ドゥルーズは、たしかどこかで(『差異と反復』だったか)、思想家が本質的に孤独な独我論者であることに言及していた。たぶん、バトラーのエレホンを論じたくだりだったか。その近くでカントについても言及していた。デカルトの「我思う […]
「あとがき」を書きたいのだが、思考の底がささくれて整わない。昨日、酒を飲み過ぎて脳がイカれている。ブローデルが「歴史の母はテクノロジーだ」といったからだ。それでときどき思考がそっちに飛ぶ。歴史の父は、自由と、存在と……。 […]
今度の本の「あとがき」になにを書くべきか、つらつら考えている。前に、ヘーゲル・マルクス以来の「自由の歴史学」からの撤退戦として、「存在の歴史学」にいたった、と言ったが、それはすこし消極的な言い方だったかもしれない。端的に […]
博士論文を書くまでに、学生にはどうしても、人間的に成長することを自分に課して欲しいと思っている。大人になることと博士論文の期限とが、同時に来ると、一番いい。といっても、文献学の場合は、そうした成長をあまり必要としないのも […]
(注記。22歳のときに書いた卒業論文である。) 序 古代共和政ローマの年代記を紐解くと、そこに連綿と連なる身分闘争の縦糸を感ぜずにいられない。年代記の描くローマ共和政時代の歴史から、我々はおのずとヘーゲルやマルクスの言う […]
自分にしかできない仕事を。それを意識して書いたのが、今度の『存在の歴史学』。世間が自分の仕事をどう受け止めるのか、受け止められもせず、どこにもたどりつかないボトルメールになるのか。世間はともかく学界は? もっと期待できな […]
欲望を全面的に肯定する。かつて自由主義者と社会主義者とが世界を二分してやりあったような、社会的な対立もなければ、抑圧もない。だからひとは、身動きが取れないでいる。行動を促す動機がないのだ。あるのは、分厚い惰性の流れだけ。 […]
今度、有志舎から出る新著『存在の歴史学』のゲラが届いていた。今日(日を跨いだから昨日だ)は朝からリモート講義もふくめ、一日講義で埋まっていて、疲れて酒を飲んで帰ってきたが、ゲラが届いていて、身が引き締まっている。自分の言 […]
さて、若い人たちの自由を求める意識の希薄さに、戸惑うことがある。もちろん、歴史学という狭い世界の話だから、外ではちがうのかもしれない。勝手に決めつけないでくれ、と思っているかもしれないが、それでもあえていっている。ぼくに […]
さて、『存在の歴史学』の初校ゲラがそろそろ届くようで、緊張している。分量が分量だから、校正にはそれなりの苦労があるだろうが、楽しみな部分もある。楽しみにしている読者もきっといる(世界中からかき集めれば、10人くらいは)。 […]
マルクスは講義でちょくちょくやっている。彼の『資本論』も、第一巻は5回、6回と読んでいる。それほどの人物、それほどの思想だ。マルクスにおいて、一番重要だと自分が思う、思考の基礎はなんだろうか。 ぼくはもともと、現代性(モ […]
もし、自分が政治家だとしたら、民衆にむけて、なにを語るだろうか。 民衆に対して、民衆自身の感じている不安と孤独とに寄り添う、と語りかけ、その一方で、自由を愛せ、勇気を持て、というだろう。不思議なことに、歴史に対する自分の […]
もともと、前著『精神の歴史』のあとの研究テーマは、「自由」だった。卒業論文からして、古代ローマ共和政下における「自由」(libertasリベルタス)だったから、そのへんは一貫していた。なぜ「自由」だったか。 ◆ 歴史は、 […]
専門家には見えている、しかし一般のひとびとには見えないものがある。誰もが救いを求める危機的な状況にあって、専門家には、手を差し伸べないと生き残れないひとと、手を差し伸べなくても十分に生きていけるひとの差が、判明にみえてい […]
今日、周囲のどこをみわたしても、あるのはクラスターばかりであって、そのようにしてクラスターの内にいることで、個々の存在者は存在を維持している。自分はといえば、そうしたクラスター(島)のまわりを長い間漂流している。自分が歴 […]
いまになって思うことだが、一九六〇年代の欧米における、いわゆる言語論的転回を日本で受容した層は、まずまちがいなく「転回」など感じていなかった。歴史は科学か、という問いをつきつけたマックス・ウェーバーにはじまって、歴史は歴 […]
自分はテレビも見なければ新聞も読まず、当然、世間の情報に疎く、社会にはインターネットを通じてしか接し得ないが、重要なのは、ここでの言論がすべてと思わないこと。あらゆるメディアがそうであるように、人間そのものには間接的にし […]
自分は歴史学に過剰な期待を抱いているのかもしれない。なにより、歴史学者の謙虚さが歴史にまで及ぶのは避けるべきと考えるひとりである。実際、歴史学者は謙虚だ。しかし、その謙虚が歴史そのものの卑下になっては元も子もない。歴史と […]
ヴァルザーの詩がすごくいい。気に入ってしまった。ぼくはもう外国語にあまり興味がなくなって(理解できる気がしない)、翻訳で外から眺めているのだが、とてもいい。クレーの絵が目当てで買った『日々はひとつの響き』(平凡社)だが、 […]
さて、wordpressのヴィジュアルエディタを使いこなしているひとはいるのだろうか。ぼくは昔からhtmlのコードをせっせと打ち込んできたので、かえって慣れずに苦労している。pだの、divだの、最近では使わないが、昔なら […]
奈良で帝冠様式といえば旧国鉄の奈良駅舎だろうか。ファシズム建築として悪名ばかり高いが、隣にある現代の駅舎のほうがマシといえるかどうか。 ◆ 学問の改革はむずかしい。たとえば歴史学なら、実証主義を批判する改革者の努力は、主 […]
雨は嫌いじゃない。とくに音が好きだ。子供のころ、雨が降った日に遊ぶ友達がいたのを思い出す。彼の家で、ずっと絵を描いてすごすのだ。雨で行動が制限されても、画用紙が扉になって、別世界が広がるから。運動が苦手で、絵が得意な少年 […]
存在は場所を必要とする。しかし、場所といっても、《大地》と《場所》とでは、まるで異なる。大地は、ある意味で、非=場所だ。位置決定から自由である。そこは旅の時空である。べつのいいかたをすると、前ー存在者のための場所である。 […]
タイトルをつけたが、とくになにか書きたいことがあるわけではない。フォントを眺めていると、そこに新しい資本主義の形がみえてくるかもしれないと思ったのである。 日本史特殊研究Cの動画をアップロードしている。興味があればぜひ。 […]
コロナはつづく。またもリモートでの講義となった。教養の講義「歴史学」第3回の動画をアップロードしたので、興味があれば、どなたでも。 社会は閉塞して、ウイルスがもたらす以上の息苦しさを人類自身に与えている。 存在は場所を必 […]
最近、シャルル・ペギーの『クリオ』を(いまさら)学生といっしょに読んでいる。この本のサブタイトルに「対話」という言葉が使われているが、E・H・カーの用いているそれとは、語の意味がまったく異なることに、読者は気づくだろう。 […]
歴史はいい。ぼくは人文学をしていないと、つまり人間について考えていないと生きていけない、そういう人間だ。人間について考える、とは、哲学すること、文学することだが、その土台になるのが歴史であり、また哲学や文学が帰っていく場 […]
ぼくらは、徹底して、公共的なものの外で思考する必要がある。 さかしらに公共性を論じることは、当の議論そのものが公共道徳の海に溶解してしまう可能性と秘密裏に取引することだ。波紋はすぐに消えてしまう。公共性を論じる人間は、そ […]
《関係》は切断したり、接続したりできる。だが、切断するだけで関係から逃れられると考えるのはまちがっている。接続や切断自体、きわめて情報工学的な、関係概念に包摂されるものである。こうした接続や切断が哲学であるためには、《関 […]
存在は、けっして観念的なものではない。すくなくとも自分は歴史家だから、たんに観念というべきではないと考えて、存在なるものの現象形態を探す。すぐに思い至る。存在とは、ひとがときに陥る《孤独》のことであると考えることができた […]