七月、憲法が変わった。否、ほとんどというべきか、といっても、あとは最後の一撃、しかもわれわれではどうにもできない一撃を加えるだけである。ひとはおそらく、まだ古い夢をみつづけているだろう。夢のなかでぼんやりしている者が大勢 […]
若者に期待する努力とは、美しいものを見聞きすることである。美は欲望と結びついている。欲望にしたがっていればいいのだから、一見、簡単なようで、存外むずかしい。ひとが醜いと思うものにも、美は隠れている。逆に、一見美しくても、 […]
神や王、将軍にかえて、ひとが《法》を玉座に据えたときに、近代がはじまった。たとえ王であろうと、またその源泉が古来の王統にあるのか、それとも人間本性にあるのかは別としても、とにかく《法》にしたがう。それが近代のひとつの意味 […]
現代社会のなかにいれば、優先順位をつけるのが馬鹿馬鹿しくなるほど、価値観がめまぐるしく推移している。歴史のほうは、もっとずっとゆったりした時間のなかで推移している。だがそれでも、事実の重みは——だから軽さも——たしかにあ […]
右と左のどちらが現実が見えているか、という問いはけっこうな難問だが、わたしはそもそも、政治が「超」がいくつもつくほど嫌いである。わたしは、右でも左でもなく、イデオロギーなるものとは一切関係しない。ただ、言葉を発するのであ […]
フェルナン・ブローデルは、技術の歴史ほど困難なものはない、と、どこかで言っていた。近代史をやる以上、技術の歴史の研究を一度はやるべきだろうと思ったのは、じつはずいぶん昔のことだが、いざそれに取り組んで、ブローデルの言葉を […]
世界はいつも、風評/リプレゼンテーションの薄もやに覆われている。ほんとうの世界が現れるのは長いまどろみを破る束の間の出来事だけ。多くは、自然がそれをもたらす。血や涙によってはじめてひとはそれに気づく。血や涙に言葉が先行す […]
研究者や芸術家にとって、作者の署名には、どのような意味があるのだろうか。現代では著作権に、すなわちお金に結びついている。だからいろいろなものが、見えにくくなっている。たとえばイリアスとオデュッセイアという作品は、《ホメロ […]
ベートーヴェンの次の言葉が好きだ。「五十年すれば、ひとも弾く」。難解すぎて誰も弾かないと言われたピアノソナタに対して、己の作品を擁護したとき口をついたもの。彼の言葉がどれほどひとを勇気づけてきたことか。この世界は、社会に […]
ドゥルーズ=ガタリはこんなことを言っていた。 責任をもつとか、無責任であるとかいったことについては、私たちはそんな概念とは無縁だと申しあげておきましょう。責任、無責任というのは警察や法廷の精神医学に特有の概念なのですから […]
かつてジャック・デリダは、「責任」の概念のヨーロッパ的・キリスト教的起源について語っていた。われわれ日本人が世界に求められているのは、この意味での「責任」である——すなわち、禁断の果実を食べて得た「知」それ自体が、人間の […]
日本史を必修にするという話が出ているそうだ。それに関連するかはわからないが、かつてこんな議論があった。日米開戦直前、いわゆる京都学派による、悪名高い「世界史的立場と日本」である。『中央公論』に掲載された座談会の一部をこれ […]
最近は、自分の立場をおもしろがることが多い。現政権のやろうとしていることに対して沸き上がる自分の複雑な感情が、社会における自分の居場所を奪ってしまう。この歳になって社会のどこにも精神の置き所が見出せていないのだが、それは […]
古来、ひとは幽霊や妖精なしにはなかなか生きていけないものなのだが、人文学者のアドヴァンテージは、はじめから、幽霊や妖精を扱っていると自覚していることである。つまり、彼は幽霊や妖精の実在を口にしてそれを学問の対象にできるほ […]
ファシズムについて。現在の政治家にそうした状況を作り出し、かつコントロールできるような人物がいるとは思わない。ただし、だからといって、ファシズムが発生しない、ということではない。特定の政治家に対して、そうした人類の債務を […]
たとえばぼくは、秘密の概念を愛している。秘密は、永遠に秘密のままでは、存在していないのと同じだと、ひとはいう。秘密は暴かれ、打ち明けられねば秘密はいえず、そしてそれによって秘密は秘密であることをやめるのだと。しかしそれは […]
法の世界について、自分はとかく縁遠いが、《法外》の世界を「無法者」の世界や、暴力的権力の蠢く世界としてしか想像できなくなっていく近代の危険性ということを、自分は強く感じている。「言論の自由」にとって、秘密保護法案より恐ろ […]
死は、ほんとうに取り返しのつかない、痛ましいもののひとつであるが、それは、時間概念の不可逆の本質から来ている。時間がもたらす絶滅は恐るべきものだが、しかし、その一方で、絶滅には抜け道がある。つまり、ふつうは、生物は絶滅す […]
多くの学者たちの努力にもかかわらず、学問の世界はどこもかしこも衰弱するばかりなのだが、この速度に追いついて、また上昇するのも、考えるだにたいへんなことである。若者の政治に対する無関心は小石を投げてできる波紋よりもはやく広 […]
いまさら批判めいたことを言いたいわけではないが、あまり端的に自分と立場が違っているのが面白かった。柄谷行人の『差異としての場所』という本に収録されている、「テクノロジー」なるエッセイについてである。はじめ読んだのは前世紀 […]
この社会で、エゴイストであることの困難。エゴイストをみれば、世間一般のひとびとは、なにか悍ましいものを見たような気分になり、忌み嫌って人でなしのように感じたりする。実際、エゴイストは、この社会、とりわけ日本社会において、 […]
わたしは歴史学者だから、憲法についても、法学的に読むことはしない。むしろこれらの条文を、言葉として、そしてその言葉が徴づけている出来事を読みこもうとする。そして、まだ息をしているこの言葉が早急に葬り去られようとしているの […]
言語が現実と結びついていることの確かさを教えないなら、じきにひとは怒り方を忘れてしまう。シニシズムだけが蔓延り、そればかりか怒りのはけ口を誰に向けることもできず、無意識に不満を注ぎ込んで病を病むしかなくなる。怒りをもたら […]
歴史は美しい方がいい。しかし醜いものから目をそらすことがあってもいけない。歴史は事実からなる。しかし嘘を無視していいわけでもない。それさえ理解していれば、歴史は若者たちの自由になる。すばらしい歴史家の生まれる世界は、同時 […]
テクノロジーとアート、つまり記憶と忘却の狭間で、歴史になにができるかと考える。歴史を愛することは、嘘をつき、忘れもするひとの知のすべてを愛することでもあるはずだ。 久しぶりにプラトンを読んでいたら、いつのまにか眠りに落ち […]
体罰の問題は深いところで言語の問題とつながっている。わたしはさいわいにして、いまのところ経験がないが、おそらく教師の暴力が一番発生しやすいのは、子供がまったく「言うことをきかない」場合であろうと思う。そのときに、たとえば […]
生物学者の高木由臣によれば、たとえばバクテリアは死ぬ能力をもたない、死ぬことができるのは有性生殖をおこなう生物のみ、すなわちDNAのやりとりによって親と異なる遺伝子個体を生むことのできる生物だけである、という。 そこから […]
新中納言、「見べき程の事は見つ、今は自害せん。」とて、乳人子の伊賀の平内左衛門家長を召て「いかに日比の約束は違まじきか。」と宣へば「子細には及候。」と申す。中納言に鎧二領著せ奉り、我身も鎧二領著て、手を取組で海へぞ入にけ […]
知の凋落は、表象と実在の不一致よって表される。政治家はその力の巨大さにふさわしくない醜さを露呈し、教師は学生と同じようにしかみえず、われわれの知もまた民衆の砂遊びのなかに埋もれる。不一致を敏感に感じているのは為政者である […]
さて、仕事が終わったら、大切な仕事が待っている。どれも不真面目な自分には分不相応な仕事だ。教室で若者たちと向き合い、史料を介して過去の偉大に触れ、そして未来に向けて論文を書く。非常勤ゆえ、いつまでこの仕事が続けられるかは […]