狂気について

literature
2008.04.09

わたしは、病院で、こういう話をした。医者は黙って聞いていた。わたしは、この話をするまで、彼のことを、すっかり忘れていた。

ある男――つまり《彼》が、こんなことを言っていた。

「最近、ひとから、本気の言葉をついぞ聞かなくなった。言葉を、出来事に生成させようとする意志を、ひとから感じなくなった。こういう国家に、歴史は存在できない。当然だろう、というのも、言葉はいつまでたっても出来事とは無関係なのだから。こういう国家では、言葉は、なにも起こさないのだ。こういう国家には、ほとんど、語るべき歴史が存在できない。つまり、腐敗していくのだ。」

彼によると、とにかく、音声中心主義批判がいけないのだという。「それ以外の点については、批評家という人種を許容できる。が、とにかく、この一点において、彼らは最悪だ。」

彼はつづけた。

「プラトン以来西欧の哲学に存する欺瞞を批判する? ここには、二重の誤解がある。まず、プラトンは、西欧に固有の哲学者ではない。古代ギリシアは、べつに近代西ヨーロッパとだけ関係を結んでいるのではない。むしろ、プラトンの哲学が直接の関係を結んでいるのは、アジアである。西洋の自己批判といえば聞こえはいいが、プラトンも、勝手に西洋の人間にされてはたまらないだろう。もうひとつは、彼は、一度もプラトンたちの声を聞いたことも、聞こうとしたこともないのに、その音声中心主義を批判したことである。そもそも、テクストの外部がないというのなら、音声中心主義は、まったく批判できないはずである。彼が批判したのは、テクストにあらわれた音声中心主義であって、本当の音声中心主義を批判したのではないし、できっこない。これは屁理屈ではない。デリダに対する、まったく正当な、可能なる批判である!」

彼はなおも口吻を飛ばして語り続けた。「哲学者を全否定できて、いい気になっているようだが、そんな論理は馬鹿げている。人類を全否定できればそれは楽しかろうが、人類にだって、いくばくかの賞賛を受ける権利はあるのだ。そんなことをしている暇があったら、むしろ、プラトンやルソーのような、掛け値なしに偉大な人物から、もっと生産的な声を聞く努力をするべきではないのか。」……どうやら、ずいぶんアルコールが入っているらしい。彼は、何度もテーブルを叩き始めた。そのたびに、グラスや皿が悲鳴を上げた。彼の言葉はなんとなくわかったが、しかし、なにか騙されているような気もした。なにか勘違いをしているのではないか。デリダは、プラトンが、テクストのなかで、音声について語ったことを批判しているのではないのか。テクストのなかで、音声について語ることなどできないのに。つまり、デリダはプラトンではなく、プラトンのテクストを批判したのだ。プラトンという主体が前もってあるなどという保証はどこにもないのだから。それに、そういうのなら、自分こそ、デリダからもっと生産的な論点を引き出すべきではないか。……

「国家は、よい国家であるべきである。そんなことは当然のことだ。」

彼はまだ喋っていた。わたしは、思い切って、よい国家とはどういう国家のことか、と尋ねた。彼は、そのとき、はじめてわたしの存在に気づいたように、やや驚いた視線をわたしの上に投げかけた。彼は、わたしの目をまっすぐに見据えて(わたしはすぐに目を逸らした)、こう話した。

「その問い方はデリダ的だぞ! しかし、答えてやらなくもない。よい国家とは、そこに属する成員が、自由に語ることのできる国家のことだ。自由に語る、というのは、けっして、好き勝手に語ることではないし、そんなことは、じつはできはしないのだ。自由に語る権利、とは、言葉を、出来事に生成させる権利のことでなければならない。現実の出来事に結び付けないかぎりで、言葉を自由に語ることが許される、というのは、デリダ的には正当なことかもしれないが、それは、不自由の謂いなのだ。そのことにひとが気づかないかぎり、国家は腐敗しながら肥大化し、肥大化しながら腐敗する。わたしは、革命を起こそうなどとはこれっぽっちも思わないし、またつねづね自分の所属するこの国が、よい国家であることを望んでいる。が、こうした不自由な国家は、かならず、望んでもいない革命に出くわすことになるし、それを妨げることはできなくなってしまう。そうでなければ、腐敗のなかで、気づかないうちに、他国に吸収されてしまうのだ。本当に気づかないうちに。」

わたしには、彼のいっていることがよくわからなかったが、どうも、彼は革命を起こしたくてうずうずしているようにみえた。そんなわたしの心を読みとってか、彼はこう言葉をつないだ。

「文学! ああ、文学よ。革命とは、望むべからざるものだ。わたしが、つね日頃、どれだけ革命を遠ざけようとしているか、君は知らないのだ。革命など嫌いだ! わたしは、進化したいのだ。……国家は、けっして腐敗すべきではないし、肥大化するべきでもない。国家の自壊は、不幸しか生み出さない。国家の自壊によって、不利益を被るのは、大多数の国民、とりわけ最下層のひとびとだからだ。国家には、百人の、いや千人の、いや百万人のデリダがいて、しかも、批評家という枠に収まって安穏としているという意味では、デリダ以上にデリダ的なやつらなのだ――じつは、わたしはデリダ本人はそれほど嫌いではないのだが――国家を自壊させようとしているのだ。しかし、まあ、いまはそんなことはどうでもいい。肝心なことは、わたしの声を自分の耳で聞こうとすることだ。わたしは、いつも、本気で語る。言葉を出来事に実現しようと、いつも努力している。けっして、斜に構えたりしない。だから、君たちは、いつも、本気で聞こうとしなければならない。そういうひとだけが、時空を超えて、わたしの声を聞くことができるのだ。……君がデリダでなければ、わたしの声が聞こえるはずだ。それとも、君もデリダなのか?」

じつは、わたしは、デリダについて言っていることは除いて、彼の言葉に、共感しないではなかった。ただ、彼の異様な剣幕が、安易な共感をはねつけていたし、わたしの共感など、望んでいないような気もした。だから、わたしは、肯きも否定もせず、ただ、黙って聞いていた。彼は、やや不安そうに(そう見えた)つづけた。

「最近、大人がいなくなった。近頃の大人は、言葉と出来事とが、結びついていないことを示すのが、大人らしい振る舞いだと勘違いしているからだ。みんなデリダなのだ。右も左も、左も右も、デリダばかりだ。デリダを批判するデリダ、デリダに媚を売るデリダ、デリダのことなど知らないデリダ……。だが、そうではない。むしろ、大人なら、そして男なら、一度でいいから、自分の言葉が、現実に実践されるということを、子供に示さねばならないのだ。言葉が、出来事であることを、むしろ率先して示すべきだし、そう努力すべきなのだ。わたしたちは、《言表を意志せねばならない》……。なのに、誰もが、それと逆のことを行なっているというのは、なんと切ないことだろう。情けないことだろう。可哀想な子供たちよ! 尊敬すべき大人など、どこにもいないのだ。ただ、《この社会はよくない》という、ただひとことが言えない大人たちばかりになってしまった。社会のなかに入れてもらおうとするだけなら、かまわない。ひとはなんといっても、生きていかなくてはならないし、そんなことをしなくたって、本当は生きていけるのだとしても、そういう人間がたくさんいるのは、仕方のないことだ。本当は、社会は前もってあるのではなく、わたしたちの後ろにあるのだがな! 《よい社会》ほど、わたしたちの後ろにあるのだし、《悪い社会》ほど、わたしたちの前にあるのだ。だが、それだけでは飽き足らず、社会に媚を売り、他人に社会を強いるなど、卑劣以外のなにものでもない。これをまさに卑劣というのだ。社会を神棚に祭り上げ、わたしもひれ伏しているのだから、あなたもひれ伏すべきだというのだ。……たしかに、“プラトン”などという主体はいないし、立てるべきでもない。だが、出来事としてのプラトンは、充分、彼のテクストからあふれているよ。……しかし、デリダは出来事としてのプラトンを、彼の主体ごと葬り去ろうとし、批評家は、文学を……偉大な文学を、国民国家ごと葬り去ろうというのだ。テクストの内部でたわむれているくらいなら、国民国家は葬り去るべきだ。……しかし、そんなことは、本当に馬鹿げている。文学は別なのだ! 哲学だって別だ。しかし、しかしもう、そうした批評家たちの愚考を止めさせることはできないだろう。彼らは、デリダよりも、心底デリダ的なのだ。もう、脳みそに深く刻まれた溝以外のところに、水が流れなくなってしまっているのだ。ああ、デリダ的だ、それはデリダ的なことだ。……しかし、どうして、わたしはこうもデリダ的ではないのだろう? もっとデリダ的ならば、わたしも狂人扱いされずにすんだものを! わたしは、自分が狂人であることくらい、とっくの昔に知っている!」

彼はこう結んで、そのまま沈黙した。長い沈黙の後、驚いたことに、彼は突然泣き出してしまった。そして、仰け反るように、けたたましい音を立てて椅子から転落した。どうやら、癲癇の発作を起こしたらしかった。彼は、誰かが呼びつけた救急車で近くの(いや、そんなことは運転手以外には誰にもわからない)病院に運ばれていった。彼は、担架のうえで痙攣しながら、まだ何か喋っていたが、それはよく聞き取れなかった。

わたしは、たしかに、彼の声を聞いたと思います。ですが、その意味するところは、結局、よくわかりませんでした。彼はたぶん、正しすぎたのです。だから、狂人扱いされていたのです。わたしたちの社会は、“正しすぎる”という言い方で、ひとを狂人扱いします。本当です。その後、彼には二度と会うことはなかったし、また彼のことを思い出すこともありませんでした。

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