわたって背負ってきたのだった。
不変の重荷を降ろしたひとたち、それが近代ヨーロッパである。イエスでさえも、時代のなかで思考した。だから、彼の言葉がそのまま現在も同じように正しいとは言い切れなくなる。われわれの世界は、歴史とともに漸次「形成」されている。ひとびとが普遍の軛を離れたときと、歴史の動きはじめたのは、同時だった。
学問が、起源に存在する普遍を目指す「文献学」ではなく、変化のなかでたえず更新される「歴史学」へと変貌した。歴史主義は、すべてを過程のなかに置く。現在とは、無限に遠ざかる目的に従属する過程でしかない。人間の生は、普遍に向かうより過程に閉じ込められる。つまり旅路は労働に変わった。
歴史主義の閉塞が頂点に達したとき、登場したのが、「現在主義」というお化けである。すべては現在である。ラッセルの言葉とクローチェの言葉には、じつはそう大差はなく、目的なき現在だけが、現実に存在する唯一のものである。ひとは幸福のためにさえ労働しない。労働のために労働する……。
学問は、普遍はおろか、歴史さえやめて、ついに現在だけをあつかうようになった。普遍主義から歴史主義へ、そして現在主義へ。普遍から歴史への道には時間がかかったが、歴史から現在への道にはほとんど時間がかからなかった。普遍を捨て去った歴史主義には、現在主義を押しとどめる力はなかった。
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さて、われわれの課題ははっきりしている。非普遍であるような普遍、非歴史であるような歴史、非現在であるような現在を目指すことである。すべてをたった一言で簡単にいえば、《未来》を描くことである。この仕事には、ほとんど誰も手をつけていない。若者には、やりがいのある時代がくる。